「排除の力学を越えて──変わりゆく中国」(「現代のことば」)、『京都新聞』2010年10月22日、夕刊
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尖閣諸島をめぐる問題で日中関係の緊張が高まり、その後、ノーベル平和賞を中国の人権活動家・劉暁波氏が受賞したことに対する中国政府の強い反発が、国際社会に伝えられた。この二つの出来事を通じて、国家の権威を内外に示威しようとする中国政府の強硬な一面を、日本も、国際社会も再認識させられることになった。
領海や人権(言論の自由を含む)の尊重は、国際社会において獲得されてきた普遍的価値としての側面を持っている。それゆえ、国家秩序を盾にした強引な主張がなされた場合、そうした価値の普遍性に背を向けているのではないか、という疑念と批判が高まるのである。しかし、日本の近代史を振り返ってみれば、新しい世界秩序(国際連盟)から脱退し、自国の権益拡大をより重視した時代もあったのであるから、国際社会が要請する「普遍的」価値基準と国家的価値基準の間に生じる葛藤におぼえがないわけではない。
いずれにせよ、今回のノーベル平和賞は、国際社会が、中国の経済力以外の、どのような側面に注目し、期待しているのかを明瞭に示したと言えるだろう。外圧で民主化が進むわけではないが、変化への期待は大きい。
最近、中国を訪れた際、大きな変化に、あらためて驚かされることがあった。上海と南京で、グローバル化と宗教をテーマにした国際会議に招かれたのだが、そこには世界の各地から宗教研究者が招待され、中国の内外の宗教状況をめぐって発表や討論がなされた。それは、一昔前の中国であれば考えられないほどの自由で、高いレベルの交流であった。
1966年から約10年続いた文化大革命で、伝統的な文化財や知識人たちが大きな被害を受けたが、そこには宗教も含まれていた。文化大革命が終わってしばらくの間も、宗教を大学で研究し、教育することは、きわめて困難であった。宗教は、共産主義イデオロギーから見て否定的な評価を与えられていただけでなく、「普遍」を志向する宗教は、国家秩序を脅かす可能性を持っているので、時に弾圧され、厳しく管理されてきたのである。
しかし今や、上海をはじめ、中国の各地では宗教復興とも呼べるような状況が見られ、大学でも、これまでの遅れを取り戻そうとするかのように宗教研究が盛んになってきている。今回、上海では、複数の大学の大学院生を集めたセミナーで講義をした。そのセミナーは宗教を中心テーマにしていたにもかかわらず、上海教育委員会から多額の助成金を得て運営されていたことに驚きを禁じ得なかった。
これまでタブーとされてきたものに人々の関心が向き、同時に、その関心の受け皿が用意されつつある。共産主義イデオロギーだけでは、現代人の多様な関心を満たすことのできないことは政府も気づいている。対象が宗教であれ民主化であれ、既存の国家秩序からはみ出す差異を押さえ込む「排除の力学」だけでは、中国国民も国際社会も納得できないだろう。隣国の日本には、内側からの変化を見守り、外側からは毅然とした付き合いをしていくバランスと忍耐強さが求められている。