「読むことの昔と今──電子書籍の衝撃」(「現代のことば」)、『京都新聞』2010年6月1日、夕刊
学生時代、ドイツのマインツという街に数年住んでいたことがある。ライン川に面したその街はワインの名所として知られているが、グーテンベルクが最初の活版印刷技術を発明した場所でもある。来客があるたびに、グーテンベルク博物館に案内し、最初に印刷された42行聖書の解説をしたものだ。それらは、15世紀に印刷されたものとは思えないほどの色鮮やかさを残していた。
それ以前、文書を代々伝えていく手段は、人の手による写本であった。大量に作ることができないため、本はごく一部の特権階級の人しか手にすることができなかった。しかし、活版印刷技術の発明により、本の大量生産が可能になり、ドイツ語の標準化を含め、文化や学問の全体に大きな影響を及ぼすことになった。グーテンベルク革命と呼ばれるゆえんである。
今、アメリカに住んでいる私は、第二の出版革命とも言われる電子書籍ブームを身近に経験している。そのブームはまだ英語圏に限定されているかもしれないが、紙の印刷物が遅かれ早かれ電子書籍に移行していくことを予感させるのに十分なほどの勢いを感じる。電子書籍そのものは何年も前から存在していた。しかし、電子書籍の数や、それを読むための機器が実用的な段階にまで成熟し、一気に電子書籍を取り巻くマーケットを賑わすことになった。この流れは新聞や雑誌などのメディアにも大きな影響を与えようとしている。
本や新聞が印刷物としてではなく、電子画面上でもっぱら読まれるようになると一体何が変わるのだろうか。すぐに思いつくことの一つは、森林資源の節約ということだろう。かつて、パソコンが普及すれば画面上で確認できるので、紙の消費量が減るだろうと言われた。実際には減るどころか、大幅な増加となっている。
紙が簡単にはなくならない一つの原因は、長い文章をパソコンの画面で読むことが難しいからである。森林資源の節約に逆行するようであるが、私は、学生がリポートや論文を書くときには最終稿に至るまで必ず印刷するように指導している。画面で見ているだけでは誤字脱字を見落とすことが多いからだ。すでに数々の実験によって、紙と電子画面では人間の認識能力に違いが出ることが実証されている。しかし、最新の電子インク画面を持つ機器は、この問題をクリアーしつつある。
電子書籍のもう一つの利点は、どこでも、すぐに読みたいものを手に入れることができるという点である。何百ページもある本でも、30秒もかからずダウンロードすることができる。新聞は毎日自動的に機器に「配達」されてくる。一昔前は、洋書を取り寄せるには、丸善などの取次店を介して数カ月を要した。それだけに、注文していた本が届いたときには、まるで異世界の宝を手にしたようなときめきを覚えたものだ。
電子的な空間を闊歩するのも楽しいが、図書館で分解寸前の古い蔵書を手にしたときに伝わってくる歴史の重みは他に替え難い。茶色に変色した新聞の切り抜きは、人生の一部になっている。私の心は、15世紀と21世紀の二つの革命の間を行きつ戻りつしている。