佐々木閑・小原克博『宗教は現代人を救えるか──仏教の視点、キリスト教の思考』平凡社新書、2020年
序 章 苦しみの消し方──仏教か、キリスト教か、それとも 佐々木閑
第1章 仏教には救済者がいない
信仰者として、学者として/仏教は真理発見の宗教/釈迦の教えは現存しない/縁起は科学的思考となぜ合うか/「出家」こそ仏教/諸行無常と諸法無我/一切皆苦、救済者はどこにもいない/癒しとしての仏教、「こころ教」の誕生/「こころ」は何も指していない/末法思想の本当の意味/エンゲージドブディズムは釈迦の教えからの逸脱?
第2章 宗教は原理主義である
ファンダメンタリズムはアメリカのキリスト教から生まれた/非暴力主義も原理主義/経典至上主義はなぜ間違いか/教団の本来の姿は原理主義/親鸞の「極楽」はどこに?/キリスト教の目指す「神の国」とは
第3章 ネットカルマという無間地獄
永遠に逃れられない苦の世界/「カルマ=業」の厳しさを教えない日本の仏教/恐るべき監視社会の到来/天国に行くか、地獄に行くか/「いいね!」は渇愛の証左/ネットから逃れるためのサンガ/煩悩の箍を外してしまったネット社会/生きる価値はネットの外に自らつくれ!/安息日は週に一度の出家/子どもたちに「出家アプリ」を!/出家的人生とは何か/正しく見るためには、我を殺せ/死と全面的に関わる仏教へ/宗教と宗教をつなぐ教育こそ大事
第4章 聖書の教えに背を向けるキリスト教
進化論と文献学に挟撃されたキリスト教/辺境の宗教としての日本仏教/鈴木大拙と日本的霊性/明治に起こった「仏教vs.キリスト教」/日本仏教、万国宗教会議でキリスト教と出会う/自ら宗教を選ぶということ/人類としての普遍性、他者への眼差し/イエスから遠く離れた「キリスト教階級社会」/国家に閉じ込められる宗教の自由/違う幸せの道を指し示す
第5章 プロテスタンティズムと大乗仏教、二つの道
弱くなる教団、減少するお寺と信者/仏教は日本でだけ大きく変容した/セクハラで訴えられた日本の禅僧/プロテスタントが始めた宗教の「シンプル化」/最新モードを目指した大乗仏教/日本仏教の本質は「ヒンドゥー化」/律を守るアジア、律を持たない日本仏教/キリスト教の倫理観はどこで担保されるか/プロテスタントは自分たちでルールをつくる/「供養」とは何か/日本人はなぜ供養が好きなのか/犬は天国に行けないのか/仏性思想は東アジアの特徴/山川草木、天台本覚思想はなぜ生まれたか
第6章 アジアの中のキリスト教と仏教
キリスト教に圧倒される韓国の仏教/日本の支配への抵抗がキリスト教を広めた/お寺は修行の場から祈願の場所へ/中国の仏教と共産主義の関係/海外に広がる禅の修行スタイル/魂の救済とは――キリスト教の場合/欲求の否定――仏教の場合/親鸞による思想の大転換/浄土信仰は日本的プロテスタント――カール・バルトの慧眼/逃れられる場所としての宗教
終 章 変化する世界の実相を複眼的に見る 小原克博
科学的世界観と宗教的世界観/原理主義をめぐる課題/ネット世界の拡大と宗教/日本のエコシステムの活用/仏教とキリスト教の間から見える未来世界
【書評】
・2020年6月5日『夕刊フジ』