WCRP 平和大学講座、そして地震
3月11日、同志社大学の神学館礼拝堂で世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会 主催の平和大学講座が開催されました。一神教学際研究センター(CISMOR)は共催という形で開催に協力しました。
植松誠氏(日本聖公会首座主教)の挨拶に始まり、WCRP日本委員会 平和研究所所員4名によるパネルディスカッションへと順調に会は進んでいたのですが、途中で、東日本で大規模地震が起こったとの連絡が入りました。多くの方が東京から来られていたこともあり、対応のため、急遽休憩を入れることになりました。
その後、事態がかなり深刻であることがわかったため、主催者が会の中止を決定しました。私はパネルディスカッションを受けて、コメントをする役割になっていたのですが、それもなくなってしまいました。
以上のような経緯で、かなり中途半端なところで終わってしまいましたが、とりあえずパネリストの最初の発表部分のメモを載せておきたいと思います。
まほろばの精神とShared Security──今、諸宗教協力に問われているもの
■コーディネーター:眞田芳憲
shared security という言葉は、過去のWCRPの大会において使われてきた。あらゆる暴力を乗り越えて、互いに命を守る、という意味がある。「まほろば」とshared securityをどのように結びつけることができるかという課題がある。
「まほろば」は奈良時代に作られた言葉。日本の国の成り立ちとも関係がある。アジアの各地から文化・宗教・技術が入ってきて、日本社会が形成されていった。
■奈良康明(駒澤大学名誉教授)
無縁社会から有縁社会への回帰はどのように可能になるのだろうか。
最初に、秋葉原事件を考えたい。容疑者が犯行後に語った言葉。「現実の世界を逃げて、ネットの世界に入り込む。誰でもよいから、かまってほしかった」。現代社会の特徴を端的に表している。自分を愛する余り、傷つくことを恐れる。自らを他者から隔離していく。12年間連続で、毎年3万人を超す自殺者がある。
「愛の反対は憎しみではなく、無関心」(マザー・テレサ)。WCRPの活動を庶民レベル、草の根の対話にまで広げていく必要がある。
■黒田壽郎(国際大学名誉教授)
私の専門はイスラーム。「まほろば」を批判的にとらえてみたい。「まほろば」を成りたたせないものは何か。
この世に「まほろば」を成立させるために必要なものは何か。慈悲心等、心のあり方が必要と言われる。こうした個人が集まったところに「まほろば」が形成される。しかし現実には、周りを見渡しても「まほろば」はかけらも存在しない。なぜなのか。
技術は急速に進歩してきたが、得るものばかりではなく、失ってきたものも多い。自己中心主義の拡大。他者との関係性は衰弱きた。人格を陶冶し、利他の精神を養成する必要がある。三人称の他者との関係をいかに構築するかが「まほろば」の成立と関係しているのではないか。
■薗田 稔(京都大学名誉教授)
歌に歌われた「やまと」という言葉から「まほろば」について考えてみたい。やまと=山・戸。「やまと」とは、山に近い場所、山里を指していたのではないか。豊かな自然の恵みによって人里が営まれる。これが「まほろば」の原型ではないか。現代においても、自然の恵みなしに我々は生きることはできない。
■山田経三(上智大学名誉教授)
日本において宗教は小さな力であるが、大きな宝を持っている。平和研究所では、毎月のように研究会を開いている。
キリスト教を含む一神教は排他的になってしまう場合があるが、寛容や対話を私たちは促進することができる。日本ならではの貢献をすることができる。
それぞれ宗教は異なるが、それが私たちにとっての宝となる。寛容など私たちの宝を世界に発信していく必要がある。
■眞田
狂信的(fanatic)のラテン語の語源は「神殿」という意味を持つ。自分たちの神殿に閉じこもってしまうと狂信的になってしまう。
■山田
共苦・共感、関係性、責任、理解、メタノイア(反対から読むと「愛のため」)を大事にしたい。