「キリスト教」(特集「知っておきたい世界の宗教」)、『大法輪』2009年11月号
(一部抜粋)
キリスト教
信仰される地域:ヨーロッパ・南北アメリカ・アジアの一部・アフリカ・オセアニア
◆開 祖
イエス(紀元前六─四年頃誕生)がキリスト教の開祖とされる。ただし、ユダヤ人であるイエスと彼の弟子たちは、ユダヤ教の伝統の中で活動しており、自分たちが新しい宗教(キリスト教)を開始しているという意識はなかった。その意味では、イエスの運動(三〇歳代に開始され一年ほど続く)は、ユダヤ教イエス派と呼べるようなものであった。
しかし、イエスは、時としてユダヤ教の伝統的な戒(いまし)め(律法)に抵触する形で、身分の違いを超えた福音の宣教(「神の国」の告知)を行ったため、ユダヤ教主流派の人々から反感を買い、最終的に、ローマ帝国に対する反逆者として十字架刑に処せられた。
新約聖書によれば、イエスは死の三日後に復活し、弟子たちの前に現れ、四〇日後に天に昇ったとされる。いったんイエスを見捨てた弟子たちは、復活したイエスと出会う中で、イエスを「メシア」(救い主)として再認識した。このメシアがギリシア語で「キリスト」と呼ばれることになった。イエス・キリストという呼び名は「イエスはキリストである」という信仰の告白を含意しており、そこにキリスト教の起源を求めることができる。
◆聖典・教え
キリスト教は旧約聖書(全39巻)と新約聖書(全27巻)を聖典としている。それぞれ「古い契約」「新しい契約」という意味を有しているが、現在あるような形で、各文書が聖書としてまとめられ、正式に認定されたのは、397年のカルタゴ教会会議においてである。それ以前には地域によって、教会で用いられる書物には違いがあり、結果的に「聖書」の中に含められなかった「外典(がいてん)」「偽典(ぎてん)」と呼ばれる書物もある。こうした書物と区別する意味で、聖書は「正典」と呼ばれる。
しかし、初期キリスト教の様子を知るためには、正典に含められなかった書物も重要であり、近年話題になったものとして『ユダの福音書』(裏切り者とされてきたユダが実は真理を授かっていたとする)や『マグダラのマリアの福音書』(小説『ダ・ヴィンチ・コード』などが素材として利用)などがある。
キリスト教の基本的な教えが聖書に基づいていることは言うまでもない。しかし、元来、パレスチナにおけるユダヤ的な文化・伝統(ヘブライズム)を前提にしているイエスの教えは、地中海周辺のギリシア語世界(ヘレニズム)へと伝達される中で、様々な思想的影響を受け、教会の神学の中に組み込まれていく。その意味で、イエスの教えと教会(キリスト教)の教えの間の〈距離〉を理解することは重要である。
◆歴 史
キリスト教は、ローマ帝国が支配する辺境の地ユダヤの地方都市ナザレを拠点に、ユダヤ教内部におけるイエスによる「神の国」運動として始まった。最初期において、イエスを中心とした信仰共同体とユダヤ教とは未分化であったが、66─70年のユダヤ戦争を境として両者は互いの違いを強く意識し始め、その後徐々に、キリスト教は独立したアイデンティティを形成していく。
イエスの教え(福音)は、50年の頃にはすでにパウロたち宣教師によって、地中海沿岸の諸都市に伝えられ、後にローマにまで達することになった。地中海世界に広がったキリスト教は、ローマ、コンスタンティノポリス、アレキサンドリア、アンティオキア、エルサレムという中心拠点を持ったが、この中でも、後の時代に続く強い影響力を持ったのはローマとコンスタンティノポリスであった。
西方世界においてはローマを中心とするローマ・カトリック教会が形成され、他方、コンスタンティノポリスを中心とする東方世界においては、東方正教会が形成された。
西方世界では、16世紀に宗教改革が起こり、プロテスタント教会が誕生した。また、正教会の伝統は、ビザンティン帝国崩壊(1453年)後も、ロシア正教会などに受け継がれていった。
歴史的経緯によって生じた、こうした教派の違いが時として大きな軋轢(あつれき)や紛争につながることもあったが、20世紀初頭、教派の違いを乗り越えていこうとするエキュメニカル運動(教会一致運動)が起こり、今日、世界教会協議会(WCC)などがその取り組みを続けている。
