研究活動

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「一神教と多神教をめぐるディスコースとリアルポリティーク」、『宗教研究』第345号

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〈論文要旨〉 本論文では、最初に日本および西洋における、一神教と多神教をめぐるディスコースの事例を取り上げ、その特徴を描写する。さらに、そのディスコースをオリエンタリズムやオクシデンタリズムの中に位置づけることによって、その文化的な構造を析出させ、さらに「偶像崇拝」を補助線として用いることによって、その宗教的な構造を明らかにする。偶像崇拝の禁止は三つの一神教、すなわち、ユダヤ教・キリスト教・イスラームに共通する信仰の基盤であるが、偶像崇拝は決して物質的な意味に限定されず、むしろ人間の作り出す観念やイメージをも含む「見えざる偶像崇拝」として機能する。また偶像崇拝が、近現代においては代替・拡張・反転というモデルの中で再解釈されていることを指摘する。最後に「見えざる偶像崇拝」は構造的暴力の温床になり得ることを終末論・進化論を交えて考察する。また同時に、一神教と多神教をめぐるディスコースが暴力的なディスコースへと転移しないための要諦を示唆する。 

〈キーワード〉  一神教、多神教、オリエンタリズム、偶像崇拝、構造的暴力 


一 日本および西洋における動向

1 日本における動向

 近年、日本の論壇では「一神教と多神教」をめぐるメッセージが頻繁に現れている。特に、九・一一以降、その傾向が強まってきていると言える。最初に、日本における一神教と多神教をめぐるディスコースを例示し、そこに通底する類型的イメージを抽出したい。 
 たとえば、梅原猛は日本文化の先導的な紹介者として知られているが、九・一一以前の著書の中で、すでに次のように語っている。「私は、かつての文明の方向が多神教から一神教への方向であったように、今後の文明の方向は、一神教から多神教への方向であるべきだと思います。狭い地球のなかで諸民族が共存していくには、一神教より多神教のほうがはるかによいのです」 1
 梅原に限らず、日本文化の紹介者が一神教より多神教を優位に位置づけるのは珍しいことではない。その際、一神教は紛争・戦争や自然破壊の原因として批判され、他方、そのような問題の解決策として多神教やアニミズムの自然理解が紹介され、賞賛される。一神教的な思考を捨て去り、多神教的な考え方に移行すれば、戦争や自然破壊の問題は解決するという論理の明快さは、多くの人の心に訴えるものがある。この種のメッセージが受容されやすいのは、明確なナショナル・アイデンティティを見いだしにくくなっているという時代状況のせいもあるだろう。一九九〇年代初頭までは経済的・物質的な豊かさが、信頼すべき価値の指標とされてきた。しかし今、その安定構造が失われつつあるからこそ、一種の時代の反動として伝統回帰的な精神的価値への言及が歓迎されているという側面がある。 
 ちなみに一九九〇年代以前において、アニミズムと一神教の比較論を展開し、広く読まれた書物の一つに岩田慶治の 『カミと神――アニミズム宇宙の旅』 がある。岩田は「カミと神」という図式を提示し、人類学的な見地に基づいて、両者の特徴や違いを描き出しているが、それは決して排他的なものではない。むしろ、「アニミズムの神から一神教の神にいたるまで、違うのは信者の側における身体の動きだということになる」 2 という主張に代表されるように、岩田は両者の連続した位置関係やトポロジーに注意を払っている。 
 近年においても、一神教と多神教の連続性を論じているものがないわけではない。たとえば、町田宗鳳は「教義や儀礼の上では大きな隔たりがあるように見える一神教と多神教であるが、その両者も決して断絶しているわけではなく、突き詰めていけ ば〈絶対矛盾の自己同一的〉に重なり合ってくるのである」 3 と説く。しかし、町田は一神教を主語的論理として、多神教を述語的論理として描き、それぞれを対局に位置づけている。裏返して言えば、絶対矛盾の自己同一という境地に至らなければ両者を関係づけることができないほどに、一神教と多神教は排他的関係にあると理解されているのである。 
 もちろん、ごく限られた例を引き合いに出して、一九九〇年代以前と近年の間に排他性への傾斜があると断定するつもりはない。しかし、学問的な検証対象から大衆文化へと視界を広げると、そこにはかなり明瞭な傾向性を認めることができる。その一部の例を紹介する。 
 国産OSトロンの開発者として知られ、近年はユビキタス社会の先導者としての役割を担っているコンピュータ科学者・坂村健は、「ユビキタス」という言葉が「神はどこにでも偏在する」というキリスト教の用語法から転用されたことに感心しながらも、日本のやり方は異なることを次のように強調している。「私の「ユビキタス」は一神教の神ではなく、あくまでも日本的な八百万の神が「そこにもいて、あそこにもいて、裏のネットワークで話し合っている」というイメージである。そしてこのイメージの方が実現性が高いと思っている。諸般の事情で、残念ながらこれから流行るのはやはり「ユビキタス」という言葉だろう。(中略)しかし、内容はあくまで「八百万のユビキタス」。だからこそ、この分野については日本がリードできるのである」 4 。ITの最先端技術においても、欧米と日本の違いを際だたせるためには、一神教と多神教の対比が効果的だと考えられていることがわかる。いかなる技術も、それが形をなす前には、ある種の理念的モデルが必要である。ここで多神教的モデルが最先端技術を触発する役割を果たしているとすれば、そこで論じられている一神教・多神教関係は、よい意味での競争関係にあると言えるだろう。しかし、次の例に見るように、九・一一を意識した発言の中には、憎悪や偏見を増長しかねないものが少なくない。 
 「だから、世の中でいちばん迷惑というか害が大きいのは、一神教と一神教との喧嘩ですね。今のキリスト教国のアメリカとイスラム圏との争いというのは、人類の未来にとって非常に危惧すべきことではないかと思います。これはやはり一神教の病理で、はっきり言えば、一神教が人類の諸悪の根元なんで、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、一神教がすべて消滅すればいいんですけれどね(笑い)」 5 。一見、冗談めかしているが、この種の感覚は大衆文化の中で、かなり広く共有されていると思われる。長引く紛争や戦争の背後にある問題は複雑であり、通常、その原因は政治や経済、価値の対立などを含む複合的なものである。しかし、その原因を宗教紛争へと還元することによって、一気に見通しの良さを与えようとする誘惑が社会には溢れている。 
 同様の還元論は、養老孟司の『バカの壁』においても明瞭に見ることができる。「イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、結局、一元論の宗教です。一元論の欠点というものを、世界は、この百五十年で、嫌というほどたたき込まれてきたはずです。だから、二十一世紀こそは、一元論の世界にはならないでほしいのです。(中略)バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。(中略)一元論と二元論は、宗教でいえば、一神教と多神教の違いになります」 6 。宗教学的に見れば、三つの一神教を一元論の宗教としてまとめることができないのは明らかであるが、養老は一神教を一元論に還元することによって、さらにそれを「原理主義」「思考停止状況」といったイメージに連結させていく。 
 一神教 より多神教を優位に考える傾向は、イラク戦争のあと、さらに強調されている。なぜなら、ジョージ・W・ブッシュ大統領の論理や用語法は、一神教としてのキリスト教に起因すると考えられ、一神教の論理は平和の敵と見なされることが多いからである。その場合、キリスト教を含む一神教世界の多様性は顧みられないか、意図的に無視されている。ある対象に対して、多様性を捨象し、固定的なイメージを作り出すことが、それに対する批判や支配を容易にすることについては後に述べる。 
 近年、一神教と多神教をめぐる言説は枚挙にいとまがないが、次のような類型的なイメージを取り出すことができるだろう。 
① ユダヤ教・キリスト教・イスラームは唯一の神を信じる宗教であるから、対立・衝突を避けることができない。 
② 戦争や自然破壊など、現代世界の問題は一神教(文明)に帰するところが多く、日本の多神教(文明)こそが一神教的思考の限界を乗り越え、問題解決に貢献すべきである。 
③ 一神教は排他的・独善的・好戦的・自然破壊的であるのに対し、多神教は寛容・協調的・友好的・自然と共生的である。 

