講演「宗教と平和──国家を相対化する原理の模索」、浄土真宗本願寺派 宗門教学会議「宗教と平和──武器なき平和の可能性」、本願寺伝道本部、2015年12月16日
1.ナショナリズムと宗教
1)なぜ宗教とナショナリズムが結びつくのか?
- 近代国家と宗教──自己犠牲の論理
2)利他心が国家のもとでは(不殺生ではなく)暴力へと向かうのはなぜか?
- 愛国心(ナショナリズム)の倫理的パラドクス
「愛国心はそのなかに倫理的パラドクスをもっており、最も鋭い凝った批判でなければいかなる批判も受けつけないものである。そのパラドクスとは、愛国心は、個人の非自己中心主義が国家の利己主義に転化する、ということである。国家への忠誠心とは、もしより低い忠誠心や地方的利害などとくらべるならば、それは高度な利他主義の形態である。それゆえ、それはすべての利他的衝動の担い手となるのであり、そして、あるときには、その忠誠心は、個人が国家とその事業にたいしてもつ批判的態度をほとんどまったく破壊してしまうほどの熱烈さをもって、表現されるのである。この献身の無条件的性格が、まさに国家的権力の根拠そのもの、またその力をなんの道徳的抑制なしに行使する自由の根拠そのものなのである。このようにして、個人の非自己中心主義は、国家の自己中心主義を助長するのである。」(ラインホールド・ニーバー『道徳的人間と非道徳的社会』白水社、1998年 [原著1932年]、109頁)
3)戦時教学(世俗的権威の正当化)の過ちはどこにあったのか?
- ローマ書13章と真俗二諦(拙著『宗教のポリティクス』第3章参照)
- リベラリズムと保守主義(正統主義)
2.原理主義の両義性
1)イスラーム原理主義から不殺生、平和主義、憲法9条まで
2)原理主義の狭義の意味
ファンダメンタリスト(原理主義者)という言葉は、もともとは1920年代に、米国のキリスト教保守派が進化論や近代的な文献批評学と対決するために用いた「自称」であった。その呼び名は、1910〜1915年に刊行されたThe Fundamentalsという12巻の小冊子のタイトルに由来する。しかし、ホメイニーによるイラン革命(1979年)以降、警戒すべきイスラーム運動に対して原理主義という言葉が転用され、原理主義といえば、「イスラーム原理主義」を指すようになった。そこには前近代的なニュアンスが刷り込まれている。イスラーム世界では「イスラーム主義」「イスラーム復興主義」などの言葉が用いられる。
3)原理主義の広義の意味
近代化・世俗化に抵抗しつつ、それを超える文明論的な原理を掲げる思想的・政治的な運動。アジアの近代史においては、原理主義的運動はしばしばナショナリズムと結びついた。広義の理解を踏まえることによって、異なる時代や地域に通底する共通要素を洞察することが可能となる。例:ガンディーの非暴力抵抗運動
「広い意味で理解すれば、原理主義は、急激な時代の流れに巻き込まれたときに自らを押しとどめようとする「慣性の力」であり、また同時に、様々な堆積物によって流れがせき止められようとしたときに、それを決壊させる力でもある。」(小原・中田・手島『原理主義から世界の動きが見える』159頁)
4)国家を相対化する「原理」の必要性
3.共同体の論理──「同朋」と「隣人」
1)「同朋」をめぐる議論
同朋と差別の問題(浄土真宗註釈版聖典補注「同朋・同行」)。念仏者に限定するか、念仏者以外も含めるか。「自他共に心豊かに生きることのできる社会」の実現。
2)「隣人」をめぐる議論
- 「隣人を自分のように愛しなさい」(マルコによる福音書12:31)
- 「道徳的共同体」(moral community)の変遷。例:社会階層(自由人・奴隷)、人種、宗教、性別・性的指向性の違いによる境界設定。
3)ヨーロッパにおける移民をめぐる問題
人種差別から文化的差異による差別へ──「普遍的価値」に潜む排除の言説
4.結論
1)仏教における社会倫理の必要性
2)「和解」のイニシアティブ──東アジアにおける平和の実現のために
3)再活性化された「原理」(平和主義、憲法9条)と「大きな物語」(ナショナル・アイデンティティに吸収されない、より大きなナラティブ)の必要性