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「三・一一以降の宗教と公益──「近代」への批判的問いかけ」、『アンジャリ』(真宗大谷派・親鸞仏教センター)第25号、2013年6月、8-11頁

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●三・一一以降の社会状況の中で

 三・一一東日本大震災は、日本社会に大きな影響を与えたが、それがどのような規模と質のものであったのかを歴史的に検証するには、数十年の月日が必要となるだろう。我々は、その途上にいるわけであるから、今向いている方向が正しいのかどうかも、はなはだ心許ない。しかし、このような時であるからこそ、時代の推移を大きく捉えることが必要ではないか。
 それは日本社会を豊かにし、快適にしてきたと思われる「近代化」や「近代」とは、そもそも何であったのか、という問いにつながっていく。原子力発電は、近代科学の最先端の技術を使い、エネルギーの大量消費を前提とした快適な生活をもたらしてくれる夢の技術として、長きにわたり信奉されてきた。もちろん、三・一一の原発事故以降、そうした安易な信頼は崩れつつある。三・一一以降、何度「安全神話」の崩壊という言葉を見聞きしたことだろうか。確かに、原子力発電は安全だという言い方は、根拠のない「神話」であったと多くの人が感じているに違いない。しかし、古来、様々な宗教の中で蓄積されてきた神話や物語は人間の慢心を批判し、自然への畏れを教え、人知の限界を知ることの大切さを語ってきた。
 安全神話の崩壊をきっかけとして、神話的に語られてきた安易な安全対策を改め、いっそう安全な原発の建設を目標とすべきなのか。あるいは、古くからの神話的知恵に背を向けることなく、節度を持って自然の恵みを分かち合う自然エネルギー(代替エネルギー)の開発に大きく踏み込み、原発への依存度を低減していくべきなのか。エネルギー問題の解決は決して一筋縄にはいかないが、おおざっぱに言えば、このような分岐点に我々は立たされている。


●神話を振り返る

 その分岐点を前にして、我々がこれまで依拠してきた「安全神話」とは何であったのかを振り返ってみることが必要だろう。安全神話を構成していた物語の一つは、原子力を「必要悪」として許容してきたことである。ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下によって放射能のおぞましさを刻印された日本の戦後史において、核兵器は「絶対悪」として理解されてきた。核保有国が核兵器を「必要悪」と考えてきたのとは違う立場を、わが国は取ってきたのである。ところが、そのような日本にとっても必要悪としての原子力は、官民一体の推進政策の結果、必要「悪」としての側面を限りなく薄められ、むしろ「よきもの」としてアピールされてきた。そして、大多数の国民がそれを信じた。

 安全神話の根っこにあるもう一つの物語は、成長神話という別の神話的語りである。日本経済が成長し続けることに最大限の価値が置かれ、そのために大量生産・大量消費が前提とされた。経済成長には大量のエネルギーの安定供給が必要であると言われれば、それに異論を挟むことは難しい。しかし、もはや、そうした暗黙の追認を続けることはできない。我々もまた成長神話に信頼を置き、結果的に安全神話の一部を支えてきたことを自覚すべきであろう。
 安全神話の崩壊という言葉に触発されて、行き場のない怒りを政府や東京電力に向けるだけでは、長期的な展望を開くことはできない。がむしゃらに成長を求める時代は終わった。多くの経済大国は、成長の副産物として貧富の格差や環境破壊を生み出してきた。わが国は、それとは異なる「脱成長」の経済モデルを示し、エネルギー消費を抑制しながら、安定した社会基盤と豊かな自然環境を備えた、成熟した国作りを目指すべきであろう。再生の物語は、信頼に足る、新しい神話を世界に伝えることになる。では、宗教はそのプロセスにどのような形で関わることができるのだろうか。宗教は変わりつつある社会の中で役に立つのか、公益に資することができるのか、といった問題は、古くて新しい問いである。


