科学研究費補助金(基盤研究(C))「非欧米型宗教間対話と政治状況の相関関係――東アジア・中東を中心にして」(2006-2008年度)
1.本研究の全体構想
本研究では、欧米を中心に構築されてきた宗教間対話を批判的に考察し、これまで十分に研究の対象とされてこなかった非欧米圏の宗教間対話の取り組みの実態を調査する。それと同時に、欧米圏および非欧米圏の宗教間対話が、地域紛争・テロなどによる政治状況の変化から受けている影響を調べ、また関連各国の政策決定において宗教政策がどのように変容してきたのかを明らかにする。こうした目的を期間内に遂行するために、本研究では主として次の点に焦点を絞っていく。
(1)従来の宗教間対話モデルの批判的考察
これまで、諸宗教間の対話は主に欧米のキリスト教を中心に進められてきた。そこで対話のための代表的なモデル形成がなされてきたが、様々な宗教が入り交じる現代社会において理想とされるのは、どの宗教にも絶対的な価値を認めない宗教多元主義の立場であった。これは啓蒙主義の精神の産物であるとも言える。ところが、それぞれの宗教的価値を認め合う寛容を前提にした、この考え方が、実際の市民生活の中では必ずしも有効に機能しないことが、近年のテロや暴動の頻発から、徐々に認識されるようになってきた。
たとえば、移民に対するきわめて寛容な政策をとり、キリスト教以外の他宗教に対しても積極的な理解を、公教育を通じて促進してきたイギリスの中心部において、2005年7月、イスラーム過激派によるテロ事件が起こった。また2004年には、やはりその寛容な宗教政策によって名高いオランダにおいて、ヴァン・ゴッホ映画監督のイスラーム過激派による殺害とそれに対する報復が起こった。こうした事件を通じて、ヨーロッパ社会は、従来の宗教的寛容政策(宗教学的に言えば、宗教多元主義)だけでは事態を収拾しきれないことに気づきつつあり、かえって反動的な政策(宗教組織に対する厳しい取り締まり)がとられる場合もある。9・11同時多発テロ事件以降のアメリカにおいても同様の変化が見られたことは言うまでもない。
欧米の世俗主義的国民国家および、その歴史的背景としてのキリスト教を前提として構築されてきた宗教間対話の理念や、宗教的寛容政策が揺らぐ中で、これまで支配的であった欧米型宗教間対話のモデルの問題点がどこにあったのかを、近年の政治状況に照らして考察していく。
(2)非欧米圏(特にアジア・中東)の宗教間対話の調査・研究
キリスト教によって主導された欧米の宗教間対話に比べると数は圧倒的に少ないが、非キリスト教圏においても、宗教間対話のための拠点や活動は存在する。それらの中には、たとえばイスラームや仏教を基盤として宗教間対話を模索するものがある。それらを手がかりに、非キリスト教宗教から見た他宗教理解や、他宗教との対話の必要性が、欧米型対話モデルとは異なることを明らかにする。また、イスラーム社会におけるマイノリティとしてのキリスト教徒が取り組んでいる宗教間対話は、欧米社会におけるマジョリティとしてキリスト教徒が推進する宗教間対話とは、質的に大きく異なるので、この点にも十分な注意を払う。
非欧米圏における宗教間対話を調査することにより、欧米型の宗教間対話のモデル設定を相対化する視点を確保し、非欧米圏から見た欧米型モデルの問題点を析出する。その意味では、研究目的の(1)と(2)は密接な関係を持つ。また、非欧米圏において、どのような対話モデルの類型があるのかを考察する。調査対象とするエリアは、東アジアと中東を中心とする。
(3)政治的変化と他宗教理解の相関関係の調査・研究
それぞれの地域や国において、宗教間の安定した関係が急速に損なわれていくような事件が起こったとき、他宗教に対する理解は、時として政治上の決定や政策にも影響を及ぼしていく。9・11以降のアメリカの中東政策の変化はその一例であるが、それに類似する変化がヨーロッパにおいても進行している。たとえばトルコのEU加盟問題は、社会的情勢の中で変化(悪化)するイスラーム理解を如実に反映している。したがって本研究は、異なる宗教間の相互理解の次元にとどまらず、現実の政治上の変化や世論の変化と宗教理解の相関関係(それは様々な統計資料によって測定可能である)を考察することによって、次世代の宗教間対話が射程に入れるべき社会的・政治的次元を明らかにしていく。また、こうした結果を踏まえて、宗教を巻き込んだ紛争地域において取り得る平和構築の基礎モデルを提言する。
2.本研究の学術的な特色
本研究の特色・独創的な点および予想される意義として次の三点をあげることができる。
(1)社会的コンテストを重視した宗教間対話モデルの構築
