研究活動

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事典項目「キリスト教原理主義」、井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂、2005年

キリスト教原理主義 きりすときょうげんりしゅぎ
Christian Fundamentalism [英]

 キリスト教原理主義は、多様な原理主義の一形態でありながら、用語法から見るなら、原理主義の原型としての役割を果たしてきたと言える。そもそも、原理主義者という言葉は、1920年代、米国において、キリスト教保守派が進化論や近代的な文献批評学と対決するために用いた「自称」であった。その呼び名は、1910〜1915年に刊行された「根本的なもの――真実への証言」(The Fundamentals: A Testimony to the Truth)という12巻の小冊子のタイトルに由来する。そこでは、聖書に記されていることを「文字通り」に受け取ることが、守るべき根本的的態度として確認されたのであった。この時代以降も、米国においては保守派とリベラル(自由)派の両極が突出した形で現れやすく、両者の動向を観察しやすい。両者の間に生じる緊張関係は、世界の各地でその相似形が見られるが、国際社会に対する影響力という点においても、米国における原理主義的動向がモデルとしての役割を果たしている。
 もともと神学の専門用語であった原理主義という言葉が、一般に流布するきっかけの一つとなったのが、1925年、テネシー州で行われた「スコープス裁判」であった。この裁判では、進化論を公教育で教えることの是非が争われた。進化論を教えて訴えられた生物学教師スコープスは敗訴したが、結果的にこの裁判を通じ、原理主義の考え方は、科学に反する前近代的思想として嘲笑の的とされていった。
 ところが1960年代以降、こうした動きに変化が現れる。カトリックでは、第二バチカン公会議(1962〜1965年)において様々な変革が提示されたが、それに対し、変化を拒絶し、伝統的教義に立ち返ろうとする人々が「原理主義者」と呼ばれるようになった。プロテスタントにおいても、同様の価値観を持つ人々が原理主義者と呼ばれたが、カトリック、プロテスタントいずれの場合も、原理主義者は、以前のように時代錯誤的なイメージの中にとどめることのできない社会的影響力を持ち始めることになる。原理主義は、社会の道徳的退廃を批判し、伝統への回帰に新しい共同体秩序を求めようとする宗教復興現象の担い手としての地歩を固めていくことになる。そして、リベラル派との対決姿勢を強める中で、キリスト教保守派は、1960年代以降、自らを「福音派」と呼び始めた。福音派の中でも、特に政治的関心の強いグループが原理主義者であり、今日の米国では、キリスト教原理主義者は、しばしば「宗教右派」とも呼ばれる。
 かつて政治への関与に消極的であった原理主義者は、1960年代から1970年代における政治的混乱を経る中で、「神の国」としての米国を再建することこそが建国の理念にかなうと考え、政治の世界に積極的に関与していくようになる。1980年代に注目を集めた組織として、ジェリー・ファルウェル率いる「道徳的多数派」をあげることができる。こうした全米規模の草の根運動は、パット・ロバートソンによって1989年に設立された「クリスチャン連合」や、ビル・マッカートニーによって1990年に設立された「プロミス・キーパーズ」などに引き継がれて、今日、多様な層をなしている。
 以上のように、1920年代の原理主義が神学的概念であるのに対し、1980年代以降の原理主義は政治的概念としての色彩が強い。現代において、原理主義を核とするキリスト教保守派は、同性愛、フェミニズム、自由主義的は福祉政策、相対主義、寛容、政教分離といったリベラル派が擁護しようとする価値観に対し、しばしば批判的な態度をとる。また神学的には、千年王国思想を重視し、この世を善と悪の戦いの場として見なす傾向が強い。こうした傾向は、敵を誇大視し、善悪二元論を前提とする昨今の米国の政治姿勢にも一部反映されていると考えられる。[小原克博]
【参】小川忠『原理主義とは何か』講談社,2003年.フート,W.(志村恵訳)『原理主義』新教出版社,2002年.