CISMOR講演会「寛容論の中世的本義と現代的誤解」
10月23日(土)、森本あんり先生(国際基督教大学)を講師として、CISMOR公開講演会「寛容論の中世的本義と現代的誤解―アメリカ・ピューリタニズムの歴史から」を開催しました。
最初にいただいていた講演要旨は以下の通り。
「イスラム的寛容」をめぐる議論がしばしば聞かれるが、初期アメリカの歴史を振り返ると、問題の構成に注目すべき平行関係があることがわかる。本講演では、しばしば不寛容な一神教の代名詞のように扱われるピューリタニズムを取り上げ、彼らの論理をその本来的な文脈に沿って理解することで、現代的な寛容論の再考と批判への有効な視座を得ることを目指したい。
いずれ講演の録画映像もCISMORの公開講演会のページにアップされますが、関心ある方のために当日配布されたレジュメをつけておきます。
■10月23日講演レジュメ Morimoto.pdf
ピューリタンの歴史をひもときながら、現代の理解とは異なる寛容論の起源を問うていく内容は、緻密で説得力のあるものでした。現代社会において「寛容は大切だ」というと、寛容は各人が備えるべき「美徳」のような位置づけになっています。しかし、寛容論の起源においては、むしろ、より大きな悪をもたらさないために小さな悪(それがユダヤ教やイスラームでもあったわけです) を受け入れる、比較考量の上の「実利」としての側面を持っていたということです。「寛容」という考え方の背景にある歴史的な幅を理解することは、とても重要であると思いました。
現代の平均的理解から判断すれば、バプテストやクェーカーたちを積極的に受け入れようとしなかったピューリタンたち(会衆派が中心)はきわめて「不寛容」ということになりますが、当時の時代状況の中で、独自の寛容理解を持っていたことがわかりました。
一つの中心的な価値体系の中に他者を位置づけるピューリタン的寛容のあり方は、イスラーム社会におけるユダヤ教徒・キリスト教徒の位置づけのあり方と、構造的に類似しているのではないか、という問題提起もありました。
講演会のあとの研究会では、かなり専門的なレベルでの討論が交わされ、レベルの高い知的刺激を受けることができました。