2 西洋における動向

 強調点は異なるが、西洋においても、日本の場合に似た一神教批判の歴史はある。近年の例の一つとして、R・M・ シュバルツの『カインの呪い――一神教の暴力的遺産』をあげることができる。シュバルツは、一神教が 西洋における暴力的遺産の責任を負っていると主張し、様々な論争を引き起こした。彼女によれば、超越的他者(神)に対する信仰と、他者(人間)に対する敵対的なアイデンティティ形成の結合が、一神教における暴力の源泉なのであり 7 、一神教の暴力的アイデンティティは「欠乏」(scarcity)の物語を反映している。限られた土地を争うように、限定されたアイデンティティを強く求めることから暴力が始まると彼女は考える 8 。それゆえ、彼女は次のように結論づけるのである。「見方を変えることによって、別の聖書が生み出されるだろう。すなわち、暴力と欠乏という支配的な見方を、豊饒という理想と、その当然の結果としての寛容への倫理的責務とによって、打破する聖書である。それは一神教の代わりに、多様性を擁する聖書になるだろう」 9
 一神教批判の議論は、西洋においては啓蒙主義以降、姿を現してきた。たとえばヒュームは、多神教は一神教と異なり、本源的に多元的で教義に束縛されず、それゆえ政治的にも、一つの信念を押しつけがちな一神教より、はるかに寛容であると考えた 10 。また、マキャベリは異教(pagan)が持つ市民的美徳をキリスト教の美徳より優れたものと考えた 11 。「異教」という表現は多神教や偶像崇拝に対する侮蔑的な表現であるが、ここでは多神教とほぼ同義に考えてよいだろう。ルソーも同様に、異教を市民宗教として、より好ましいと考えた 12 。しかし、より徹底した異教への回帰を唱え、同時にキリスト教の神を批判した人物はニーチェである。ニーチェは、異教が動物的本能や、自然主義、自己神格化に価値を置く、という一神教の考えに同意しつつ、自己否定を求める超越的な神を拒絶し、自己と生命を肯定する異教の考え方を望ましい道として選択するのである 13
 日本における一神教と多神教をめぐるディスコースと、シュバルツに代表される西洋における主張は非常によく似ており、実際、共有されている課題も少なくはない。しかし、両者がそれぞれ異なる思想的来歴の中に位置づけられることは言うまでもない。日本近代史における伝統回帰的なディスコースは、時としてナショナリズムを思想的に支援し、また、西洋的な近代の超克という目標を掲げた。それが今の時点から見て成功したかどうかはともかくと して、その時代においては「ポストモダン」な運動の方向を有していた。それに対し、西洋におけるディスコースは、啓蒙主義的な精神に由来しており、超越的な価値を否定し、より多様な価値を求める流れは、啓蒙主義的な「モダン」に属していると言ってよい。シュバルツは、自らの試みをおそらく「ポストモダン」として位置づけたいであろうが、それは西洋のコンテキストにおいては、その主張がいかに論争的であったとしても、「モダン」の現在形として扱うのが適当であろう。 
 次に、以上見てきた日本や西洋における動向を念頭に置きながら、そこに潜む問題を、文化的および宗教的な構造に着目することによって明らかにしていく。 


