シンポジウム「いま、なぜ宗教間対話なのか」(7月9日、慶應義塾大学)
7月9日(土)、慶應義塾大学(三田キャンパス)でシンポジウム「いま、なぜ宗教間対話なのか」(第1回「壁は乗りこえられるのか?―対話の現場から―」)が開催されました。
私は「現代世界と宗教間対話」というテーマで基調講演をし、その後、パネルディスカッションに加わりました。
仏教、神道などをベースにした対話の取り組みについても報告がなされ、その後、宗教間対話をめぐる熱い議論が交わされましたが、それと同時に、現代社会において、そもそも宗教がどのような役割を果たすことができるのか、といった点にも話は及びました。
私は講演の中で、日本の宗教間対話は切迫感のないサロン的なものであることが多い、といった発言をしたことから、それをめぐって賛否両論が出されました。
より質の高い対話を求めていくためには、現状肯定的な話ばかりでは役に立ちませんので、あえて苦言を呈するような言い方をしましたが、結果的には、よいやり取りができたと思います。
宗教「間」対話が今回の主題でしたが、私が強調したことは、宗教界と世俗社会との間のすさまじく大きな溝(宗教に対するネガティブな評価)を認識すること、また、それぞれの宗教内部の対話(intra-faith dialogue)は宗教間対話(inter-faith dialogue)と同じように難しい課題であるが、それを無視しては実りある宗教間対話を行うことはできない、ということでした。また、京都で行われる国際的な宗教間対話の場において、日本の宗教界の対話への貢献度が高くないこと、国際社会に対する発信力を欠いていることを、これまでの経験に基づいて述べました。
パネルで同席した方々には、若造が何をエラそうなこと言っとるんじゃ、と受けとめられたかもしれませんが、できる限り、率直かつ謙虚に、これまで考えてきたこと、経験してきたことを述べた次第です。
28度に空調が設定された汗ばむような会場に150名ほどの参加者が来られ、暑さに負けずに熱い議論に耳を傾けてくださり、また積極的に質問をしてくださいました。課題を共有しながら、一歩ずつ、良質かつ刺激に満ちた対話への道ぞなえができればと、あらためて思った次第です。
主催者の一人であり、今回、司会をしてくださった慶應義塾大学の樫尾先生は、やはりおもしろい方でした。
旧知の方がたくさん来てくださっており、会話を交わすことができたのも、今回の収穫でした。