「京都は世界からどのように見られているのか」(「現代のことば」)、『京都新聞』2010年4月8日、夕刊
初めて京都を訪ねようとしている外国人に対し、あなたなら、どのように京都を説明するだろうか。今、私はアメリカに滞在しているが、最近、アメリカの友人が初めて日本を旅行することになり、訪問先の一つである京都について、私自身が説明を求められたのであった。
実際、多くのアメリカ人はトーキョーとキョートの違いや位置関係を理解してはいない。しかし、キョートの実際を知らなくても、その名前を知っている人は少なくない。それはキョートの魅力と情報発信力のおかげというより、キョート・プロトコル(京都議定書)からの連想が大きいと思われる。京都議定書の効果が大きいことを、私は海外で何度も経験した。キョートから来た、というと京都議定書のキョートか、と返答されるのだ。しかし、京都議定書が2012年で一応の役目を終えることを考えると、京都議定書の妙味も、賞味期限が切れる直前にあると言える。
最初の問いに戻ろう。日本の文化や社会について十分な知識を持っていない人に対し、京都をどのように位置づけ、話したらよいのか。京都は、有名な寺社仏閣がたくさんある古都であり、数多くの大学を擁する学問の町でもあるといったことを説明することはたやすい。歩くルートを決めたり、立ち寄る場所を考えるためには、確かに、ある程度基礎知識があった方がよい。しかし、口頭での説明だけでは頼りないので、外国人旅行者向けの英語情報があればと思い、インターネットを検索してみた。
かなりの時間をかけてわかったのは、便利な情報は確かにあるものの、圧倒的に多くの情報が「帯に短し、たすきに長し」だということであった。英語のガイドブックも同様のものが多かった。魅力的な情報が少ないと感じた理由の一つは、日本人向けの情報をただ英訳しただけのものが多いことによる。多くの前提を必ずしも共有できない外国人にとって、日本語情報を英訳されただけではピントが合わないだろう。たとえば、南禅寺がリンザイ・ゼンの寺だと説明されても、どれほどの人がその意味を理解できるだろうか。
もう一つ感じたのは、公式な情報に対し、「場」の雰囲気を伝えてくれるような物語的情報が少ないということである。東京の場合には、米テレビ局CNNがウェブサイト上で提供する東京ガイドのように、文化から食事・宿泊まで、外国人が見て楽しめるような取材記事が比較的充実している。人はおもしろい物語やドラマに心惹かれる。NHKの大河ドラマを見た視聴者が、そのゆかりの場所を訪ねてみたくなるのは、場を共有してみたいと思う人間の自然な感情である。京都議定書が、多くの課題を抱えながらも、世界中の人々の口の端にのぼるのは、それが地球規模の新しいドラマの序曲となっているからである。
京都はドラマを感じさせる場所であり続けることができるだろうか。伝統を内輪向けの形式的な説明でしか語ることができないのは、肩書きでしか自己紹介できないのと同じくらい寂しい。まずは、自分自身を魅力ある「物語」として語ることができるのかどうか、足元を見つめ直してみよう。