洗健・田中滋編『国家と宗教――宗教から見る近現代日本』上巻、法蔵館(「近代日本における政教分離の解釈と受容」担当)
目 次
発刊のことば 京都仏教会理事長 有馬 頼底
はじめに 洗 建、田中 滋
総論:法律と宗教 洗 建
第一部 「国家神道」形成期の葛藤
1.国家神道の形成 洗 建
2.近代国家と仏教 末木文美士
3.神仏分離と文化破壊−修験宗の現代的悲喜 井戸 聡
4.国家の憲法と宗教団体の憲法−本願寺派寺法・宗制を素材に 平野 武
5.井上円了と哲学宗−近代日本のユートピア的愛国主義 岡田 正彦
6.近代日本における政教分離の解釈と受容 小原 克博
7.国家神道はどのようにして国民生活を形づくつたのか?
−明治後期の天皇崇敬・国体思想・神社神道 島薗 進
☆インタビュー:聖護院門跡門主宮城泰年「国家神道体制下の本山修験宗」
第二部 国家総動員体制下の宗教
8.国家総動員体制下の宗教弾圧−第二次大本事件 津城 寛文
9.植民地期朝鮮における宗教政策−各法令の性格をめぐって 川瀬 貴也
10.近代日本仏教と中国仏教の間で−「布教使」水野梅暁を中心に 辻村志のぶ
11.戦時下における仏教者の反戦の不可視性−創価教育学会の事例を通じて 松岡 幹夫
12.反戦・反ファシズムの仏教社会運動−妹尾義郎と新興仏教青年同盟 大谷 栄一
近代日本における政教分離の解釈と受容
小原克博
一 はじめに
二 歴史的諸前提
1 日本の政教関係 2 前提としての西洋
三 政教分離をめぐる歴史的経緯
1 復古と維新 2 政教分離の前衛――島地黙雷 3 帝国憲法と教育勅語 4日本型政教分離
四 公的領域と私的領域の形成とその影響――道徳と宗教の関係
1 西洋近代のアンチテーゼとしての天皇制 2 ヒンドゥー・ナショナリズムとの比較 3 倫理・道徳と宗教
五 宗教における世俗的権威の位置づけ
1 真俗二諦 2 ローマ書一三章
六 総括
一 はじめに
政教分離は、政治と宗教の関係をめぐるやっかいな問題に対し、何らかの答えを与えてくれる汎用的な公式のように考えられることが多い。また、政教分離は
近代国家が備えるべき当然の原則であり、それは日本の現行憲法において明示されているという見解もあるだろう。しかし、日本では「靖国問題」のような、ま
さに政教分離にかかわる事例を抱えていながらも、それによって政教分離に対する国民的理解が深められてきたとは言い難い。おそらく大多数の人にとって、政
教分離とは、政治と宗教は互いに干渉し合わず、距離を保っておいた方がよい、といった程度のものに過ぎないであろう。もちろん、その理解は大枠において正
しい。
しかし、世界(特にイスラーム世界)を見渡せば、政教分離は決して自明の原則ではない。また、近代日本においても、それはすんなりと受容されたわけではな
かった。むしろ、政教分離とは何か、どのようにそれを受容すべきか、という問いと激しく葛藤する中で、近代日本はその自画像を描いていった。それは明治新
政府が最初に直面した、きわめて近代的な問いであると同時に、戦後憲法の制定後も、解決済みとはならずに現代に引き継がれている問いでもある。今日の我々
が政教分離を考えるとき、戦前・戦後という時代区分によって単純に問題を切り分けてしまうと、多くの大切な課題を見過ごしてしまうことになりかねない。
本稿では、戦後の政教分離問題には触れないが、それに通じている地下水脈を近代日本の事象の中に探っていきたい。ただし、厚い歴史的地層を掘削していく作
業、すなわち、歴史学的に対象にアプローチしていくことは筆者の力量を超えるだけでなく、本稿の主たるテーマではない。むしろ、現代日本に通じる地下水脈
が、近代においても、日本という国境の内側にとどまらない広がりを持っていたことを比較思想史的に論じるつもりである。近代日本における政教分離や信教の
自由のあり方が、結果的にもたらした広範囲な影響を考えるなら、一国史の語りの中でそれを完結させてしまうのではなく、近代という時代精神に起因する作用
と反作用の中に内包される一般性・普遍性の中に、日本固有の課題を位置づけていく必要がある。それゆえ本稿では、日本の政教分離をめぐる議論を近代日本の
文脈だけでなく、世界史的な視野に接続していくために必要な分析の視座を模索することを目的の一つにしたい。
そもそも、政教分離は何のために求められたのであろうか。この問いに対する答えは一つではないにしても、西洋と日本とでは大きく異なることは容易に察せら
れる。欧米の多くの国家は、カトリックとプロテスタントの違いや信仰理解の違いに触発された戦争や異端紛争などを経験しながら、二百年近い年月をかけて、
それぞれの政教分離のあり方に到達した。実際、各国における政教分離の理解や運用は、その国の歴史事情との関係から、実に多様である。そして、長い年月を
経て検証・修正されながら形成されてきた政教分離は、どの国においても、多かれ少なかれ「妥協の産物」であると言える。しかし、血で血を洗うような争いの
愚を終息させ、激しい主張の対立を対話と協調へ向かわせるための知恵がそこには凝縮されており、そのことが政教分離を近代国家の必須要件とする考え方にも
つながっている。
日本における政教分離をめぐる歴史的経緯は後に見るが、それは、まさに西洋諸国の間で政教分離が近代国家の大前提とされていたことと深い関係がある。端
的に言うなら、日本で政教分離が求められたのは、内的必然性によるのではなく、国際社会において近代国家として独立した位置を占めるために必要な安全保障
上の理由による。政教分離とそれによって保証される信教の自由を対外的に示すことなしには、不平等条約の改正すら、ままならなかった。日本の伝統にとって
きわめて異質な考え方を、短期間の内に、どのように日本の土壌に移植すべきかという課題に明治政府は直面したのである。
さらに言うなら、政教分離が前提とする「宗教」という基本概念も、「宗派の教え」という仏教用語としての意味を離れ、西洋語のreligionの訳語と
して定着していく中で、大きな意味の揺らぎを伴った。それが社会的・学問的に認知されるだけでなく、法制度的にも一定の位置づけを得るためには、政教分離
とは何か、という議論を経なければならず、その意味では、近代日本における「宗教」理解の変遷をたどるには、政教分離の考察を欠くことができないと言え
る。また、西洋からの輸入語としての「宗教」概念が、それに付随してもたらした公的領域と私的領域の区分や、その区分を生み出した西洋の世俗化・近代化に
ついても後に論じることにする。まずは、政教分離を考えるための歴史的な諸前提から議論を始めたい。
※続きは、本書をご覧ください。