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国際シンポジウム「イスラームにおける諸宗教間対話の試み」

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 1月24日、「イスラームにおける諸宗教間対話の試み」というテーマで、午前中に公開講演会が行われ、午後からはクローズドなシンポジウムが行われました。
 右の写真は、午前中、クラーク記念館で行われた講演会の様子です(私は司会)。会場となったクラーク・チャペルがほぼ満席となる盛況ぶりでした。30分ほどフロアーとの質疑応答の時間がありましたが、活発に質問が出されました。

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 午後からのセッションの最初の発表者に私は当たっていましたので、午前中での議論を受けて、以下のような内容の質問をしました。

1.イスラームは対話の宗教であるというが、なぜ、近年になってサウジアラビアは対話を強く呼びかけるようになったのか。具体的な理由があれば教えて欲しい。9.11の影響か。あるいは、アメリカなど国際社会からの批判(サウジアラビアには信教の自由がない、といった批判)を意識しているのか。

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2.イスラエル軍によるガザ攻撃は凄惨なものであった。今後、同様の悲劇を繰り返さないためにも、(イスラエルは言うまでもなく)ハマスには対話可能な側面を持って欲しい。実際、ハマスはエジプトのムスリム同胞団を起源とするスンナ派集団であるが、同時にイランからの援助を受けるという微妙な体質を持っている。サウジアラビアは、このハマスとどのような対話的関係を取り結ぶのか。

3.他の宗教との対話というが、イスラームにとって対等に向き合える宗教は、ユダヤ教・キリスト教といったアブラハム宗教であり、経典の民であって、その他の宗教は多神教、偶像崇拝とされてきたのではないか。非一神教の宗教に対して、今日のイスラームはどのような積極的理解を示すことができるのか。

 あとの議論は、2.の問題にかなりの時間が割かれることになり、また、サウジアラビアからの人々にとっては実に答えにく質問であったため、あとで、ちょっと気の毒なことをしたかな、とも思いました。しかし、やはり避けては通れない問題でしょう。

 長時間におよぶ議論の中で、サウジアラビアの方々は、イスラームの理念、理想の立場から話されていたように感じました。対話の具体的問題や中身については、なかなか踏み込めないというもどかしさも感じましたが、非常に誠実に対応してくださったと思います。

 セッションの最後に私が総括的に問いかけたのは次のようなことでした。

1.京都では数々の大きな宗教間対話のための会議が開かれており、私もそこにたびたび参加してきた。そこでは、宗教は対話のため、平和のためにあるということが説かれ、集まってきたそれぞれの宗教が、そのような目的にために存在していることを自画自賛するような傾向がある。しかし、対話のできる、対話好きの人たちが集まっただけでは、深刻な問題の解決に至らないのではないか。むしろ、対話を拒むような人たち(たとえばハマス)を対話のテーブルに呼び込むようなアプローチが必要なのではないか。

2.宗教が対話や平和に寄与してきたと自画自賛するだけではなく、むしろ、対話できなかった過去があることを歴史批判的に振り替えるべきではないか。自己批判をともなわない対話は、ただの自慢話に終わってしまいかねない。

 これまでの宗教間対話の現状を踏まえながら、以上のように、さらに踏み込んだ対話の機会を作っていくことをサウジアラビアには期待したい、と語り、締めくくりました。
 どの程度、伝わったかは定かではありませんが、いずれにせよ、彼らの考え方に直接触れることができたのかは、私にとって大きな収穫でした。
 今回の交流をきっかけとして、今後、サウジアラビアと同志社大学との間により具体的な協定を模索していく予定です。

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