二 偶像崇拝の変容と拡大

1 文化的構造の相克―― オリエンタリズム、オクシデンタリズム

 歴史的に見れば、一神教を批判し、多神教を賞賛するような文化的構造は、日本の近代史において繰り返されている。すなわち、精神的・道徳的に没落し危機に瀕している欧米の限界を乗り越えて、新たな価値・思想体系を提供する東洋、アジア、日本という考えは、様々な形で現れてきた。このように西洋と東洋を二元論的に対置させる言説に含まれる問題性を、明確に指摘したのがエドワード・サイードの『オリエンタリズム』(一九七八年)であった。 
 オリエンタリズムとは、本来、近代ヨーロッパに現れた、ロマン的な異国趣味の濃い文学や芸術の潮流のことをいうが、サイードは、この言葉に新たな解釈を与えた。サイードは、オリエンタリズムを、東洋に対する西洋の支配の様式ととらえ、東洋と西洋との間には本質的な差異があるとする見方であると考える。たとえば、東洋人は非合理的で、下劣で幼稚で、「異常」であり、それに対し、西洋人は合理的で、有徳で、成熟しており、「正常」である、とされる 14 。オリエンタリズムのかっこうの対象となったのがイスラームであったが、それについてサイードは次のように語っている。 
イスラムが恐怖や荒廃、悪魔的なもの、いとわしい野蛮人の群れを象徴するようになったのも、決していわれのないことではなかった。ヨーロッパにとって、イスラムは癒されることのない精神的外傷(トラウマ)であった。(中略)要するに、イスラムに関する持続的な通念とは、ヨーロッパに対しイスラムが象徴した大いに危険な力を否応なく矮小化したものにほかならなかった 15
イスラムは一つのイメージになった。――これ はダニエル[筆者注:ノーマン・ダニエル。イギリスの中世史家] の言葉であるが、私にはオリエンタリズムの全体の性格を驚くほど見事に暗示しているように思われる。――そのイメージの機能は、イスラムそれ自体を表象することではなく、中世のキリスト教徒のためにそれを表象してやることであった 16
  固定化された否定的なイメージを押しつけることが、支配の道具となることをサイードは見抜いたのであった。西洋が東洋に対し、外部から固定的なイメージを割り当てていたように(オリエンタリズム)、東洋は西洋に対する固定的なイメージを割り当てた。それをオクシデンタリズム(Occidentalism)と呼ぶことができる。もちろん、オリエンタリズムとオクシデンタリズムは対称的な関係にあるわけではないが、近代日本の事例からもわかるように、東洋(アジア)を西洋に対置させ、東洋の西洋に対する優越性を語ろうとする考え方は、構造的にはオリエンタリズムと同等であると言える。また歴史的な実像を離れた「表象」によって、外向きの自画像を本質主義的に描こうとする傾向を「リバース・オリエンタリズム」(逆オリエンタリズム)と呼ぶことができる 17 。リバース・オリエンタリズムのラディカルな例として、 日本の大東亜共栄圏構想やアジア主義、また、アーリヤ・サマージ 18 のようなヒンドゥー・ナショナリズム、あるいは朝鮮の近代化において形成された天道教や東学党の運動などをあげることができる。 
 この文脈の中で、日本における一神教と多神教をめぐる議論を考えると、一神教がオクシデンタリズムに配置され、多神教がリバース・オリエンタリズムに配置されていることがわかるだろう。オクシデンタリズムの中の一神教の機能は、先のサイードの言葉を借りれば、一神教それ自体を表象することではなく、日本人のためにそれを表象することにある。また、リバース・オリエンタリズムの中の多神教は、多様な実態を単純化(一元化)し、歴史的な文脈を欠いた超越的本質として描写されている。 

