研究活動

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事典項目「解放の神学」、井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂、2005年

解放の神学 かいほうのしんがく
liberation theology [英]

 「解放の神学」は、1968年、コロンビアの首都メデジンで開催された第二回ラテンアメリカ司教会議において、ペルーの神学者グスタボ・グティエレスを通じて世に知られるようになった。1971年に刊行されたグティエレスの『解放の神学』(関望、山田経三訳、岩波書店、2000年)は古典的著作として今も広く読まれている。
 しかし、解放の神学は、新しい神学思想として登場したのではない。むしろ、「行動する神学」(doing theology)として、その実践的側面がいつの時代も強調されてきた。解放の神学は、民衆による信仰運動を前提とし、それに表現を与える役割を果たしてきた。言い換えれば、第一に大切なのは解放の実践であり、神学はそれを批判的に省察する第二の実践として位置づけられている。そこでは貧困や抑圧などを生み出す社会構造が「罪の状態」であると見なされ、そうした罪からの解放が重要なテーマとされる。
 そのような罪の社会的次元を考察するための方法論として、解放の神学はマルクス主義の方法論を用いてきた。特に、貧困を生み出す経済的要因の分析、階級闘争への着目、イデオロギーの洞察のために、マルクス主義をはじめとする社会科学を積極的に利用する。解放の神学者たちの理解によれば、社会科学を用いなければ、聖書の諸概念を現代の状況に適応させることは困難である。そうしたマルクス主義への接近をバチカンが批判してきた経緯もあるが、解放の神学者たちの多くは、貧しい人々の現実を理解するために役立つ道具としてマルクス主義を用いているに過ぎないと反論する。
 解放の神学では、聖書を読み直す主体としての「民衆」が神学の実践的担い手とされる。民衆は政治的・経済的な抑圧を受けた「貧しい人々」であり、彼ら・彼女らの中で聖書が読まれるとき、聖書の解釈の正しさより、聖書による「人々の生活の解釈」の方が優先される。そうした民衆の日常的な活動と交流の場は「キリスト教基礎共同体」と呼ばれている。
 近年の解放の神学では、「貧しい人々」に対する理解がもっぱら階級的にとらえられてきたことに対する反省の声も出てきており、黒人・先住民・女性に対する差別も見据えて「貧しい人々」という概念を拡大しようとする態度も見受けられる(ボフ、J.、ボフ、C.(大倉一郎、高橋弘訳)『入門 解放の神学』新教出版社、1999年)。また、南北の経済格差を背景として、人間によって搾取され、貧しくされてきた大地に関心が向けられる中、環境問題もまた解放の神学の重要な課題の一つとして認識されつつある。
 貧しい民衆の視点から聖書を実践的に読み直す解放の神学は、同時に抽象的な西欧神学からの解放を目指す神学でもあった。それゆえ、この神学はラテンアメリカだけでなく、広く第三世界に影響と共感を与えた。たとえば、フィリピンの反マルコス闘争や韓国の民衆神学による民主化運動、南アフリカ共和国における反アパルトヘイト闘争の中に、解放の神学の思想的影響を見ることができる。また逆に、ラテンアメリカの解放の神学が、南アフリカの黒人解放の神学から影響を受けることにより、新たに人種の問題について考えていく契機を得ていくことにもなった。
 このように解放の神学は、ラテンアメリカのカトリック世界に限定されない広がりを持っているが、地域や担い手によって、その中心的な課題は異なっている。米国の黒人解放の神学は、公民権運動とのかかわりの中から誕生してきた、黒人差別を中心的な課題とする神学である(梶原寿『解放の神学』清水書院、1997年)。黒人解放の神学は、教会や神学が白人中心に形成され、その中で、黒人の黒人性はいつも否定的な形でしか受けとめられてこなかった事実を批判的に洞察し、黒人が黒人であることを喜び、誇りに思うことのできるような価値の転換と社会の変革を目指している。また、1960年代以降、女性解放運動の一部として形成されてきたフェミニスト神学も、性差別を中心的な課題とした解放の神学として理解することができる。[小原克博]