「宗教は人類最古の広報エージェント――古くて新しい宗教広報の現場」、『PRIR(プリール)』(宣伝会議)2007年7月号
■『PRIR』2007年7月号
https://www.sendenkaigi.com/hanbai/magazine/prir/index_0707.html
大切な情報や貴重な経験をより多くの人に伝えたいという欲求を人類は太古の昔より持っている。人類史と同じ長さをもつ、この欲求を体系的に整えてきたのが宗教である。その意味で、宗教は人類最古の広報エージェントであると言うこともできる。
宗教の一つの役割は、人間の日常と、何かしら人間を超えた超越的存在(世界)との間の橋渡しをすることにある。恍惚状態の中でシャーマンが「あの世」と「この世」をつなぐメッセンジャーとなるのは、その一例である。人は非日常の経験にさらされることにより、日常的な常識を揺さぶられ、枯渇しかけていた想像力が再活性化される。そのような技法を、宗教は長い時間をかけて蓄積してきた。それゆえ、豊穣な宗教的シンボリズムや神話の語りは、時代を超えて受け継がれてきたのである。
たとえば、現代の小説や映画の中にも、そうした要素をたっぷりと見ることができる。はるか未来の世界(宇宙)を描いた「スターウォーズ」は、善と悪の闘争という古典的舞台設定の上に、父と子の葛藤や、霊的力(フォース)による導きなど古代ギリシアの神話的素材がふんだんに散りばめられている。ハイテクのビーム兵器だけでは物足りない。不思議にも、(フォースを)「念じる」というローテクが未来の宇宙戦争に対し、絶妙な機微を与えている。
昨年世界の各地で騒動を起こした「ダ・ヴィンチ・コード」などは、我々にとっては「たかが小説で・・・」と言いたくなるような代物である。しかし、西洋人の宗教的な琴線に触れてしまうと、その賛否をめぐって巨大なマーケットが形成されてしまうほどに、世俗世界の底流にはまだまだ熱い宗教的マグマが流れているということを、あの騒動は示していた。
宗教とマーケットの結びつきは、何も最近のことではない。その歴史のはじめから、宗教は儀礼の実施にとどまらず、時として多彩なマーケットを副産物として生み出してきた。男女の交合に生の神秘を見出そうとするタイプの宗教においては、神殿娼婦の存在は神々しいものであったに違いない。元祖セックス産業とも言えるが、現代社会が失いつつある「性」と「生」と「聖」が渾然一体となったコスモス(世界)を、そこにかいま見ることができる。
「占い」の歴史も古い。いつの時代も人は「運命」に翻弄されることを知っているがゆえに、その運命をわずかでものぞき見たいと欲する。我が国の「おみくじ」もその一例であり、小さな紙切れが生み出す広大なマーケットは、宗教ビジネスの先駆けとさえ言えるだろう。
視点を過去から現代に移してみよう。宗教が巨大な広報ビジネスと結びついている最先端の現場をアメリカにおいて見ることができる。世界でもっともテクノロジーの進んだこの国は、ある意味、もっとも宗教的な国でもある。95%の人が神を信じ、約4割の人がほぼ毎週礼拝に出席しているというのは、驚異的な数字である。アメリカの文化や政治を宗教抜きに語ることはできない。
広報戦略がもっとも重視され、またその戦略の適否がすぐさま結果となって現れるのが選挙である。とりわけ、最大の選挙である大統領選挙には、何年も前から膨大な資金が広報活動のために投入される。大統領候補者の資質が重要なのは言うまでもないが、民主党と共和党の候補者がほぼ互角にぶつかり合う近年の選挙では、広報戦略の微妙な采配が勝敗を分けるとも言われている。
