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CISMOR公開講演会「イスラエルのアイデンティティ― ─ 神話から歴史へ」

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 本日、アブラハム B. イェホシュア(イスラエル人作家)を講師として、CISMOR公開講演会「イスラエルのアイデンティティ― ─ 神話から歴史へ」が開催されました(私は司会)。イェホシュア氏はイスラエルを代表する作家で、ノーベル文学賞の候補にもあがっているそうです。今回の講演会は、第6回ユダヤ学会議の一部として行われました。
 講演は、文学の話を一部含みながらも、広くユダヤ人のアイデンティティをめぐった話となりました。以下に、私のメモをつけておきます。
■イスラエルのアイデンティティ── 神話から歴史へ
 アブラハム B. イェホシュア(イスラエル人作家)

 イスラエルでは、シオニズムの歴史をどのように教えたらよいのか、議論が続いている。ハアーレツ紙にある記事が掲載された。そこでは、歴史的な真実(都合の悪い事実も含めて)を明らかにしつつも、2000年以上にわたって形成されてきたユダヤ人のアイデンティティを破壊せずに維持することができるのかどうか、という問いかけがなされていた。
 ショーレムは、シオニズムとは歴史への帰還である、と語った。この言葉は奇妙に聞こえるかもしれない。なぜなら、シオニズム以前からユダヤ人の歴史はあったのだから。しかし、それは神話であったのかもしれない。
 歴史と神話の二つのアイデンティティを考えることは、他の国に関しても同様の課題がある。グローバリゼーションの中で、神話を基礎とするアイデンティティと歴史を基礎とするアイデンティティがせめぎ合っている。
 神話とは何か。ロラン・バルトによれば、神話とは世界の姿そのものではなく、世界がそうありたいという姿のことである。ギリシアでは、人間と世界の出来事・現象との間の関係を説明することであった。これは人間の世界に対する見方ことであり、真実そのものではない。
 神話は歴史的な吟味を要するものから、まったくそうしたことを必要としない荒唐無稽な物語まで様々なものを含んでいる。だからこそ、神話は宗教と深い関係を持つと言える。イエスの磔刑もそのような視点から理解することができる。
 ユダヤ人にとっては、民族への帰属よりも、宗教的アイデンティティの方が強い場合が多い。地理的にはきわめて離れたユダヤ人同士であっても、ユダヤ人としてのアイデンティティを共有することできる。神話はスーパー・ストーリーのような役割を果たすことがある。
 例をあげたい。イスラエルの第一神殿はバビロニアによって紀元前580年に破壊された。第二神殿はローマによって紀元後70年に破壊された。両者の間に600年の時間的隔たりがあり、両者を取り巻く政治環境はまったく異なる。もともと両方の神殿破壊を記念する儀礼があったが、後にそれらが一つになった。「破壊」にまつわる概念が、この二つの出来事を一つにした。これは一種の神話であると言ってよい。
 次にマイモニデスを例にあげたい。彼の思想的背景や、イスラームからどのような影響を受けたことなどについては、ほとんどの人が知らない。そうした知識がないままにマイモニデスの思想が、一種の神話になってしまっている。
 ユダヤ人のアイデンティティが神話的ものであったがゆえに、ユダヤ人がユダヤ人であることが保たれていた。神話の特徴の一つは、容易に移動できることである。私は昨日、京都で様々な寺院を見たが、いつ作られたかという記録が非常に正確に残されている。しかし、ポーランドのユダヤ人のことを考えてみると、14世紀のシナゴーグやどうであったのか、といったことについての記録は何も残っていない。ユダヤ人は、ホテルからホテルへと移動するように、移動してきた歴史を持つ。
 ユダヤ人は、エジプトを脱出した民族として自分たちを理解してきた。この出エジプトの物語とユダヤ人のアイデンティティは強く結びついている。そこでは、この物語が史実であるかどうかは関係ない。
 この種の神話的アイデンティティの長所は、歴史的な状況に依存しないという点にある。言語、歴史などに依存せずに、場所から場所を移動しながらも同一のアイデンティティを維持することができる。メシアが現れるとき、すべてのユダヤ人がイスラエルに帰還するという神話がある。キリスト教徒であれば、それぞれの地であがないがなされると考えられるが、ユダヤ人の場合にはイスラエルという土地と結びついており、それも神話の一部となっている。
 こうしたアイデンティティのマイナス面、つまり、歴史的なつながりを持たないというマイナス面はプラス面より大きかったかもしれない。ユダヤ人の存在そのものが神話となったからである。そのことが第二次世界大戦中のユダヤ人の大虐殺につながっていった。それをなしたナチスのアイデンティティも神話的なものであった。ユダ人の3分の1が、ナチスの犠牲となった。神話を根拠とした虐殺であった。
 だからこそ、シオニズムは歴史への帰還なのである。それは他民族の歴史について学ぶことでもある。神話を変えることはできない。しかし、歴史を変えることはできる。日本はそのよい例である。戦前、日本は全体主義的で神話的国であったが、戦後はリベラル・デモクラシーの国となり、その歴史を大きく変えた。
 ユダヤ人は神話的なアイデンティティを長らく持ってきたので、歴史への帰還は決して容易のものではない。イスラエルのパートナーである米国も、きわめて神話的な国だと言える。英国でシェークスピアを繰り返し演じるのは、彼らの歴史的アイデンティティを確認するためである。しかし、同様のことはイスラエルでは難しい。ユダヤ人は多くの国で暮らしてきたので、その歴史を記すことは容易ではない。
 12年前、新しい千年紀を迎えたとき、千年後に私たちの時代は記憶されているのだろうかと考えた。同時に、そうしたことを考えるために、私たちもまた千年前のことを考えなければならないと思い、小説『最初の千年紀の終わりへの旅』を記し、その中で二つのユダヤ人コミュニティについて書いた。そこでは伝統的なユダヤ的価値観・慣習と、それとは異なるヨーロッパ的な価値観との葛藤を、結婚のあり方を中心にして描いた。歴史的に言えば、ユダヤ人とムスリムの関係は、ユダヤ人とクリスチャンの関係より近かった。千年前の舞台となったパリを小説として描くことは簡単であったが、当時のユダヤ人の生活を描くことは、記録が少ないため困難を極めた。
 ユダヤ人は自らのアイデンティティを確立するために、教皇や王のような権威を必要としない。自分自身に従って、自分のアイデンティティを見いだす。神話が歴史を覆い尽くすようなことがあるが、我々はそれと戦い続けなければならないのである。

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