◆他宗教と比べた特徴
キリスト教は教義の面では、ユダヤ教・イスラム教と同様に、一神教としての特徴を有しており、その点で他の宗教、とりわけ多神教や自然崇拝を含む宗教とは異なる信仰的態度をとる場合がある。たとえば、神以外のものを神と見なさないという偶像崇拝の禁止の立場から、像を刻んで拝むことや、先祖の霊に対する供養などをすることはない(ただし、マリア崇拝・聖人崇拝のように仏像崇拝に近似しているものもある)。
また、キリスト教は社会奉仕に積極的であり、世界各地で学校や病院、福祉施設の設立に取り組んできた。
◎新約聖書と旧約聖書の違い
旧約聖書と新約聖書は共にキリスト教の「正典」であるが、それぞれが編集された歴史的経緯は大きく異なる。
キリスト教において旧約聖書と呼ばれてきた書物は、ユダヤ教の聖典であり、ユダヤ教徒にとっては今なお、新旧の区別なく唯一の「聖書」であり続けている。また当然のことながら、新約聖書の諸文書を記したパウロや福音書記者たちにとっても、ユダヤ教の「聖書」だけが聖書であり、彼らは「新約聖書」「旧約聖書」という名称を知らなかった。これらの名称が確立してくるのは、二世紀以降である。
キリスト教がユダヤ教の「聖書」を旧約聖書と名付けてきたことが、ユダヤ教に対する差別感情を助長する一因となったのではないかという反省が近年なされ、とりわけ学問世界においては中立的な表記として、旧約聖書より「ヘブライ語聖書」という呼び名が用いられている。ヘブライ語聖書はヘブライ語(一部はアラム語)で記されているのに対し、新約聖書はキリスト教成立期の地中海世界で共通語として用いられていたコイネー・ギリシア語で記されている。
◎カトリック・プロテスタント・東方正教会の違いは?
キリスト教は今や数え切れないほどの教派を有しているが、大きくは、ローマを中心とした西方教会とコンスタンティノポリスを中心とした東方教会が起源となっている。11世紀の頃までは両者はそれぞれ異なった信仰上の強調点を有しながらも、互いに教会としての一体性を認め合っていたが、1054年、激しい論争がもとになって東西教会は分裂した。それ以降、西のローマ・カトリック教会に対し、東方教会は東方正教会としての独立性を強めていく。
カトリック教会が教皇を中心とした統一組織を持っているのに対し、東方正教会は各地域における教会の自立性を尊重する。コンスタンティノポリスは中心的な役割を負ってきたが、ロシア正教会・ギリシア正教会・ルーマニア正教会・ブルガリア正教会など、それぞれの地域で独自の言語を用いた礼拝を行っており、それぞれの間に序列関係はない。 プロテスタント教会は、16世紀の宗教改革を経て、カトリックから分離・独立する形で形成されていった。宗教改革の原理として、「聖書のみ」「信仰のみ」「万人祭司」があげられるが、いずれの原則もカトリックに対する反対命題となっている。
①教皇が出す諸文書ではなく聖書のみを基礎とし、②カトリックが推奨する行い(たとえば免罪符の購入)によってではなく、信仰によってのみ、神の前で義とされることを説き、③カトリックの階級制度に依存することなく、万人が神の前で平等に祈り、奉仕することができることを主張した。
結果的に、カトリックや東方正教会にとって伝統の一部となっていたマリア崇拝や聖人崇拝は、プロテスタント教会では、信仰にとって不必要なものとして否定されることになった。正教会ではイコン(聖像)崇拝が盛んであるのに対し、カルヴァン派の宗教改革運動の中では、宗教画などは徹底して排除された。また、宗教改革者マルチン・ルターが妻帯したことから、プロテスタントの諸教派では聖職者の妻帯が認められている。それに対し、カトリック教会と正教会は、原則的に聖職者の妻帯を禁止している。
聖職者のことをカトリックや正教会では「司祭」と呼び、プロテスタントでは「牧師」と呼ぶ。カトリックの「神父」とは、司祭に対する呼び名であり、職名ではない。
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