1980年代以降、共和党は宗教(キリスト教)保守勢力と密接な協力関係を持つことによって、大票田を得てきた。では、宗教保守勢力はどのようにして巨大な集票能力と資金調達能力を獲得してきたのであろうか。その答えの一つとなるのがテレバンジェリスト(テレビ説教家)たちの働きである。テレビとエヴァンジェリストを結びつけたこの新語は『タイム』誌によって造られたと言われているが、1970年代以降、マスメディアとしてのテレビが普及し、多様化する中で、宗教保守勢力がテレビを用いた大衆伝道を展開していった。しかも、それは信仰に関するメッセージの伝達にとどまらず、世俗化しつつあったアメリカ社会に対し警告を発し、伝統的な道徳的価値を中心に、草の根レベルの大同団結を呼びかけることになった。
宗教番組というと日本では、なじみのないこともあって、どれくらいの視聴者が実際いるのかと訝しく思うことだろう。驚くことに、一週間の内に一度以上テレビ説教を見る人は、成人アメリカ人の3分の1に及ぶという調査結果が出ている。地域・年齢・社会層によって違いがあるのは言うまでもないが、平均して、これほど多くのアメリカ人がテレバンジェリストたちの話に耳を傾けているとすれば、その影響力が半端ではないことは明らかである。
かつて「プリモダン」(前近代的)との烙印を押されていた保守層が、リベラル層をはるかに凌駕する形で、「モダン」(近代的)なツールを積極的に用い、効果的なイメージ戦略を展開していく有様は、ある意味「ポストモダン」な次元に属している。そこでは近代的な価値(価値相対主義など)に対する異議申し立てがなされ、人々の心を引きつける。
また、インターネットや衛星放送が普及するやいなや、それを広報戦略に活用していく姿は、今やアメリカの宗教保守勢力だけでなく、アル・ジャジーラのようなアラブ系メディアにおいても典型的に見られる。アル・ジャジーラは欧米メディアでは十分に伝えられないイスラーム世界の現実を、主としてアラビア語で発信することによって、欧米メディアの寡占体制に挑戦しているとも言える。
日本では、宗教に対する理解不足や偏見がまだ多いが、広く世界を見渡してみるならば、これほど時代に対し挑戦的で、また使い勝手のある広報「素材」は珍しいのではないか。問題は、時として「骨董品」「化石」とも見間違えかねないその素材を、どのようにして新たな「神話」的ツールに仕立て直していくかにある。知恵の絞り甲斐のある課題ではなかろうか。
https://www.sendenkaigi.com/hanbai/magazine/prir/index_0707.html
大切な情報や貴重な経験をより多くの人に伝えたいという欲求を人類は太古の昔より持っている。人類史と同じ長さをもつ、この欲求を体系的に整えてきたのが宗教である。その意味で、宗教は人類最古の広報エージェントであると言うこともできる。
宗教の一つの役割は、人間の日常と、何かしら人間を超えた超越的存在(世界)との間の橋渡しをすることにある。恍惚状態の中でシャーマンが「あの世」と「この世」をつなぐメッセンジャーとなるのは、その一例である。人は非日常の経験にさらされることにより、日常的な常識を揺さぶられ、枯渇しかけていた想像力が再活性化される。そのような技法を、宗教は長い時間をかけて蓄積してきた。それゆえ、豊穣な宗教的シンボリズムや神話の語りは、時代を超えて受け継がれてきたのである。
たとえば、現代の小説や映画の中にも、そうした要素をたっぷりと見ることができる。はるか未来の世界(宇宙)を描いた「スターウォーズ」は、善と悪の闘争という古典的舞台設定の上に、父と子の葛藤や、霊的力(フォース)による導きなど古代ギリシアの神話的素材がふんだんに散りばめられている。ハイテクのビーム兵器だけでは物足りない。不思議にも、(フォースを)「念じる」というローテクが未来の宇宙戦争に対し、絶妙な機微を与えている。
昨年世界の各地で騒動を起こした「ダ・ヴィンチ・コード」などは、我々にとっては「たかが小説で・・・」と言いたくなるような代物である。しかし、西洋人の宗教的な琴線に触れてしまうと、その賛否をめぐって巨大なマーケットが形成されてしまうほどに、世俗世界の底流にはまだまだ熱い宗教的マグマが流れているということを、あの騒動は示していた。
