香港五日目(英華書院、新島襄の足跡)
昨日の深夜、無事に日本に帰着しました。最終日の午前中の様子をお伝えします。
朝9時に英華書院(Yin Wa College)を訪ねました。古い漢訳聖書がここにあるということを聞いて、よくわからないまま向かったのですが、到着してから、由緒ある学校であることを知り驚きました。
小学校から高校までがある College なのですが、右の写真のように巨大マンションかと見間違えるような校舎です。ここでは、中国語、中国文学以外の授業はすべて英語でなされています。
このカレッジ、ロバート・モリソン宣教師(London Missionary Society から中国に派遣され、初めて漢訳聖書を作った人物)が1818年に設立した中国最古のキリスト教主義学校です。当時、この学校はマラッカ(マレーシア)に設立されましたが、1842年に中国と英国の間で南京条約が締結された後、香港に移ってきました。
モリソンは、後の漢訳聖書や日本語聖書の翻訳に非常に大きな影響を与えた人物でもあり、まさかそのモリソンが作った学校が香港にあるとは、まったく知りませんでした。
左の写真の中央に写っている胸像がモリソンです。
わざわざ、校長先生(モリソンの右)までが我々を出迎えてくれました。
長い伝統を持つ学校であるため、歴史資料室を持っており、そこに古い漢訳聖書も保管されています。
そもそも、なぜ、古い漢訳聖書を探したかというと、1864年、新島襄がボストン行きの船が寄港した先の香港で、初めて漢訳聖書を購入しているからです。現在、その聖書は現存せず、表紙の裏紙だけが残っています。したがって、1864年当時、新島襄が手にした版の漢訳聖書が香港にあればという思いで探索を続けていた次第です。
複数巻の旧約聖書がぴったり1864年のものがありました。しかし、新島襄が購入したのは新約聖書と思われるので、その年代の新約聖書を探したのですが、見つけることができませんでした。その年代よりはるかに古い1823年のものが右の写真です。当時、英華書院が自前の出版部門を持っていたようで、この聖書は英華書院刊行となっていました。
その後、聖書の翻訳や出版は英国聖書協会に委ねられていきますが、新島襄が1864年に購入した聖書がどのようなものなのかは、もう少し調べてみる必要があります。ひょっとすると写真と同じ1823年版であったかもしれません。
ともかく、漢訳聖書のルーツとなるモリソンゆかりの学校で、実物の漢訳聖書を見ることができたのは、瓢箪から駒のような体験でした。
午後には空港に向かわなければならなかったので、学校を離れた後、急ぎ気味で、新島襄が20年後の1884年に香港を再訪した際に訪ねた場所をたどっていきました。新島は、そのあたりのことを日記に書き残しています。
1884年の訪問時、新島は香港島のハリウッド・ロードに宿泊していました。おそらく左の写真に写っている道教の建物も彼は見たことでしょう。
新島が訪ねた香港総督府、植物園、アメリカン・ボードのオフィス(現存せず市場になっている)、墓地を訪ねました。
観光客が訪れないような場所も多かったため、タクシーの運転手もかなり悩んでいました。
香港で、新島襄の歩いた跡をたどっていくというのは、まさに時代を超えた経験の共有とも言えるでしょう。125年前の情景を思い起こしながら、香港滞在の余韻を味わうことができました。