研究活動

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研究発表「近未来・技術社会における宗教の残滓」、日本宗教学会 第80回学術大会、パネル「科学技術に浸透する/される宗教」、2021年9月8日

【発表要旨】

 第五期科学技術基本計画において提唱されたSociety 5.0(サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会)に代表されるように、科学技術の高度な進展を前提として未来社会をデザインすることが増えてきた。こうした事例を取りあげながら、未来社会のデザインの中に宗教がどのような役割を残しているのかを考察することによって、近未来社会における科学技術と宗教の相互浸透性のあり方を示したい。
 コロナ禍により仮想空間におけるコミュニケーションが急速に拡大した。サイバー空間を情報技術によって構成されたものに限定せず、広く仮想空間(バーチャル空間)と考えれば、バーチャルなものに対する志向性やそれを生み出す力は、すでに狩猟社会(Society 1.0)の頃から存在していると言える。ライオンの頭部、人間の体を持つ彫像「ライオンマン」(三万二千年前)はその一例である。
 「科学技術に浸透する/される宗教」という本パネルの課題設定は、科学技術と宗教が分離した現代的な文脈では有効である。しかし、人類史的な視点から見れば、技術と宗教は表裏一体となってリアルとバーチャルの間の往復運動を可能にしていたと言えるのではないか(技術と宗教の根源的な相互浸透性)。近未来においても、人間と人工物(技術)の根源的な相互浸透性を視野に入れることのできる倫理や法、宗教概念が求められる。
 近年の技術革新を踏まえて未来社会を描く事例を三つ取りあげる。NEC未来創造会議「未来シナリオ二〇五〇」では、ソーシャルメディアによる「パーソナルユートピア」、環境共生を共同体の信仰とする「環境信仰社会」、人の思いやりを可視化する「守護霊ロボット」等が取り上げられ、また、東工大 未来社会デザイン機構「未来シナリオ」では「他者・社会に気を遣うことなく、最期を笑顔で迎えられる」、「記憶を自由に選択し、心の傷を癒やす」ということが未来の科学技術によって可能になることが示されている。京都大学・日立「Crisis 5.0 二〇五〇年の社会課題の探索」は、未来において起こり得る危機について論じており、「信じるものがなくなる」がその一つとされている。
 人類史を俯瞰しながら未来社会を論じているユバル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス──テクノロジーとサピエンスの未来』では、技術によってホモ・サピエンスは神性の獲得を目指し、「ホモ・デウス」へとアップグレードするとされている。宗教と科学の区別は困難となり、データ教(dataism)によって人間至上主義が克服される未来を描く。
 以上のことをまとめると次のようになる。
【未来における宗教の姿】日本の未来シナリオにおいて、宗教的要素(宗教の残滓)は部分的に示されているが、現実の宗教組織の行く末は、ほとんど視野に入っていない。ハラリは、宗教組織だけでなく、資本主義など各種のイデオロギーも宗教に含め、宗教を広義に理解しているが、神や魂については科学的視点から明確に否定している。
【宗教と技術の関係】いずれの未来社会像においても、宗教の伝統的な働きの多くを、いずれ技術が代替するという見方が支配的である。肯定的な言い方をすれば、宗教的要素は未来の技術によって部分的に生き残るということになる。
【人間至上主義の次の段階】Society 5.0は「人間中心」という価値を強調するのに対し、ハラリの「データ教」は人間中心主義(人間至上主義)を超える視点を示す。一見、宗教否定のように見える部分もあるが、必ずしもそうではなく、科学によって旧時代の宗教的残滓を除去した、新しい宗教のあり方を示していると見ることもできる。