2 見えざる偶像崇拝

 オリエンタリズムにおいては、固定化されたイメージが破壊的な影響力を及ぼし、それに対して暴力的な反発が起きることもある。現代においては、オリエンタリズムやオクシデンタリズムが生み出すイメージは、インターネットを含むマス・メディアによって、大量生産されている。しかし、このイメージの増殖は決して現代特有の問題ではない。このメカニズムとその問題性は、一神教の伝統における「偶像崇拝」に対応する。ここでは、一神教と多神教をめぐるディスコースの構造を、さらに踏み込んで分析する一助として、「偶像崇拝」という補助線を引いてみたい。 
偶像崇拝は、神のみを絶対的なものとする一神教にとって、厳しい批判の対象とされてきた。「偶像崇拝の禁止」は三つの一神教に共通する伝統であるだけでなく、一神教のアイデンティティは偶像崇拝の否定に依存している、とさえ言うことができる。その意味では、一神教の信仰に真に敵対するのは多神教でも無神論でもなく「偶像崇拝」であるとも言える。偶像崇拝の禁止は、ヘブライ語聖書(旧約聖書)では、出エジプト記二〇章の十戒の第二戒に関係づけられるが、ユダヤ教では、禁じられた異教の神々への礼拝のことを「アヴォダー・ザーラー」(Avodah Zarah)と呼び、単に目に見える偶像(ヘブライ語でペセル pesel)に限定していない。現代の問題を考察するためには、偶像崇拝を目に見える偶像に仕えること、とするだけでなく、より広い意味で「見えざる偶像崇拝」(invisible idolatry)として理解すべきであろう。この点に関して、パウル・ティリッヒの次の言葉は興味深い。 
偶像崇拝は、予備的関心を根源的関心にまで高めることである。本質的に制約を受けているものを無制約的なものと考え、本質的に部分的なものを普遍的なものにまで高め、本質的に有限なものに無限の意味を与える(現代の宗教的民族主義の偶像崇拝は最も良い例である) 19
 ティリッヒが『組織神学』を著したのは一九五一年のことであるが、宗教ナショナリズムを偶像崇拝として理解する必要性は、九・一一以降の世界において、よりいっそう高まっていると言えるだろう。ティリッヒの言葉からもわかるように、あらゆる人間、あらゆる宗教が偶像崇拝的になる危険性を有している。 
 しかし、有限なものに無限の意味を与えるべきではない、というだけでは安易すぎるのではなかろうか。もし偶像崇拝が、そのような単直な定式によって取り除かれるとするなら、そもそも、偶像崇拝は深刻な問題にはならないだろう。ティリッヒは、確かに、国家が宗教的な情熱を帯びて自己絶対化する危険性を認識している。しかし、西洋社会においては、神の絶対性と国民国家は両立し得るのに対し、イスラーム世界では、国民国家の存在そのものが時として疑問にさらされる。神以外のものを絶対視することを偶像崇拝として拒否するティ リッヒの考えを、極限にまで高めた主張がイスラーム主義者たちによって担われ、それが西洋社会と敵対的な関係で語られている世界の現実を、ティリッヒが知ることはなかった。その意味でも、われわれはティリッヒの残した定式に安住することは許されないのである。そこで次に、偶像崇拝が近現代において、どのような現象形態を取ったのかについて考察する。

3 偶像崇拝をめぐる近現代のディスコース
  
 ハルバータルとマーガリットは、その著書『偶像崇拝』において、聖書時代から西洋史に至る偶像崇拝をめぐる多様な解釈史を記しており、その中で提示されている近現代の解釈モデルを、ここでは議論の手掛かりとして用いたい。彼らは偶像崇拝の問題が宗教的領域を越えて論じられてきたことを、「代替」(replacement)、「拡張」(extension)、「反転」(inversion)という三つのモデルによって説明する 20

a 代替モデル 
 偶像崇拝は「正しい神」の代わりに「間違った神」(異教の神)を礼拝することとして定義される一面を持つが、偶像崇拝をめぐる世俗的なディスコースは、「正しい神」の代わりに「新しい理想」を置く。たとえば、ベーコンは「正しい神」を科学の理想像に置き換える。すなわち、真の神への礼拝において一切の偶像が取り除かれるように、真の科学を探究するためには人間の心の中にある偶像を取り除かなければならないのである。その偶像(イドラ)として、ベーコンは、人間性一般につきものの「種族のイドラ」、個人の特殊な条件によって生じる「洞窟のイドラ」、言語が精神におよぼす影響によって生じる「市場のイドラ」、既存の哲学体系や間違った論証方法から生じる「劇場のイドラ」をあげている 21 。また、マルクスは「貨幣は、他の神々の存在を許さない、妬み深いイスラエルの神だ」 22 と語ることによって、資本主義経済が人間の本質的価値を疎外していることを言い表そうとした。マルクスの場合、貨幣の神聖化の対局にあるのは正しい神ではなく、人間の本質的価値であり、正しく見いだされるべきは神ではなく、人間ということになる。 
 このように代替モデルは、伝統的な偶像崇拝の理解から見れば、大きな意味の変異を伴っているが、この変異は、かつて神が占めていた位置の空隙を別種の観念によって埋め合わせしようとする啓蒙主義的な発想と強い相関関係がある。一神教の特質を際立たせてきた、その意味でもっとも宗教色の濃く現れる偶像崇拝禁止という強力な訓戒が、この代替モデルでは、その宗教色を脱色されながらも、世俗社会で一定の役割を与えられている。 

b 拡張モデル
 このモデルでは、偶像の概念を拡張して、広い意味での偶像破壊行為が目的とされる。つまり、先のモデルのように古い偶像を新しい偶像に置き換えるのではなく、すべての神々や理念が偶像の疑いをかけられる。このモデルの代表例とされるのはヴィットゲンシュタインである。「哲学ができることは偶像を破壊することに他ならない。このことは、いわば「偶像の不在」から、いかなる新たな偶像をも作り出さないことを意味する」 23 。この場合、哲学的な用語法で、偶像概念を拡張しているのであり、先に言及したティリッヒの場合には、神学的な概念拡張を行っていると言えるだろう。 
 本論文にとって、この拡張モデルは重要な意味を持つ。なぜなら、偶像崇拝が拡大解釈されることによって、拡張された偶像破壊行為は暴力行使を正当化することにつながっていく可能性を持つからである。ただし、暴力の行使は、偶像崇拝の意味の拡張だけに起因するわけではない。むしろ、意味の拡張を要請する構造的な問題がどこにあるのかを、宗教的・政治的次元において探っ ていく必要がある。また、拡張モデルにおいて気をつけなければならないのは、偶像崇拝の禁止をめぐって問われてきた重層的な解釈がそのまま拡張されているわけではなく、しばしば、その一部が強調され、拡張されている点である。本来、偶像崇拝の禁止規定は、その意味解釈の多様性によって、特定の解釈が単独で固定化されることを防いできた側面がある。ハルバータルとマーガリットも、偶像崇拝の本質内容を一意に定義することは間違いであると結論づけている 24 。したがって、その多様性が単純化されて拡大解釈された場合には、神に正しく仕えるという「目的」のために設定された偶像崇拝の禁止という「手段」が、むしろ目的化してしまっているのではないか、と批判的に検証する必要がある。 
市川裕は、偶像崇拝(アヴォダー・ザーラー)の本体を「手段の目的化」という倒錯現象としてとらえる。また、偶像崇拝の対象に人間精神の産物であるあらゆる観念やイデオロギーも含まれるとし、イスラエル宗教は、そのような観念を「絶えず壊していくことによってのみ達成される、いわば否定を通しての自由の境涯」 25 であると述べる。このことからも、拡張モデルは近現代的な思考様式を活用することはあっても、決して近現代の発明物ではなく、むしろ、聖書的な起源に根ざしていることがわかる 26

