研究活動

研究活動

パネル発表「戦争を正当化する論理を探る」、龍谷教学会議 第51回大会シンポジウム「平和をいかに考えるか」、龍谷大学 大宮学舎、2015年6月3日

1.戦争・ナショナリズム・宗教──近代日本および日本宗教の選択

1)なぜ宗教(キリスト教)とナショナリズムが結びついたのか?
・キリスト教の場合──インターナショナルからナショナルへ
・近代国家と宗教──自己犠牲の論理
〔世俗的ナショナリズムと宗教は〕包括的な道徳秩序の枠組み、すなわちそれに所属する人々に究極的な忠誠を命じる枠組みを与えるという、倫理的な機能を果たす。(中略)ナショナリズムと宗教がもつ、殉教と暴力に道徳的許可を与える力ほどに、明確に忠誠の共通様式が現れているものは、他のどこにも存在しない。(マーク・ユルゲンスマイヤー『ナショナリズムの世俗性と宗教性』玉川大学出版部、1995年、28-29頁)

2)なぜ明治政府はドイツを国家形成のモデルにしたのか?
・岩倉使節団がプロイセンの政治神学に見たもの
・ナチズムとプロテスタント教会(ドイツ的キリスト者と告白教会)
・戦時教学(世俗的権威の位置づけ)──ローマ書13章と真俗二諦(拙著『宗教のポリティクス』第3章参照)

2.共同体の論理──「同朋」と「隣人」

1)「同朋」をめぐる議論
 同朋と差別の問題(浄土真宗註釈版聖典補注「同朋・同行」)。念仏者に限定するか、念仏者以外も含めるか。

2)「隣人」をめぐる議論
・「隣人を自分のように愛しなさい」(マルコによる福音書12:31)
・「道徳的共同体」(moral community)の変遷。例:社会階層(自由人・奴隷)、人種、宗教、性別・性的指向性の違いによる境界設定。胎児・脳死患者の位置づけ。

3.犠牲の論理──近現代における「犠牲」

1)宗教と犠牲(供犠・供養)

2)犠牲の正当化にいかに抗するか
 現代思想の一部は、犠牲のシステムに対する批判から出発した。戦争の惨禍を経て、ヨーロッパ的な価値の自己反省を促された。近代国家は宗教的な供犠(犠牲)のシステムを克服・解消したのではなく、それをより精密な形でバージョンアップした(藤本一勇「ポスト構造主義の基本理念」、仲正ほか『現代思想入門』PHP研究所、2007年、108頁)。