●公益にかなう「よい宗教」

 近代日本においては、政教分離を前提とした宗教と倫理(道徳)の分離と、それに基づく国民道徳の普及が、国家の宗教政策の中核を占めた。仏教、キリスト教などの諸宗教は、そうした枠組みの中で、天皇を中心とした国民道徳に従う限りにおいて「よい宗教」として認められ、その活動を許された。反対に、国家秩序への従順を示さなかった一部のキリスト教や新宗教は、「悪い宗教」(邪教・妖教・外教等)として弾圧の対象になった。宗教および公益の境界設定をしたのは国家であった。
 戦後の日本社会では、戦前の宗教政策に対する反省も一因となって、宗教団体に対しては寛容な政策が取られてきた。その結果、信教の自由が広範囲に保証されたが、他方、宗教法人の乱立や、オウム真理教に代表される「カルト宗教」を生み出すことにもなった。一九九五年のオウム真理教による地下鉄サリン事件以降、宗教は一般的に「悪い」ものとしてイメージされることが多くなり、特に公的領域において宗教が現れることは忌避されてきた。
 しかし、東日本大震災は、宗教に対し、別のイメージを付与するきっかけを与えた。多くの宗教団体が震災支援に関わり、宗教の利他的な機能を発揮したことは、多くの場合、好意的に受けとめられ、それは結果的に、宗教の公益性という新しいテーマを喚起した。しかし、うがった見方をすれば、公益性が「よい宗教」であるための条件とされ、多くの宗教が「公益」を味方につけることによって「よい宗教」であることを演じようとしているとも言える。戦前の日本社会の公益(国益)に従った宗教と、三・一一以降の公益に奉仕する宗教との間の根本的な違いはどこにあるのだろうか。宗教による社会貢献が増進するのは望ましいことであるが、同時に、宗教固有の役割がどこにあるのかを意識しておかなければ、公益という、それ自体決して中立的ではない場に宗教的実践が取り込まれていく危険性がある。そのことを考えるための素材を自民党の憲法改正草案(二〇一二年四月)に見出すことができる。


●表現の自由そして信教の自由の今後

 改憲草案は多くの条文に言及しているが、ここでは宗教と公益の問題を考える際に重要な第二一条に注目したい。現行の条文では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」となっているが、改憲草案では「これを」を削除し、次のような第二項を追加している。「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」。第二項が第一項に記された「自由」を制限しているのは明らかであるが、この改正草案に対する説明を兼ねた「Q&A」では以下のような、注目に値する理由が述べられている。「オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動に対しては、表現の自由や結社の自由を認めないこととしました。内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然です」。
 簡単に言えば、「公益や公の秩序を害する」ものには自由を認めない、ということである。たとえ宗教法人であったとしても公益に反するもの(その例としてオウムがあげられている)には積極的に介入する準備がある、と読むことができるだろう。しかし、政府や裁判所が宗教法人の公益性をチェックするような体制ができると、宗教法人は自らが公益にかなっていることを「社会的に表現する」必要に迫られることになりはしないか。それは明らかに信仰の本義に反する。公益との関係にかかわらず、信教の自由は保障されるべきだからである。公益に貢献する宗教が「よい宗教」とされるようでは、「いつか来た道」をまたたどることになってしまう。
 宗教法人は世俗的側面と宗教的側面から成っている。財産などの管理・運営をする世俗的側面に関して問題があれば、指導を受けるのは当然である。しかし、信心や信仰、祭儀に関わる宗教的側面に関しては、公益との関係を問われる必要はない。国家の再生が声高に叫ばれる時代においては、公の秩序や公益が強調されがちである。しかし、そうであればこそ、宗教の固有の役割は、単にその一部となることではなく、世俗的な秩序や公益に還元されない役割と自由を自覚することにあるのではないか。