c 反転モデル 
 このモデルでは、一神教と多神教あるいは異教との間にある対立を維持しながら、その序列を反転させる。その典型例を、先に西洋における一神教の批判者として取り上げたヒュームやニーチェに見ることができる。彼らはいずれも、一神教より多神教あるいは異教の方に優位性を置き、暴力をめぐる文脈の中では、シュバルツのように「欠乏」と「多様性」という対比になることもある。シュバルツの場合、一神教の中の暴力性を批判する視点は多神教や異教からのものではないが、「一」と「多」の価値を積極的に反転させようとしている意味で、この類型に入れてよいであろう。 
 日本における一神教と多神教をめぐるディスコースは、西洋史の文脈に置くなら、この反転モデルに属することになる。しかし、一神教がオクシデンタリズムの中で描写され、多神教がリバース・オリエンタリズムに配置されることの起源が、反西洋や近代ナショナリズムにあるとすれば、この種の議論は代替モデルに近接していると言わざるを得ない。なぜなら日本近代史において、一方では、物質主義や個人主義に毒された西洋文明が、偶像崇拝と同様に克服されるべき対象と見なされ、他方、その代わりに日本の伝統精神の崇高さが強調され、一神教的に再構成された天皇制や国家神道が日本精神の「原理」としての役割を担っていったからである 27
さらに言えば、西洋史と日本史の境界線がいっそう流動的になっている現代においては、一神教と多神教をめぐるディスコースは、反転モデルと代替モデルの複合体としてとらえるのが適切であると思われる。そうすれば、近代化途上(「代替」による伝統的価値の再構築)におけるポストモダン的跳躍(「反転」による近代批判)の軌跡を追いやすくなるだけでなく、その反復された軌跡を現代のディスコースの中に洞察することもできるだろう。 

 以上、一神教と多神教をめぐるディスコースを適正に解釈するためのコンテキストを求めて、偶像崇拝を一つの補助線として用いてきた。偶像崇拝の意味は、一神教内部で完結するものではなく、むしろ、多神教をはじめとする一神教の外部世界(異教世界)との関係においてこそ、その輪郭を明らかにする。少なくとも、我々が認識すべきなのは、ティリッヒへの指摘においても触れたように、いかなる教訓や定式をもってしても偶像崇拝を取り除くことは できない、という事実であろう。一神教の信仰は、本源的に、偶像崇拝の危機や、それによって引き起こされる緊張を内包している。この緊張なしに一神教の信仰は成り立ち得ない。神への信仰と偶像崇拝とは、聖書時代以降、概念的にも、信仰生活上も、不可分の関係にある。その認識を欠いて、偶像崇拝の危機を「外部化」し、それを「他者」に押しつけるときに、暴力的なディスコースが発動するのである。 


