ゾロアスター教
28日午前中、アッシリア教会、アルメニア教会に続いて訪ねた宗教施設が、ゾロアスター教。
よく見なければ通り過ぎてしまいそうな建物ですが、中に入るとユニークな建築様式に目を引かれます。
おそらく観光客が単独で入ることは難しいと思いますが、今回はザルヴァーニ先生がいてくださったおかげで、礼拝所の中まで入れてもらうことができました。
何とザルヴァーニ先生はテヘラン大学でイランの伝統宗教の一つとしてゾロアスター教に関する講義ももっており、その道の専門家です。したがって、非常に丁寧にゾロアスター教について教えていただきました。
私なども、善と悪の闘争を前提とする二元論的宗教の代表例として、また、後にユダヤ教などにも影響を与えた終末論的なコスモロジーを持つ宗教としてゾロアスター教を授業の中で紹介することはありますが、実際にはまったくの門外漢です。今回はじめて自分の目で見ることができました。
右の写真は礼拝所の中心にある「聖なる火」です(ちょっと見えにくいですが)。ゾロアスター教はかつて日本語で「拝火教」と言われたこともあるように、「火」を神聖視します。
信徒の方たちは、それぞれやってきては、この火の前で祈りを捧げていました。礼拝所に設置している聖典(アベスター語で書かれています)を朗読している人もいました。
左の写真の人物はその一人ですが、たまたま目があったので一緒に写真を撮ってもらいました。この礼拝所では、頭に白い帽子のようなものをかぶることが義務づけられています。
右の写真は、この礼拝所の建物正面の最上部にあるレリーフです。真ん中の羽の生えた図像がゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーです。アフラ・マズダーはしばしば翼と光輪をともなって描かれます。左の人物は、おそらく、ザラスシュストラ(ゾロアスター)だと思います。
左の写真は、同じ建物の柱の部部です。よく見てもらうと、屋根を牛たちが支えているのがわかります。ゾロアスター教にとって牛は聖なる動物と見なされています。したがって、牛を食べることはしません。
よく見なければ通り過ぎてしまいそうな建物ですが、中に入るとユニークな建築様式に目を引かれます。
おそらく観光客が単独で入ることは難しいと思いますが、今回はザルヴァーニ先生がいてくださったおかげで、礼拝所の中まで入れてもらうことができました。
何とザルヴァーニ先生はテヘラン大学でイランの伝統宗教の一つとしてゾロアスター教に関する講義ももっており、その道の専門家です。したがって、非常に丁寧にゾロアスター教について教えていただきました。
私なども、善と悪の闘争を前提とする二元論的宗教の代表例として、また、後にユダヤ教などにも影響を与えた終末論的なコスモロジーを持つ宗教としてゾロアスター教を授業の中で紹介することはありますが、実際にはまったくの門外漢です。今回はじめて自分の目で見ることができました。
右の写真は礼拝所の中心にある「聖なる火」です(ちょっと見えにくいですが)。ゾロアスター教はかつて日本語で「拝火教」と言われたこともあるように、「火」を神聖視します。
信徒の方たちは、それぞれやってきては、この火の前で祈りを捧げていました。礼拝所に設置している聖典(アベスター語で書かれています)を朗読している人もいました。
左の写真の人物はその一人ですが、たまたま目があったので一緒に写真を撮ってもらいました。この礼拝所では、頭に白い帽子のようなものをかぶることが義務づけられています。
右の写真は、この礼拝所の建物正面の最上部にあるレリーフです。真ん中の羽の生えた図像がゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーです。アフラ・マズダーはしばしば翼と光輪をともなって描かれます。左の人物は、おそらく、ザラスシュストラ(ゾロアスター)だと思います。
左の写真は、同じ建物の柱の部部です。よく見てもらうと、屋根を牛たちが支えているのがわかります。ゾロアスター教にとって牛は聖なる動物と見なされています。したがって、牛を食べることはしません。
イランで紀元前15~6世紀(成立時期については諸説あります)に誕生したゾロアスター教は、一時は国教のような位置にまでのぼりつめましたが、イスラームによる統治以降、迫害され、今や少数派となっています。
激しい迫害期にペルシアを離れた人々がインドにたどりつき、ゾロアスター教を伝えています。イランの他、インドにおいてゾロアスター教徒たちを見ることができます。
ゾロアスター教の神殿を訪ねる中で、この小さな神殿が、少数派の人々が自らの伝統や価値観を守るために、大きな役割を果たしていることを感じさせられました。
激しい迫害期にペルシアを離れた人々がインドにたどりつき、ゾロアスター教を伝えています。イランの他、インドにおいてゾロアスター教徒たちを見ることができます。
ゾロアスター教の神殿を訪ねる中で、この小さな神殿が、少数派の人々が自らの伝統や価値観を守るために、大きな役割を果たしていることを感じさせられました。