シンポジウム「生命科学・倫理・キリスト教」(日本基督教学会)
9月6日から7日にかけて、同志社大学を会場にして、日本基督教学会 第59回学術大会が開催されました。その最後のプログラムとして、シンポジウム「生命科学・倫理・キリスト教」がありました。
司会: 水谷 誠 氏(同志社大学神学部教授)
パネリスト1: 井原康夫 氏(同志社大学 生命医科学部教授)
パネリスト2: 葛原茂樹 氏(鈴鹿医療科学大学 保健衛生学部教授)
パネリスト3: 土井健司 氏(関西学院大学 神学部教授)
パネリスト3: 小原克博 氏(同志社大学 神学部教授)
ご覧の通り、医学 対 神学のような組み合わせでしたが、実際のパネルディスカッションでも考え方の違いが、しばしば鮮明になりました。しかし、異なる領域をつなぐ議論がある程度できたと思います。
共通の課題として認識されたのは、どこまで延命すればよいのか、という線引きの問題です。西欧では、その線引きが比較的鮮明になされ、結果的に、病院で長期寝たきりとなる患者はほとんどいません。それに対し、日本では、人間と動物、自然の間に線引きをしないように、自己決定できる患者ともはやそれができない患者との間にも線引きをしないということです。結果的に、寝たきりの患者、胃ろうを設置する患者が西洋と比べ、圧倒的に多いということになります。
こうした議論の中で、私が強調したことの一つは、日本の医療現場で患者の自己決定権をきちんと確保すべきであるという、ある意味、当たり前のポイントです。しかし、現実には、インフォームド・コンセントの不徹底、患者を置き去りにして家族と医者がすべてを決定してしまうという現実は、いっこうに変わる気配がありません。
私は、キリスト教が日本の医療現場に貢献できる点として、イエスに由来する「個の倫理」をあげました。人間の尊厳を補完しうる家族関係、社会関係ももちろん大事なのですが、日本の医療状況から考えれば、まずは「個の解放」をしなければならないということです。
医療資源は限られています。少子高齢化はとどまることなく進行していきます。現状を放置しておくと、医療(特に終末期医療)に起因する負担に日本社会は耐えられなくなる可能性があります。
私の講演部分を下につけておきます。