三 リアルポリティークにおける構造的暴力の諸相 

1 見えざる偶像崇拝と構造的暴力

 多くの出来事が視覚的なイメージに変換される現代世界においては、その多くのイメージがメディアの中で「偶像」となり得る。作られたイメージは現実を指示するのではなく、かえって現実を見えなくする「偶像」として機能することもある。その一例をテロとの戦いというリアルポリティークの中に見てみたい。 
 九・一一以降、テロとの戦いという文脈の中で「悪」という表現が多用されてきた。反米感情の強い中東世界では、「悪」に打ち勝つべく戦っているはずのアメリカに対し「悪」という呼び名が与えられてきた。いずれにせよ、善と悪の戦いというイメージが、相互の敵対感情を強めてきたという側面がある。ロバート・ベラは、ブッシュ大統領の発言をめぐり次のようなコメントをしている。 
ブッシュの言葉は、奇妙なことに、オサマ・ビン・ラディンの言葉を写しているかのようである。ビン・ラディンも自分自身が「悪」と戦っていると信じているのだ。このことは長引くテロに対する戦争の中で、われわれが多くの点において、敵対者に似てくるということを暗示している 28
 ベラが指摘するように、善と悪というイメージは容易に反転し増殖する。これは偶像崇拝の力の一面を表している。現代世界において増殖の力を身にまといながら、グローバルな影響力を与えているのが、資本主義に象徴される「物質主義」であり、米軍の軍事介入に象徴される「帝国主義」であるとするなら(これらはオクシデンタリズムにおける典型的な「西洋」イメージである)、その抑圧を受ける者が、それらの力を偶像崇拝的と見なすのは不思議なことではない。別の言い方をすれば、「見えざる偶像崇拝」は「構造的暴力」の温床になり得るということであり、その暴力性に立ち向かうために、時として「直接的暴力」が行使される。 
 「構造的暴力」は平和学を中心にすでによく知られている言葉であるが、ヨハン・ガルトゥングによる定義を確認しておきたい。彼は、ただ個人的・直接的な暴力を解消するだけでは平和を実現することはできないと考え、暴力の概念を次のように拡張した。「ある人に対して影響力が行使された結果、彼が現実に肉体的、精神的に実現しえたものが、彼のもつ潜在的実現可能性を下回った場合、そこには暴力が存在する」 29 。この暴力が「構造的暴力」と呼ばれている。先の文脈に立ち返って言い換えるなら、たとえばムスリムが、西洋由来の物質主義や帝国主義(「見えざる偶像崇拝」)の影響力のゆえに、本来持ち得たはずの「尊厳」を損ない、また人生設計の自由を狭められているとするなら、そこには「構造的暴力」が存在していると言える。その意味で、「見えざる偶像崇拝」が「構造的暴力」を増殖させているのであり、その暴力性を自覚した者が、偶像破壊行為として「直接的暴力」に訴えることもある。 
 それがきわめて過激な形で現れたのが、九・一一同時多発テロ事件であった。テロリストたちの目には、ワールド・トレード・センターは資本主義の富と暴力を体現した「偶像」として映っていたかもしれない。ペンタゴンもまた軍事力を体現した「偶像」として映っていたことだろう。だからこそ、あの事件は、 多くの尊い人命の損失にもかかわらず、偶像の破壊を見ようとする欲求に形作られた大きな歓喜の声を伴ったのであった。絶望と歓喜を同居させるような偶像破壊行為を繰り返さないために、我々は偶像の背後に何を見るべきなのであろうか。 

2 終末論と進化論

 オクシデンタリズムはもっぱら反西洋の形式を取るが、それが文化間の相克を際だたせようとする以上、文化の核に位置する宗教的要素が前面に出てくるのは、オクシデンタリズムの宿命と言える。偶像破壊という本来宗教的な行為が、政治的・社会的な領域にまで転移していくのは、偶像崇拝に内蔵された増殖機能に由来すると言えるが、増殖の素地を与えているものは一体何なのか。ここでは、それを終末論と進化論として考えてみたい。 
終末論は、しばしば、世界が善と悪の戦争状態にあることを語る。そのような世界観が前提にされると、この世界はすでに戦争状態にあるという理由から、暴力行為が正当化されることにもなる 30 。言い換えるなら、終末論は、暴力を宗教的に正当化する「構造的暴力」として機能する危険性がある。もちろん、終末論は既存の社会秩序を越えた新しいビジョンを指し示すという建設的な側面も持っており、それは一九六〇年代以降のキリスト教世界における解放の神学の系譜の中に明瞭に認めることができる。また、非戦論を唱えた内村鑑三の思想的支えとなったのは、再臨願望を中心とする終末思想であったが、そのことが示唆するように、終末論が暴力の否定と結びつく場合もある。このように終末論は、今ある現実を容認しないという基本姿勢から、暴力的なエネルギーにも、平和を希求するエネルギーにも変移し得る両義性を持っている。この終末論の両義性を認識すれば、平和を求めて悪と戦っているはずの善が、いつの間にか敵対者に似てくるというベラの指摘に見られる、善と悪の転移のメカニズムが見えてくるであろう。
 終末論は、一神教に共通して見られる世界観・歴史観であるが、その影響力は姿を変えて、非宗教的な世界までも覆っている。その代表例は進化論である。ここで言う進化論は、生物学的な進化論というよりは、むしろ社会ダーウィニズムのことである。社会ダーウィニズムは、「生存競争」「適者生存」といった生物学上の進化論の考え方を、人間社会にも適用しようとする。一九世紀に誕生した社会ダーウィニズムは、二〇世紀初頭には優生学を生み出すことになった。優生学は進化論と遺伝の原理を人間に応用して、人間の自然的運命を改良しようとした。終末論は、神を前提として人間の運命を描写しようとしたが、社会ダーウィニズムや優生学は、神なしに、人間や社会や国家の運命を描写しようとするのである。その意味で、社会ダーウィニズムに代表される進化論は、キリスト教の終末論が世俗化した形態であると言えるだろう。 
 社会ダーウィニズムが生み出したもう一つのものは、進化論的な文明理解である。簡単に言えば、二〇世紀初頭より、アングロ・サクソン文明を頂点として文明を序列化する考え方が、西洋社会では広く受け入れられることになった。したがって、終末論が暴力を正当化する「構造的暴力」として機能することがあるように、進化論もまた、文明の序列を前提とすることによって、優秀な文明が劣った文明を支配するのは当然であるという「構造的暴力」に変移し得るのである。これらがリアルポリティークに影響を及ぼしてきたことは言うまでもない。序列化された文明論という礎石の上に立つ諸々の偶像に向けられた敵意も、その一部なのである。 


