「米軍基地」(「現代のことば」)、『京都新聞』2009年12月8日、夕刊
普天間基地の移設問題をはじめ、日本国内における米軍基地の存在が引き起こす問題は後を絶たない。戦闘機等による日常的な騒音だけでなく、米軍基地居住者が突発的に起こす事件も、なくなる気配はない。
いっそのこと米軍基地が国内からなくなればと願う人もいるに違いない。しかし同時に、冷戦後の時代においても、日本はアメリカの戦力に依存し、また、その一翼を担っているという現実がある。憲法が規定する平和主義とは矛盾する現実を私たちは抱えている。
矛盾と言えば、アメリカ国内における世界最大級の米軍基地(テキサス州フォートフッド)で11月初頭に起こった事件を思い起こさざるを得ない。皮肉にも、世界でもっとも安全であるはずの基地内部において13人が死亡し、42人が負傷する銃の乱射事件が起こった。従来のタイプに当てはまらない「一匹狼型テロリスト」の出現に危機感が高まっている。
容疑者のニダル・マリク・ハサン氏は軍の精神科医であった。イラクやアフガニスタンから帰還した兵士たちの心の病を治療していた彼は、自らも近々アフガニスタンに派兵されることのストレスに苦悩していた。
また、ヨルダン出身の両親を持つアメリカ生まれのムスリム(イスラム教徒)であるハサン氏は、戦争への反対を公然と表明する人物でもあった。彼にとって、テロとの戦いはイスラムとの戦いと同義であり、アフガニスタンでムスリム同胞を殺さなければならない状況に置かれることを恐れていた。実際、彼は「良心的兵役拒否」を主張しており、その意味では平和主義的軍人とも言える人物であった。
このように幾重もの矛盾を映し出した事件であったが、そこにはただ一方的に断罪し、個人の精神的問題へと還元するだけでは済まない、もっと根源的な問題が存在しているように思う。
犯行の動機は調査中であるが、彼がストレスを高じさせ、残虐な犯行へと至った背景の一つとして、9・11テロ事件以降、繰り返しムスリムであるがゆえの嫌がらせを受けてきたことがあげられる。私はここに、彼の内面における矛盾だけでなく、彼という人物とアメリカ社会との間における矛盾を感じる。
アメリカは「信仰の自由」を建国に由来するもっとも大きな価値として擁護してきた。10月下旬に、ヒラリー・クリントン国務長官が今年の「国際・宗教の自由報告書」を発表したが、この膨大な報告書では、北朝鮮、イラン、イラク、中国などが問題国として批判されている。しかし、当のアメリカにおいて、果たして信仰の自由や平和主義者でありたいという信念が、十分に守られていると言えるだろうか。今回の事件は、その矛盾を、まざまざと見せつけたような気がする。
平和主義を標榜するわが国における米軍基地の位置づけも、この種の矛盾と通じるところがある。国家や軍隊が暴力を集中管理するという仕組みを、我々は当たり前のように受け入れてきた。しかし、平和主義と軍事力との間に生じる矛盾は、憲法改正によって解決できないほど、もっと根源的なものであるに違いない。