「宗教教団の暴力性──オウム真理教」
京都・宗教系大学院連合(K-GURS)のチェーン・レクチャーの第5回目として佐々木 閑先生(花園大学)により「宗教教団の暴力性──オウム真理教」と題して、話をしていただきました。
若い学生にとっては、オウムの一連の事件は幼い頃の記憶の彼方にありますので、佐々木先生が時系列的に詳細な説明をしてくださったのは、とてもよかったと思います。
今回、オウムの特殊性を「律」をもった仏教との比較の中で際立たせていったのが、とても刺激的でした。日本仏教は「律」を持っていないので、オウムとの比較をしても意味がないとのこと。ほとんどの仏教が「律」を教団(サンガ)の要としてきたのに対し、それを持たない日本仏教はかなり特殊な存在であると言えます。
仏教という組織を2500年にわたって維持してきた、まさにマネージメントの基盤に「律」があります。それによって、暴力の抑止(不殺生戒)もなされます。
日本仏教の場合、そうした原則を持たないため、状況次第では暴力が許容されることになります。佐々木先生があげられていた例として、禅堂において師が弟子に体罰を加えることが正当化されたり、比叡山の僧兵や、戦時下における日本仏教界の戦争協力などがありました。いずれも「律」のもとでは厳しく戒められていることです。
アジアのほとんどの仏教は「律」を持っていますので、絶対的に禁酒です。ところが、お坊さんがお酒を飲むことはごく普通の光景です。国際会議などで、日本の僧侶がビールで乾杯しているのを見て、他の国の僧侶たちが驚愕するのも、「律」の有無に関係しているようです。
佐々木先生からサイン入りで近著『「律」に学ぶ生き方の智慧』をいただきました。今日の講義の多くのテーマをカバーしているようで、これから読むのが楽しみです。お薦めします。