四 結語

 一神教と多神教をめぐるディスコースは、古代社会から現代に至るまで、単に神理解の違いという次元にとどまらず、宗教と政治的権威 の関係、あるいは、社会における規範性の問題に及んでいる。一言で言うなら、従うべき価値は何なのか、という問いがそこにはある。グローバル経済は、価値からの自由を唱え、他方、原理主義的な運動は、超越的な価値を主張する。近代の国民国家という概念は、この両者からの批判にさらされている。
 西洋近代にとって、固定化された伝統的価値、とりわけ宗教に依拠する価値は、打破すべき「偶像」として映っていた。他方、イスラーム主義者のように宗教的な規範性を重視する人々からすれば、人間の主権を強調し過ぎる西洋的な近代化こそが、避けなければならない「偶像」である。両者の偶像破壊行為が、今日、価値の衝突を引き起こしている。 
 価値の衝突は西洋世界とイスラーム世界との間に限定されない。米国とヨーロッパのリアルポリティークにおける衝突も同様の問題ははらんでいる。米国では「信じることへの自由」(freedom to believe)を叫ぶ声は少なくなく、他方、ヨーロッパでは宗教からの自由(freedom from religion)が近代国家形成の前提とされてきた。米国では、国家が偶像的になる危険性を持つと考え、宗教は国家の介入から個人を守る役割を果たしていると考えられてきた。他方、啓蒙主義以降のヨーロッパでは、宗教の介入から個人を守る役割を国家が果たすと考えられ、宗教が持つ潜在的な力に対し常に警戒をしてきた。もちろん、このような基本的な違いにもかかわらず、米国もヨーロッパも、多文化主義的な価値を積極的に受けとめようとしている姿勢においては一致している。しかし同時に、多文化主義がとなえる「寛容」だけでは今日の問題を解決することができないことも明らかになりつつある。なぜなら、多文化主義を生み出してきた啓蒙主義精神そのものを疑問視し、あるいは、それを敵視する人々が、米国の中にも、ヨーロッパの中にも多数存在するからである。同様に、多神教が一神教に比べて「寛容」である、と繰り返すだけでは、ほとんど何の問題解決にもならないことは明らかであろう。 
 本論文では、戦争・紛争・テロをはじめ、リアルポリティークに帰属する直接的暴力の一部は、構造的暴力への反動として理解され得ることを考察してきた。そして、その構造的暴力は、偶像崇拝や終末論といった宗教的な次元においても、また、社会ダーウィニズムのような社会的な次元においても存在しているのであって、その多元性を認識することが重要である。 
 一神教と多神教をめぐるディスコースにも、この多元的な構造的暴力が潜在している。つまり、一神教の暴力性を止揚する平和・協調的な多神教という語りは、その趣旨に反して、偏見や憎悪を生み出す暴力的なディスコースへと転移する危うさを持っている。それは、多神教礼賛者が一神教に対して侮蔑的な態度を取るからというわけではない。そのディスコース自体がオクシデンタリズムとリバース・オリエンタリズムの複合体として、あるイメージを代替・拡張し、また反転させる機能を、偶像崇拝同様に、増殖し続けるからである。その増殖は、梅原のように、一神教文明から多神教文明へ、という進化論的な序列をつけることによって加速する。一神教文明と多神教文明のどちらを優位に置こうとも、このような固定化した序列のイメージが「見えざる偶像崇拝」しいては「構造的暴力」を醸成することは、先にも触れた通りである。 
本論文では、一神教と多神教についての語りが、暴力的なディスコースへと直進しないよう、あえて偶像崇拝という迂回路をたどった。偶像崇拝の禁止は、一神教と多神教を峻別する排他的な原理として理解されることがもっぱらであるが、本論文では、それがかえって両 者をつなぎとめ、関係づける構造を持っていることに光を当てた。つまり、偶像崇拝の危機を「外部化」して、それを多神教という「他者」に押しつけるという方法を取らなかった。それゆえ、一神教と多神教をめぐるディスコースの中で頻出する「寛容」な多神教というイメージを、数ある歴史的反証事例 31 によって論駁するのではなく、そのディスコースそのものが持つ構造的問題に向き合ってきたのである。その作業を通じて、この種のディスコースが日本固有の歴史的経緯を包含していることだけでなく、いまだ暴力的ディスコースの発動を十分に制御するに至っていない国際社会が普遍的に抱えている問題の相を映し出していることをも垣間見たのであった。 