宗教とマーケットの結びつきは、何も最近のことではない。その歴史のはじめから、宗教は儀礼の実施にとどまらず、時として多彩なマーケットを副産物として生み出してきた。男女の交合に生の神秘を見出そうとするタイプの宗教においては、神殿娼婦の存在は神々しいものであったに違いない。元祖セックス産業とも言えるが、現代社会が失いつつある「性」と「生」と「聖」が渾然一体となったコスモス(世界)を、そこにかいま見ることができる。
「占い」の歴史も古い。いつの時代も人は「運命」に翻弄されることを知っているがゆえに、その運命をわずかでものぞき見たいと欲する。我が国の「おみくじ」もその一例であり、小さな紙切れが生み出す広大なマーケットは、宗教ビジネスの先駆けとさえ言えるだろう。
視点を過去から現代に移してみよう。宗教が巨大な広報ビジネスと結びついている最先端の現場をアメリカにおいて見ることができる。世界でもっともテクノロジーの進んだこの国は、ある意味、もっとも宗教的な国でもある。95%の人が神を信じ、約4割の人がほぼ毎週礼拝に出席しているというのは、驚異的な数字である。アメリカの文化や政治を宗教抜きに語ることはできない。
広報戦略がもっとも重視され、またその戦略の適否がすぐさま結果となって現れるのが選挙である。とりわけ、最大の選挙である大統領選挙には、何年も前から膨大な資金が広報活動のために投入される。大統領候補者の資質が重要なのは言うまでもないが、民主党と共和党の候補者がほぼ互角にぶつかり合う近年の選挙では、広報戦略の微妙な采配が勝敗を分けるとも言われている。
1980年代以降、共和党は宗教(キリスト教)保守勢力と密接な協力関係を持つことによって、大票田を得てきた。では、宗教保守勢力はどのようにして巨大な集票能力と資金調達能力を獲得してきたのであろうか。その答えの一つとなるのがテレバンジェリスト(テレビ説教家)たちの働きである。テレビとエヴァンジェリストを結びつけたこの新語は『タイム』誌によって造られたと言われているが、1970年代以降、マスメディアとしてのテレビが普及し、多様化する中で、宗教保守勢力がテレビを用いた大衆伝道を展開していった。しかも、それは信仰に関するメッセージの伝達にとどまらず、世俗化しつつあったアメリカ社会に対し警告を発し、伝統的な道徳的価値を中心に、草の根レベルの大同団結を呼びかけることになった。
宗教番組というと日本では、なじみのないこともあって、どれくらいの視聴者が実際いるのかと訝しく思うことだろう。驚くことに、一週間の内に一度以上テレビ説教を見る人は、成人アメリカ人の3分の1に及ぶという調査結果が出ている。地域・年齢・社会層によって違いがあるのは言うまでもないが、平均して、これほど多くのアメリカ人がテレバンジェリストたちの話に耳を傾けているとすれば、その影響力が半端ではないことは明らかである。
かつて「プリモダン」(前近代的)との烙印を押されていた保守層が、リベラル層をはるかに凌駕する形で、「モダン」(近代的)なツールを積極的に用い、効果的なイメージ戦略を展開していく有様は、ある意味「ポストモダン」な次元に属している。そこでは近代的な価値(価値相対主義など)に対する異議申し立てがなされ、人々の心を引きつける。
また、インターネットや衛星放送が普及するやいなや、それを広報戦略に活用していく姿は、今やアメリカの宗教保守勢力だけでなく、アル・ジャジーラのようなアラブ系メディアにおいても典型的に見られる。アル・ジャジーラは欧米メディアでは十分に伝えられないイスラーム世界の現実を、主としてアラビア語で発信することによって、欧米メディアの寡占体制に挑戦しているとも言える。
日本では、宗教に対する理解不足や偏見がまだ多いが、広く世界を見渡してみるならば、これほど時代に対し挑戦的で、また使い勝手のある広報「素材」は珍しいのではないか。問題は、時として「骨董品」「化石」とも見間違えかねないその素材を、どのようにして新たな「神話」的ツールに仕立て直していくかにある。知恵の絞り甲斐のある課題ではなかろうか。