ノルウェー・テロ:キリスト教原理主義との関係?
7月22日、ノルウェーで起こった連続テロ事件の背景や容疑者の動機については、今後の調査を待つ必要がありますが、多くのニュースで言及されている、犯人が「キリスト教原理主義者」を名乗っている点について、少しばかり述べたいと思います。
まず、「キリスト教原理主義」の原義はアメリカの歴史的文脈において理解する必要があります。その言葉や運動が、20世紀初頭のアメリカで誕生しているからです。現在のヨーロッパは、全体的に世俗化が進行していることもあって、ヨーロッパには、アメリカのキリスト教原理主義に対応するような組織は存在していないと言ってよいでしょう。
もちろん、今回、テロの容疑者が「キリスト教原理主義者」を名乗っていることからもわかるように、個人のレベルでその言葉を解釈し、自己理解とすることは可能です。しかし、アメリカの原理主義運動が持っているような組織的な宗教・政治的活動とは次元が違うことを認識しておく必要があります。
おそらく、ノルウェーのテロ容疑者の場合には、宗教的動機付けが主軸にあるというよりは、彼の持つ右翼思想を正当化する論理の一部としてキリスト教に依拠していたのではないでしょうか。その理由の一つには、容疑者が持っていたと言われる反イスラーム感情があります。反イスラーム的態度を正当化するために、彼にとっては保守的なキリスト教思想が利用しやすかったのかもしれません。
実際、現代のキリスト教原理主義、あるいは、宗教右派の運動の一部には、明確な反イスラーム的態度が見られます。昨年、世界でももっとも話題になった例をあげれば、フロリダ州の牧師、テリー・ジョーンズが、9.11にあわせてコーランを焼く計画を立て、大騒動になった事件がその典型的なものです。
今回のテロの容疑者が、どの程度キリスト教の影響を受け、どのような意味で「キリスト教原理主義者」と名乗っているのかを確かめるためには、もっと詳細な背景情報が必要です。今の段階で言えるのは、彼の右翼思想の一部となっていた移民排斥・多文化主義批判および反イスラームの態度が、保守的キリスト教の排外的な思想を引き寄せることになったという程度でしょう。しかし、これはこの容疑者だけの問題ではなく、多かれ少なかれ、現在のヨーロッパ全域(さらにはアメリカ)に見られる傾向であり、この事件だけを、時代の文脈から孤立させて特殊化してしまうのは、よくないと思います。
アメリカにおいてもヨーロッパにおいても、社会が寛容に向かい過ぎることを嫌う人々がいます。その場合、寛容に抵抗するための論理が何らかの形で求められることになります。今回の場合、容疑者はその論理を「キリスト教原理主義」と呼んだのではないでしょうか。
なお、今回の事件に関連して、たくさんのニュース記事が出ていますが、比較的丁寧に思想的・社会的背景を記しているものとして次の記事を示しておきます。
■毎日新聞(7月24日):ノルウェーテロ:「寛容な社会」憎悪か
このブログの関連記事として以下のものがあります。
■「近代日本における原理主義」(7月28日)
また、事典項目として「原理主義」について記したものがありますので、関心ある方は参考にしてください。
■「キリスト教原理主義」、井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂、2005年
■「宗教的原理主義の台頭」、日本社会学会社会学事典刊行委員会編『社会学事典』丸善、2010年
原理主義の問題については、共著『原理主義から世界の動きが見える』(PHP新書、2006年)に記しましたが、今回の件に関連しそうな部分「現代の原理主義:宗教右派の特徴」(p.145以降)を、参考まで以下に引用しておきたいと思います。
■ 現代の原理主義・宗教右派の特徴
(1)政治への積極的関与
一九一〇〜二〇年代の原理主義が神学的概念であるのに対し、一九七〇年代以降の原理主義は政治的概念としての色彩が強い。政治に積極的に関与しようとする態度が、一九六〇年代のカウンターカルチャーへの反動として起こってきたことは先にも指摘したとおりであるが、そこには神学的な変化を見ることもできる。一九世紀から二〇世紀初頭のキリスト教保守派にとって愛国主義は、神よりも国家に対し忠誠心を示す「偶像崇拝」として批判されていた。原理主義と愛国心あるいはナショナリズムの結びつきは部分的には以前においても見られたが、明確な形でその結びつきを強めるのは一九七〇年代以降である。したがって、政治への積極的関与と愛国心・ナショナリズムとの結合を、現代の原理主義である宗教右派の特徴として指摘することができる。
(2)社会問題への積極的関与 (略)
(3)保守勢力間のエキュメニカルな連帯 (略)
(4)近代技術の積極利用 (略)
(5)反イスラーム、親イスラエル
一九七九年のイラン・イスラーム革命はアメリカに対し、対イスラーム政策を再考させる大きなきっかけとなったが、その時代、イスラームはアメリカにとって直接的な脅威としては映っていなかった。一九九一年のソ連崩壊によって、原理主義者たちはある種の勝利感を味わうことになる。なぜなら、ナショナリズムの一部として反共思想を担ってきた原理主義者たちにとって、神なき共産主義の崩壊は、神の国アメリカの勝利であると同時に、終末の「しるし」として受けとめられたからである。そして、国際政治の場におけるアメリカにとっての最大の敵を失った後、次の敵として原理主義者たちが感じつつあったのが、イスラームであった。そして、この傾向は、二〇〇一年九月一一日の同時多発テロによって一気に強まることになる。九・一一以降、原理主義者にとっての「外なる敵」はイスラームに照準を絞られたと言っても過言ではないだろう。イスラーム脅威論は原理主義者の中で広く共有されることになった。イスラームに対する憎悪を露骨に言い表すジェリー・ファルウェルのような人物は多くはいないが、潜在的には、彼に共感する人々は決して少なくない。
ファルウェルに関連して、もう一つ現代の原理主義の特徴、親イスラエルを説明することができる。彼はモラル・マジョリティを率いていた当時から、しばしば、親イスラエル的発言を繰り返し、また「クリスチャン・シオニズム」にも言及していた。イエスの再臨の前に、イスラエルの民が聖地エルサレムに帰還するという考えは、ディスペンセーショナリズムの一部として、後の原理主義にも受け継がれてきた。しかし、一九四八年のイスラエル建国は、そうした原理主義者たちの終末論的ビジョンに対し、明確な確信を与えることになった。それゆえ、ファルウェルに限らず、原理主義者たちはアメリカ政府に対し、イスラエルを最大限支持し、またイスラエルを脅かす敵対勢力には断固たる攻撃を加えることを求めてきたのである。
現代の原理主義者たちにとって、親イスラエルと反イスラームは表裏一体のものとして受けとめられている。そして、本来まったく異なる歴史的系譜を持つ、これら二つのイデオロギーが九・一一以降、相乗効果を発揮するかのように、それぞれの内的エネルギーを高めている。九・一一以降の時代において、まさにこのエネルギーが、アメリカの原理主義勢力を活性化していると言える。しかし、この活性化が、アメリカの国内外に対し、決してポジティブな効果をもたらしているわけではないことを認識することが今求められている。そして、その作業のためには、ただキリスト教原理主義をキリスト教の文脈の中で考察するだけでなく、ユダヤ教とイスラームを含んだ文脈の中に位置づけなければならないことは言うまでもない。