G8宗教指導者サミットに参加
6月27〜29日、大阪・京都で開催されるG8宗教指導者サミットの第二日目のプログラムに参加しました。今日の会場は、同志社の新島会館でした。
一部新聞などでも報道されているように、宗教サミットは関西と札幌の分裂開催となりました。その事情についての説明は、次の記事でも紹介されています。
■朝日新聞「宗派超えたが組織まとまらず」
招待されていたので、一参加者として出かけたつもりが、参加した分科会(「自然と生きる」)の中で「では次のパネリストは小原先生で・・・」と突然指名され、唖然としました。まったく依頼をされていなかったので、人違いではないかと思ったのですが、プログラムに記載されているとのこと。釈然としない思いを抱きながらも、10分ほど話しました。
司会者が日本人の自然愛を強調するので、私は、自然を愛してきた「日本人」とはいったい誰なのか、という問いから話を始めました。
次にアメリカの保守的クリスチャンの間でも環境問題への関心が高まっていることを紹介し、あわせて、それに対応するような変化は日本の宗教界には存在しないことを指摘しました。
また、この種の宗教サミットで、宗教指導者たちは環境問題への対応が大切だと異口同音に語るが、その場限りの発言で、その後、取り組みを始めた例を聞いたことがないとも語りました。つまり、こういうことを続けていると、世間からは「宗教家は大言壮語をはくが、決して重い腰を上げようとしない」と信頼を失うことになると批判しました。
日本人一般が自然愛を持つという主張は、少なくとも、若い世代にはほとんどナンセンスであると語りました。ゲームに没頭する若者が日本だけでなく、世界中で増えている中で、自然を経験することはますます少なくなってきており、そうした若者に伝わる語り方ができているのかと問いを投げかけました。
司会者の期待に背くような、きわめて辛辣な日本宗教批判をすることになりましたが、そうせざるを得ないくらいに、自然への愛情を日本人は伝統的に持っている、ということが自慢げに語られていました。
この種の幻想を吹き払うのが、本来、宗教者の役割ではないののでしょうか。反対に幻想を振りまいている姿に幻滅を覚えたのは、幸い私だけではなかったようです。
Do not romanticize it!
という言葉を伝統賛美者には投げかけたいと思います。
とはいえ、いろいろな人と出会えたのは、やはりこの種の国際会議における収穫の一つです。世界の各地から代表者を招聘した主催者の労に対しては敬意を表したいと思います。