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CISMOR講演会「中国における宗教── 一神教に焦点を当てて」

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 9月24日、CISMOR講演会「中国における宗教── 一神教に焦点を当てて」が開催されました。三名の中国人研究者に、それぞれ中国におけるユダヤ教、キリスト教、イスラームについて話していただきました。中国における宗教の研究自体が、まだ日本では十分になされていませんが、このような三つの宗教を組み合わせ、中国人研究者に話してもらうというのは、おそらくこれまでなかったことだろうと思います。
 パネルディスカッションでは、それぞれの宗教の政府との関係や、宗教研究に対する許容度が、近年非常に高くなってきていることなどについて質問し、答えていただきました。
 今回も、簡単なメモをつけておきます。関心ある方は以下をご覧ください。今後も、東アジアのコンテキストを意識した講演会を定期的に行っていきたいと考えています。

中国における宗教── 一神教に焦点を当てて
 
■ 中国のユダヤ教をたどる
徐 新(中国・南京大学教授、ユダヤ学研究所所長)
 
 歴史的には、中国のユダヤ人を1840年以前にやってきたユダヤ人と、それ以降にやってきたユダヤ人に分けて考えることができる。1840年以前のユダヤ人は中国人と見なされていたが、それ以降のユダヤ人は外国人と見なされた。
 唐の時代、ユダヤ人が中国にいたという記録がある。日常生活の中でユダヤ教の教えを実践していた。たとえば、安息日、食事規程などについては、よく守られていたことを記録から読み取ることができる。ユダヤ人が肉から腱を取り除いていたことも、同時代の中国人の観察からわかる。シナゴーグも建設された。
 近現代に入って、より多くのユダヤ人が中国に入ってきた。ユダヤ人の中国人化がなされたように見えるが、彼らはそれを認めていない。1870年頃には、特に上海でシナゴーグが新たに建てられるようになった。19世紀末から20世紀にかけてハルビンにユダヤ人がやってきた。
 特徴的なものの一つにユダヤ教の墓がある。墓を見ることによって、ユダヤ人の存在を知ることができる。ユダヤ教の教典を教育をする学校も作られた。
 4万人以上のユダヤ人がいたと言われているが、第二次世界大戦が終わった後、大きな変化が起こった。ユダヤ人たちが中国を離れていった(主に経済上・生活上の理由で)。香港ではユダヤ人は大部分が残った。
 中国はユダヤ教に対し、どのような政策をとったのか。彼らの宗教的習慣を尊重していた。宗教を変えるように迫ったことはなかった。ヨーロッパではユダヤ人に対する迫害があったが、中国では迫害はなかった。
 共産党政権下では、ユダヤ教は公認宗教ではないため、カイフウにいたユダヤ人は外国人ではないと考えられた。ビジネスの視点から、ユダヤ教のラビに中国に来ることを認めた。上海にはじめてラビがやって来て、シナゴーグを再建した。北京にはもともとシナゴーグはなかったが、ここ30年、多くのユダヤ人がビジネスでやってきたため、祈祷のための場所が造られた。
 ユダヤ人と中国人の結婚を通じて、あるいはユダヤ人が中国人孤児を引き取ることによって、中国のユダヤ人が少しずつ増えている。中国政府は、ユダヤ人に対して寛容になっている。
 
 
■ 現代中国におけるキリスト教
王 再興(中国・襄樊学院講師、CISMOR共同研究員)
 
 中国のキリスト教、主としてカトリックとプロテスタントについて紹介する。正教会の信者もいるが、ここでは言及しない。
 どれくらいのクリスチャンが中国にいるのか。中国の国勢調査では宗教についての情報を集めていないので、正確に人数を把握することは難しい。しかし、信頼できる機関、中国社会科学院によると、3000万人とされている。これはかなり控えめな数字であり、中国内外の研究者のほとんどが認めていない。中国には政府に公認されていない家庭教会が存在しており、この人数がそこには含まれていない。海外の研究機関、たとえば、米国の Christian Today 誌は1億から1億8千万と発表している。
 教会については二つのモデルがある。一つは政府管理モデルの教会、官製教会。中国はバチカンと正式な外交関係がない。カトリックは、バチカンと関係なく司祭を任命している。
 もう一つのモデルは、自由市場の教会、家庭教会。全国的な組織は存在していない。草の根的な運動であるが、かなり広まっている。家庭教会に有害な要素を見いだした場合には、政府は厳しく対処することがある。
 農村部の若者は都市に出稼ぎに出かける。したがって、農村の教会では高齢者が多く、教育を受けた者は少ない。都市の教会では、それが反対になる。農村であれ、都市の教会であれ、共通点がいくつかある。いずれも、女性の人数が多い。
 キリスト教と政府の関係。中東のジャスミン革命の影響を警戒した政府により、いくつかの都市部の教会は弾圧を受けている。共産党90周年を祝うために、教会では党を賛美する歌が歌われた。三自愛国教会は、外国からの影響を排除して、自立した教会形成を求めている。
 家庭教会は中国の教会の主流となっている。福音派の大会であるローザンヌ会議が家庭教会に招待状を送ったが、中国政府がそれに対して怒りを表した。
 中国ではキリスト教は発展している。しかし、キリスト教の名を語った異端運動もある。女性のメシア(中国人)が来臨したというメッセージを持っているグループもある。
 教会には政治権力との戦いがある。世俗権力との戦いは、家庭教会が担っている。家庭教会と民主化運動が合流する場合もある。

■ 中国におけるイスラーム
敏 俊卿(中国回族学会副秘書長)
 
 1651年に、イスラームが中国に伝わったと言われている。シルクロードあるいは東南アジア経由でイスラームが伝えられた。2000年以降のイスラームの状況について紹介したい。
 人口2,300万人。これは政府が調査した数字。しかし、含まれていない部族もあるので、実際の人数はこれより多い。
 中国のイスラームは漢文化の影響を受けている。ムスリムは、漢民族に次いで中国に広く分布している民族である。
 中国イスラーム協会は、全国のムスリムの生活を指導する。巡礼も全国的に組織している。毎年、1万4千人の巡礼者がいる。平均すると、400名ごとに一つのモスクがある。
 聖職者は45,000人いる。マドラサと呼ばれる神学校がある。
 イスラームの宗派:中国には四つの大きな宗派がある。神秘主義を重視している宗派もある。
 ムスリムの仕事としては、農業と商業を合わせたようなものが多い。
 中国のイスラームは民族を形成した。イスラームは民族のアイデンティティを形成している。
 今日、ムスリムが中国沿岸部へ移動する傾向がある。回族が、流動するムスリムの90パーセントを占めている。
 イスラームに対する本格的な研究が90年代以降、現れている。研究は多元化している。

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