●記憶のエシックス

 ところで、世俗的な公益に左右されない宗教固有の役割とは何であろうか。この問いに対しては言うまでもなく複数の解答が考えられるが、私が強調したいのは「記憶」である。伝統宗教の多くは何らかの形で「記憶のエシックス(倫理)」を有している。二〇一一年には、法然八〇〇年、親鸞七五〇年大遠忌を記念する行事が行われた。二〇一一年、日本社会がどのような状況であったのかという記憶と共に、大遠忌はさらに五〇年後の八五〇年、八〇〇年大遠忌へと引き継がれていく。信仰共同体が継承する記憶は、個別の記憶を集合させるだけでなく、それを儀礼化し、身体化していく。
 現代の情報技術は、電子的な記録装置により膨大な情報を集積し、それへの検索を可能にするが、それは身体とのつながりがきわめて希薄な、しかし、それゆえに安易にネットワークを構築できる自由度を持っている。ソーシャル・ネットワークを介して誕生した運動は、社会を変えるほどの力を有している。しかし同時に、熱しやすく冷めやすいという現代的特性を考慮に入れるならば、今ある運動の勢いが三年後あるいは五年後に持続されているかどうかについて楽観することはできないだろう。
 膨大な情報に取り囲まれながら、しかしそれゆえに記憶喪失に陥りやすい現代社会において、世代を超えて記憶するという高度に身体的な行為を宗教が担っていくことができるとすれば、それをポスト三・一一の宗教の役割の一つに数えてよいのではないか。急速に冷えていく関心を「世の常」として傍観するのではなく、また、結論を出すのを急ぎすぎるのでもなく、問題を考え、逡巡し続けるためのエネルギーを供給することが大切であり、そのためには歴史の風化に抵抗できる記憶のエシックスが必要なのである。


●「宗教の公益性」から「公益の宗教性」の模索

 三・一一は宗教の社会的位置づけに変化を与え、その役割を問い直すきっかけを与えた。それは宗教の境界線への問いと言い換えることもできるが、もう一つの別の課題を取りあげてみたい。三・一一によってもたらされた危機は、自然災害と人災の複合体であるが、この未曾有の出来事は、あらためて自然への畏怖を引き起こすことになった。公益とは歴史的に何であったのかを日本に即して考えてみると、それは人間社会における利害関係を意味するにとどまらず、むしろ、人間と自然の間にこそ日常的な意味での公益が存在していたのではないかと推論することができる。人は自然を畏れつつ、そこから日々の糧を得てきたのであり、動物の命を奪う場合には、供養という形で、畏れと感謝の念を表してきた。この視点から見ると、現代社会における公益理解が明らかに人間中心的で、自然・動物と人間との間で成り立っていた公益をそぎ落とした上に構築された近代的な公益であることがわかる。
 三・一一以降、「宗教の公益性」が議論されてきたが、私が問題にしたいのは、むしろ「公益の宗教性」、公益の失われた宗教的的次元である。自然を社会の産業化のための資源と見なし、動物を大規模工場畜産の中で製品として扱い、人間の利益を最大化する中で、近代的な「公益」概念が成立してきた。しかし、三・一一によって、近代的な構築物がひっくり返されることにより、皮肉にも、その基底にある失われたもの、失われた公益が垣間見えたのである。
 失われたものは、日常の風景からは見えない。しかし、それが非常事態において終末論的風景として立ち現れてくることがある。こうしたことを私が考えるようになったきっかけの一つに、三・一一がもたらした動物に対する惨状がある。牛、豚、鶏などの家畜は放置され、なすすべもなく肉塊と化し腐敗していった。近代化された畜産により、食肉の大量消費に対応する大規模な食肉流通が可能となっているが、ひとたび家畜が感染や放射能汚染にさらされると、まさに人間の都合により、大量の命が廃棄されることになる。文字通り、公益のために。自然や動物と人間の関係を現在のように規定した「近代」が立ち現れてきた状況を想起しながら、近代的動物観(自然観)や人間観を批判的に検証するための足場を探ることが、公益の失われた次元を再発見・再評価する一歩になるはずである。
 さらに、生者と死者の間に成り立っていた関係を視野に入れ、過去から未来へと向かう時間軸を用いて、公益概念を拡大すれば、未来世代に対する現代世代の倫理的責任(非存在者への倫理)を考えることもできる。このようにして、人間中心的ではなく、現代世代中心的でもない公益理解(公益の宗教性)を再発見・再解釈することが、日本の宗教界に求められる現代的使命ではないか。そのような作業の中で、それぞれの宗教は公益に関与しつつも、そこに安易に吸収されることのない固有の役割と責任を果たすことができると思う。そして、それはポスト三・一一における近代批判の実践となる。
(こはら かつひろ・同志社大学神学部教授)
著書に『宗教のポリティクス──日本社会と一神教世界の邂逅』晃洋書房