研究活動

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研究発表「現代の倫理的課題に対し、宗教共同体はいかに貢献できるのか──「物語」再考」、宗教倫理学会 第15回学術大会、キャンパスプラザ京都、2014年10月4日

1.現代の倫理的課題と宗教倫理のベクトル

1)宗教共同体の内部および外部へ
・内部へ:内部的な倫理コードに基づく信仰共同体への説明責任
・外部へ:社会倫理や社会的実践への関心は、宗教・宗派によってかなり異なる。

2)短期的および長期的課題へ
・短期的課題:生命の本質に影響を及ぼすような技術革新(生命科学)
  例:新型出生前診断を含む遺伝子診断
    優生学との違いは? 自由と連帯の根拠としての偶然性→生命の質の操作
・長期的課題:地球環境問題、エネルギー問題など→長期的な記憶とビジョン

2.宗教共同体と「物語」

1)ポストモダンにおける宗教共同体の役割
・ポストモダンと宗教の変容
 近代の理想を支えた「大きな物語」(メタ物語)は、二度の世界大戦の災禍を経て破綻していく。リオタールによれば、啓蒙主義に端を発する、人間理性による社会の発展や、科学技術や資本主義による進歩・富の蓄積といった「大きな物語」は、もはやその信用を失っている。その不信感を前提とした新たな時代を、リオタールは「ポスト・モダン」と位置づける(リオタール『ポスト・モダンの条件──知・社会・言語ゲーム』水声社、1986年、8-9頁)。
 「大きな物語」としての伝統宗教への帰属→個別にカスタマイズされた「小さな物語」としての宗教性・スピリチュアリティ

・記憶のエシックス
 膨大な情報に取り囲まれながら、しかしそれゆえに記憶喪失に陥りやすい現代社会において、世代を超えて、場合によっては何世紀にもわたって、出来事や記憶を継承する作法を伝統宗教は持っている。これは目立たないかもしれないが、宗教固有の力であり、どの宗教もそれぞれの「記憶のエシックス」を持っている(→世代間倫理)。

・公共性の再解釈
 宗教共同体は「公共性」や「公益性」の意識(共同体倫理)を新たにする潜在力を有している。その力を発揮するためには、近代精神に規定された、すなわち、現代世代の利益を最大化することを前提とした「公益性」や「公共性」を批判的に検証し、過剰に人間中心的でもなく、現代世代中心的でもない公益理解(公益の宗教性)を再発見・再解釈する必要がある。たとえば日本宗教の場合、世代間の権利関係を超えて、生者と死者の関係、生命・非生命の関係にまで議論を広げることができるポテンシャルを有している。

2)グローバル世界の「大きな物語」の中での位置づけ
・アブラハム(一神教)の物語、資本主義・進歩主義の物語に対して
 上記二つの物語をウェルター・ラッセル・ミードは、現代世界の二つのメタ物語と考えている(『神と黄金──イギリス、アメリカはなぜ近現代世界を支配できたか』(下)青灯社、2014年、90-129頁)。
 近代日本は資本主義・進歩主義の物語に自らの一章を付け加えようとして、富国強兵の道を突き進み、その思想的基軸として、西欧の一神教的価値観を過剰とも言えるほど意識した対抗イデオロギーを構築してきた。そのプロセスに宗教が深く関わったことは言うまでもない。そして、このような大きな流れは、戦後という区切りによって途絶えたのではなく、形を変えて現在にも受け継がれている。

3.結論──グローバルとナショナルの間で

 9.11以降、展開してきたグローバルなテロ活動、あるいは「イスラーム国」の広範囲な支援者拡大(中東・欧米からの若者の参加)の背景の一つにはジハード思想を核とする「大きな物語」がある(歴史的にジハード思想は十字軍の聖戦思想により励起されたことに注意→物語の暴力的共鳴)。この影響力を過小評価することはできない。このような状況の中で、宗教共同体の固有の役割が問われている。
 日本宗教の固有の役割を意識することは重要であるが、同時に、それが独善的な形で「日本的なもの」の語り(例:一神教 vs 多神教)に陥らないように、言い換えれば、ナショナルな物語へと転化しないように気をつける必要がある。グローバルな影響力をふるうマスター・ナラティブを意識することは大切であるが、その反動として、排他的な文化ナショナリズムへと傾斜すべきではない。宗教共同体が、グローバルとナショナルの間にある緊張感を冷静に見据え、その両方に貢献できるビジョンと倫理を物語ることができれば、結果として、日本宗教の固有の働きを国内および国際社会に示すことになる。