小原克博・勝又悦子編『宗教と対話──多文化共生社会の中で』教文館、2017年
目 次
第Ⅰ部 様々な対話の可能性
第一章 国際政治から見た宗教研究への期待 村田晃嗣
第二章 社会福祉におけるスピリチュアリティ 木原活信
第三章 宗教と対話 小原克博
第Ⅱ部 宗教間・文化間の対話
第四章 宗教間対話運動と日本のイスラーム理解 塩尻和子
第五章 エジプトにみる聖家族逃避行伝承をめぐる宗教共存 岩崎真紀
第六章 イスラームの平和 四戸潤弥
第Ⅲ部 「民主主義」との対話
第七章 ユダヤ教文献にみる「自由」と「支配者」像 勝又悦子
第八章 中世ユダヤ思想における「民主主義」理解 平岡光太郎
第九章 イスラームと奴隷 森山央朗
第三章 「宗教と対話──多文化共生社会の可能性と宗教間教育の意義」
小原克博
1.はじめに
本書は「宗教と対話」をテーマとしているが、宗教が対話する相手は、隣接する学問領域にとどまらず、第一義的には、それが置かれている社会状況とそこに住む人々であろう。言うまでもなく、社会は刻々と変化するが、目下、我々が関心を向けている社会の姿の一つが「多文化共生社会」である。これは実現されたものでもなければ、そのイメージについて十分なコンセンサスが得られたものでもない。しかし、文化の多様性をいかに受容し、また異なる価値観を持つ人々ができる限り、相互に尊重し合い、その意味で「共生」できる社会を実現できるかは、日本に限らず、多くの国々で議論が重ねられてきた。国際社会では「多文化主義」(multiculturalism)という言葉が一般的に用いられてきたが、わが国では「多文化共生」という言葉の方がよく知られているので、ここでもその言葉に着目し、合わせて、日本社会における特徴もいくつか描き出したい。
「多文化共生」という言葉が、公的な場に登場し始めたのは、総務省が二〇〇五年に「多文化共生の推進に関する研究会」を設置し、翌年、研究会の報告(https://www.soumu.go.jp/kokusai/pdf/sonota_b5.pdf)および報道資料「「多文化共生プログラム」の提言──地域における外国人住民の支援施策について」が発表された頃であろう。この報道資料の副題にもあるように、多文化共生がテーマ化される背景の一つに、地域における外国人住民の増加がある。これらの報告書や報道資料が想定しているのは、日本社会における今後の人口減少に伴い、外国人労働者が増加するという状況であり、そのために必要な社会的枠組みとして「多文化共生」が語られている。日本政府の動向にとどまらず、地方行政が多文化共生に対し、どのような関心を示し、また実際にどのような取り組みをしているのかについては毛受(二〇一六)などが具体的な事例を示しており、参考になる。
他方、「多文化共生」が叫ばれる社会の実際にも目を向ける必要があるだろう。たとえば、Shani(2014)は、宗教と人間の安全保障をテーマとした著書の中で "Tabunka kyosei? Ethno-nationalism and human insecurity in Japan"をいう一章を割いて、多文化共生の理念に反するように見える日本社会の現実や新しい動向について論じている。そこでは、在日韓国(朝鮮)人・中国人および「部落民」に対する差別の実態や、3・11以降高まってきたナショナリズムなどを取りあげ、これらが「不安」(insecurity)を生み出していると結論づけ、その中に「多文化共生」の言説を位置づけている。理念先行になりがちな多文化共生論に対し、過去から現在に未解決のまま持ち越されている社会の問題を対置させることは、きわめて重要である。
本稿では上述した「多文化共生」をめぐる社会的取り組みや批評を意識しながら、宗教(研究)の領域において、どのようなアプローチが可能なのかを、宗教教育に焦点を絞って論じていきたい。
(続きは本書をご覧ください)