これまで宗教間対話の研究は、宗教内部の教義的違いや対話可能性に議論を集中させてきた。それに対し、本研究は、社会的コンテキスト(紛争・テロの勃発、世論の変化、政策の変化など)を十分に意識し、その中での対話モデルの有効性や限界を検証することにより、今後の展望を示し得る。
(2)非欧米圏における宗教間対話の実証的調査・研究
非欧米圏における宗教間対話や、それを実際に担っている組織・団体についての国内研究はほとんどない。したがって、東アジア・中東を中心に、宗教間対話への取り組みを網羅的に調査することを目的とする本研究は、先行研究にはない意義を有すると言える。
(3)対話困難性の認識と、それに対応した平和構築の提言
今日、宗教が結果として関与している紛争やテロは後を絶たない。実際、これまでの宗教間対話は、それぞれの宗教の進歩的立場の(すなわち、対話に対して前向きな)人間同士が対話のテーブルについてきた。しかし、今日の課題は、そもそも対話を拒否する、あるいは対話に関心を示さない集団と、いかにして対話の糸口を見いだしていくか、という点にある。欧米型の宗教間対話は、対話可能な人間・集団同士の対話を前提にしてきたという意味で、近代主義的である。すなわち、話せばわかる、という人間観に立脚している。このモデルそのものが破綻しつつあるという状況を、本研究は正面から受けとめた上で、暴力や衝突を回避する条件が、どのように成立しうるのかを、非欧米圏の宗教的視点を加味しながら考察し、平和構築への手がかりを提言することできる。
3.先行研究と比べた本研究の独創性・特色
宗教間対話の研究は、欧米のキリスト教神学や宗教学において、とりわけ1960年代以降、活発になってきた分野である。自らの宗教を他の宗教との関係でどのように位置づけるかをめぐり、絶対主義、包括主義、多元主義といった類型も広く用いられてきた。特にリベラリズムの伝統の中では、すべての宗教を相対的に位置づける多元主義が宗教間対話にとっての理想的前提とされてきた経緯がある(ジョン・ヒックがその代表的人物)。わたし自身、こうした欧米において展開されてきた対話論を整理し、同時にその課題について指摘してきた(小原克博「現代神学における宗教的多元性――グローバル化する世俗化社会の行方」、『宗教研究』第329号、221-245頁)。
本研究では、宗教間対話の必要性を安易に論じるよりも、むしろ、宗教間対話が破綻したり、そもそも対話が成り立たない状況において、紛争や戦争が起こる状況に注目していく。宗教と暴力の関係を論じたマーク・ユルゲンスマイヤー『グローバル時代の宗教とテロリズム』(明石書店、2003年)において、宗教的暴力を引き起こす舞台装置として、終末論的な「コスミック戦争」の概念が提起されているように、宗教を対話的関係から暴力的関係へと移行させる一つの要因として、本研究も終末論的な要素に注目する(小原克博・芦名定道『キリスト教と現代――終末思想の歴史的展開』世界思想社、2001年)。特に現代世界における宗教紛争を考える際、宗教一般ではなく、ユダヤ教・キリスト教・イスラームの三つの一神教の相互関係に特別の注意を払う必要があり(小原克博「現代世界における一神教の意味」、『アレテイア』No.41、2003年、4-9頁)、本研究でもその点に十分な注意を払う。それに加え、日本社会でしばしば話題にされる、一神教世界が引き起こす戦争・紛争を、多神教的な寛容モデルによって解決できるという主張が、実際にはほとんど紛争解決に役立たないどころか、大きな問題を秘めていることを認識した上で(小原克博「一神教と多神教をめぐるディスコースとリアルポリティーク」、『宗教研究』第345号、221 -244頁)、真に見るべきポイントがどこにあるのかを現実の政治的・社会的状況の中に求めていく。その意味で、本研究は、宗教学・神学と政治学・社会学を横断する学際研究としての特質を持っている。
異なる宗教・宗派同士の衝突を未然に防ぐ条件設定として欧米社会が生み出した工夫の一つが政教分離の原則であるが(小原克博「日本人の知らない〈政教分離〉の多様性」、『論座』2001年10月号、89-41頁)、この原則が、西欧社会の宗教多元化が進む中で、機能不全を起こしつつある。つまり、この原則を安易に受け入れない信仰者が欧米社会のただ中で生活しているのである(小原克博「欧州新時代におけるイスラームとの対話」、『基督教研究』第66巻第 2号、2005年、19-42頁)。また、この原則を前提としない国家形成を目指すイスラーム国家も珍しくはない。したがって、西欧近代社会において宗教紛争の安全弁となってきた政教分離原則を、簡単に非欧米社会に適応することはできない。本研究は非欧米社会における宗教間対話を調査することによって、暴力や紛争を回避するための宗教と社会のインターフェイスが、どのような形で形成可能なのかを検証・考察していく。