1 梅原猛『森の思想が人類を救う』小学館、一九九五年、一五八頁。
2 岩田慶治『カミと神――アニミズム宇宙の旅』講談社、一九八九年、二八〇頁。
3 町田宗鳳「述語的論理と二一世紀」(河合隼雄・中沢新一編『「あいまい」の知』岩波書店、二〇〇三年)、一三八頁。
4 坂村健『ユビキタス・コンピュータ革命――次世代社会の世界標準』角川書店、二〇〇二年、一三頁。
5 岸田秀・小滝透『アメリカの正義病、イスラムの原理病――一神教の病理を読み解く』春秋社、二〇〇二年、二三六頁。
6 養老孟司『バカの壁』新潮社、二〇〇三年、一九三―一九五頁。
7 Regina M. Schwartz, The Curse of Cain: The Violent Legacy of Monotheism (Chicago, The University of Chicago Press, 1997), p. 16.
8 ibid., p. 20.
9 ibid., p. 176.
10 David Hume, Dialogues Concerning Natural Religion and the Natural History of Religion, ed. J. C. A. Gaskin (New York, Oxford University Press, 1983), pp. 26-32.
11 N. Machiavelli, The Discourses, trans. L. J. Walker (Harmondsworth, Penguin Books, 1983), pp. 277-280.
12 J. J. Rousseau, The Social Contract, trans. M. Cranston (Harmondsworth, Penguin Books, 1982), pp. 176-187.
13 フリードリヒ・ニーチェ(西尾幹二・生野幸吉訳)「偶像の黄昏」(『ニーチェ全集』第四巻、白水社、一九八七年、一一―一五五頁)、特に四九―五六頁。
14 エドワード・W・サイード(板垣雄三・杉田英明監修、今沢紀子訳)『オリエンタリズム』上、平凡社、一九九三年、一〇〇頁。
15 同書、一四一―一四二頁。
16 同書、一四三頁
17 本論文での「リバース・オリエンタリズム」は、広義の「原理主義」と類似している。たとえば、松本健一は原理主義を「西洋=近代に抵抗しつつ、それを超える文明論的な原理を掲げる、思想的なベクトル」(松本健一『原理主義――ファンダメンタリズム』風人社、一九九二年、九頁)と考えるが、その理解はリバース・オリエンタリズムにも当てはまる。しかし、オリエンタリズムあるいはオクシデンタリズムの対概念として「原理主義」を用いると、概念上の混乱を引き起こす危険性があるので、便宜上、本論文では「リバース・オリエンタリズム」を優先的に使う。
18 アーリヤ・サマージは一八七五年にボンベイで設立されたが、西洋に対抗するため、従来の神々を偶像として拒否し、ヴェーダに現れた神々は実は唯一神ブラフマンの異名に過ぎないとして、教義を一神教的に整理していった(小川忠『原理主義とは何か――アメリカ、中東から日本まで』講談社、二〇〇三年、一六三―一六四頁)。こうした多神を一神へと整理する方向は日本の近代ナショナリズムとも符合する面があり、興味深い。
19 パウル・ティリッヒ〔ポール・ティリック〕(鈴木光武訳)『組織神学』第一巻上、新教出版社、一九五五年、二五頁。
20 Moshe Halbertal and Avishai Margalit, Idolatry, trans. N. Goldblum (Cambridge, Harvard University Press, 1992), pp. 242-250.
21 フランシス・ベーコン(桂寿一訳)『ノブム・オルガヌム(新機関)』岩波書店、一九七八年、八二―八六頁。ここでの「イドラ」は「幻影・虚想」の意味であり、「偶像」と訳すことについては異論がある。
22 Writings of the Young Marx on Philosophy and Society, trans. L. D. Easton and K. H. Cuddat (New York, Doubleday, 1967), pp. 245-246, as quoted in Halbertal and Margalit, Idolatry, p.243.
23 Ludwig Wittgenstein, The Big Typescript, Manuscript 213 and 413, as quoted in Halbertal and Margalit, Idolatry, p.244.
24 Halbertal and Margalit, Idolatry, p. 241.
25 市川裕『ユダヤ教の精神構造』東京大学出版会、二〇〇四年、一四六頁。
26 イスラームの場合、この拡張モデルの例を「ジャーヒリーヤ」に見ることができる。ジャーヒリーヤは元来、偶像崇拝がなされていた、ムハンマドによってイスラームがもたらされる以前の無明時代とされていたが、それが二〇世紀に入って、マウドゥーディーやサイイド・クトゥブらの思想の展開を通じて、いかなる時代にも存在しうる社会の状態として再定義された。それによって、世俗化・西洋化に対抗しようとしたのであり、その意味では現代のジャーヒリーヤはオクシデンタリズムと密接な関係を持つ。
27 日本近代史におけるこうした特質を、次の書は、オクシデンタリズムの視点から整理しており、他の事例との比較も興味深い。Ian Buruma and Avishai Margalit, Occidentalism: A Short History of Anti-Westernism (London, Atlantic Books, 2004).
28 Robert N. Bellah, "Seventy-Five Years," in: Stanley Hauerwas, Frank Lentricchia, ed., Dissent from the Homeland: Essays after September 11 (The South Atlantic Quarterly 101:2) (Durham, Duke University Press, 2002), p.261.
29 ヨハン・ガルトゥング(高柳先男ほか訳)『構造的暴力と平和』中央大学出版部、一九九一年、五頁。
30 ユルゲンスマイヤーは、こうした戦争状態を「コスミック戦争」と名付け、それが暴力の背景にあるだけでなく、暴力を用いる理由にもなっていると指摘している。マーク・ユルゲンスマイヤー(古賀林幸・櫻井元雄訳)『グローバル時代の宗教とテロリズム――いま、なぜ神の名で人の命が奪われるのか』明石書店、二〇〇三年、二七四―二七九頁。
31 寛容な多神教社会・日本で凄惨なキリシタン迫害が行われたこと、あるいは、多神教の代表格とされる神道の中には、近代において、国内外で他宗教に対し排他的な態度を取ったものが少なくなかったこと、などをあげることができる。井上は、近代において教派神道がキリスト教に対し排外的な姿勢を取ったことを示すと同時に、近代の神社神道、教派神道、神道系新宗教の間で異なった寛容の様相があることを指摘し、神道的伝統の中の可変性を示唆している。井上順孝「近代神道のシステムと宗教的寛容」(竹内整一、月本昭男編『宗教と寛容――異宗教・異文化間の対話に向けて』大明堂、一九九三年)一二五―一四四頁。このことからも、神道を「寛容な多神教」の中にひとくくりにできないことは明らかである。また、大東亜共栄圏における神社参拝の強要と、終戦時における海外神社の壊滅については次の書において詳しい。菅浩二『日本統治下の海外神社――朝鮮神宮・台湾神社と祭神』弘文堂、二〇〇四年。