K-GURS 第6回研究会
1月17日、同志社大学で京都・宗教系大学院連合(K-GURS)の第6回「仏教と一神教」研究会が以下のようなプログラムで行われました。
◎テーマ:天国と浄土
◎発表者:
曽和義宏(佛教大学)
「極楽浄土──平等な世界」
中尾良信(花園大学)
「道元の説く三時業──地獄の中有と三世」
越後屋 朗(同志社大学)
「聖書およびキリスト教における天国」
◎コメンテーター:安達俊英(佛教大学)
◎司会者:小原克博(同志社大学)
知らないことばかりで勉強になりました。
やっかいなのは、浄土にしても天国にしても現代人にどのように語るか、という課題です。理念と現実の乖離についても、それぞれの立場から紹介がなされました。
以下は、私の勝手なコメントです。
かつて、浄土も天国も空間的に位置づけられていました。浄土であれば西方に、天国であれば上方にあると考えられたわけです。昔は、遠い距離がそのまま「超越性」を担保することができたので、空間的メタファーによって語ることによって、十分機能していたわけです。
しかし、さすがに近代以降は空間的に、それらを位置づけることができなくなりますので、「死後生」として時間的次元に転移させられていきます。
浄土も天国も、死後の行き先として考えられるようになります。もちろん、そのような死後生を信じられない人は、浄土も天国も否定するか、あるいは象徴的に解釈することになります。様々な理解と解釈が幅広く混在するところに、現代特有の課題があると言えるでしょう。