日本宗教学会 第71回学術大会(皇學館大学)
9月7日から9日まで、伊勢の皇學館大学で日本宗教学会 第71回学術大会が開催され、参加しました。
私は初日の公開シンポジウムのパネリストとして発表をしました。要旨等をアップしておきましたので、関心のある方はご覧ください。
この公開シンポジウムの趣旨や構成については、下に概要をつけておきます。
皇學館大学は神社の神職を要請する学校として始まり、今年、創立130周年を迎えられました。キャンパスは決して大きくありませんが、森に囲まれ、神道的な雰囲気をたたえながら、新築のきれいな校舎を擁する、とても気持ちのよいキャンパスで、三日間を快適に過ごすことができました。
せっかく伊勢まで来ましたので、学術大会の合間をぬって、伊勢神宮(内宮と外宮)にも足を運びました。写真を以下のページでご覧いただけます。
第71 回学術大会シンポジウム「ためされる宗教の公益」
テーマ「ためされる宗教の公益」
不特定多数の利益をもたらすという観点から宗教の公益性が説明されることがある。しかし、それに対して、現実には救いにしても、癒しにしても、多くの場合、関わりのある特定の信者への利益にしかなっていない、という批判もある。
宗教といっても千差万別であり、種々の異なる宗教がその置かれた社会環境の中で救済活動を行ったり、神仏に思いを起こさせたり、現世利益をもたらしたりといった宗教的役割を果たしてきた。また、潜在的にではあるが、微力ながらも人々の心を安定させるとか、結びつきを強めるとかいった役割も有してきた。一つの宗教はそれ自体では及ぼす影響の範囲が狭く、不特定多数の者に利益をもたらすことはできないが、各々固有の特色をもつ宗教が同様のはたらきをすることによってトータルな意味での宗教の公益と見ることもできよう。
本シンポジウムでは3・11 震災後、復興に向かって各地で明るい動きがあるなかで、災害のその時に臨んだ宗教、あるいはまた復興の時に臨んでいる宗教の社会的役割を"公益"という観点からあらためて問いかけてみたい。くり返される震災や頻繁に起こる風水害、それからの復興など、非常の事態、ぎりぎりの状況下において宗教には何ができ、何ができなかったのか。被災地では在来の諸宗教や外からの宗教ボランティアはどう機能し、どのように受け止められたのか。宗教的使命感から動いた人々にジレンマはなかったのか。災害復興の過程で宗教はどのような位置を占めうるのか。宗教の祈りは災害下にある社会や復興しつつある社会の中でどのような意味をもちうるのか。度重なる自然災害を経験してきた人々は、供養や神事芸能といった伝統的な宗教的営みの中に災害を語り継ぐ後世へのメッセージを残してはいなかったか。さらに、復興にあたり、人々は自然環境にいかなる倫理性をもって向き合おうとしているのか。
そもそも信仰は個人的なもので、宗教に公益を求めるべきではない、とする見方もあるが、ここ数年来の日本の宗教界の懸案となっている宗教の公益性について熱い議論を期待したい。
<パネリスト>
稲場圭信(大阪大学) 岡田真美子(兵庫県立大学)
小原克博(同志社大学) 鈴木岩弓(東北大学)
<コメンテーター>
中牧弘允(国立民族学博物館)
<モデレーター>
櫻井治男(皇學館大学)