小原克博・野本真也『よくわかるキリスト教@インターネット』教文館
目 次
はじめに
第1部
1 インターネットとは何か――バーチャルとリアルの間から見える世界
2 IT時代の人間論
3 聖書とコンピュータ
4 電子化された聖書の世界
第2部
1 多様なキリスト教世界――教派・教団について
- ■世界の中のキリスト教
■多様な情報を提供する総合サイト
■諸教派をつなぐ組織
■エキュメニカル運動
■各教派の情報
■西方キリスト教世界と東方キリスト教世界
■東方正教会
■ローマ・カトリック教会
■聖公会
■プロテスタント教会
■ルター派(ルーテル)教会
■改革派教会・長老派教会
■会衆派教会
■バプテスト教会
■メソジスト教会
■その他の教派・教団
■合同教会
2 過去から現在へ――歴史の中の葛藤
- ■キリスト教史
■書物によって知る――キリスト教書店の利用
■最新のニュース
■保守派とリベラル派
■中絶をめぐる論争
■同性愛をめぐる論争
3 キリスト教神学の現在
- ■神学者
- ◎アルベルト・シュヴァイツァー
◎ディーリヒ・ボンヘッファー
◎パウル・ティリッヒ
◎カール・ラーナー
◎その他の神学者
◎日本における神学者・キリスト教研究者
- ◎解放の神学
◎黒人の神学
◎フェミニスト神学
◎アジアの神学
◎現代の倫理的課題とキリスト教
◎環境問題とキリスト教
◎戦争とキリスト教
- ◎聖書関係のサイト
◎聖書考古学関係のサイト
◎聖書学関係のサイト
- ◎教会音楽
◎キリスト教美術
あとがき
本書掲載サイト一覧
はじめに
本書は、インターネットを通じてキリスト教の歴史や現状に触れていくことを目的としている。『よくわかるキリスト教@インターネット』の@はアットマークと呼ばれ、「~における」といった意味を持っている。つまり、インターネットにおいてキリスト教に関連する情報を探索しながら、キリスト教の実態に迫っていこうという意図が書名には込められている。
キリスト教とは何か、ということを知りたければ、多種多様な関連書籍に目を通すこともできるし、また、実際に教会に出かけてみることもできるだろう。インターネット上で出会うキリスト教の姿には、もちろん、そうした知識や経験が反映されている。しかし同時に、旧来の知識探索方法では得られないような情報がインターネット上にはあふれている。では、インターネットを通じてキリスト教にアプローチするメリットは何であろうか。
一つは鮮度の高い情報が得られるということである。個人であれ、組織であれ、今考えていること、行っていることを、インターネットを使えば、即座に伝達することができる。そのおかげで、一般ユーザーは、インターネット上で、生きた宗教としてのキリスト教の「現在」に接することができる。
もう一つのメリットは、これまでアクセス困難であった知識や文化遺産に比較的容易に到達できるということである。これまでも明確な関心と行動力があれば、深遠な知識の体系に分け入ったり、遠方にある遺産や施設を訪ねることは可能であった。しかし、それは誰もが容易にできることではない。高度の専門性や地理的な距離が、素朴な好奇心をしばしば阻んでしまうからである。しかし、インターネットでは、ちょっとした関心をキーワードに託して検索すれば、たちまちに関連情報の一覧を得ることができる。それは、歴史的な文献のテキストであったり、教会や美術館にある宗教画であったり、砂漠の真ん中にある修道院の日常生活であったりする。インターネットを用いることによって、キリスト教の現在だけでなく、歴史を通じて蓄積されてきたキリスト教の膨大な「過去」をも射程に入れることができる。
激しく移り変わる世界情勢の中で、キリスト教の「未来」はどうなるのか。それは国や文化の違いによって異なるに違いないが、いずれにせよ、キリスト教の過去と現在を結ぶ延長線上に、思い思いの未来像を描くことは可能だろう。そうした想像力を駆り立てる手段としても、インターネットは機能するのではないか。
もちろん、インターネット上の情報だけから、キリスト教を理解したり、体験できるというわけではない。しかし、キリスト教とは何なのか、という問いに答えていく上で、インターネットがきわめて有効な「補助線」としての役割を果たしていくことを、本書を通じて知っていただければと思う。
本書は、すでにキリスト教に関わりを持っている人だけでなく、これからキリスト教について知りたいと考えている人に向けて書かれている。インターネットの世界を散歩しながら、キリスト教についての理解を深めていくことができるように工夫しているつもりである。
しかし、爆発的なスピードで拡大を続けているインターネットの世界は、一歩足を踏み入れればわかるように、とても一人で目的地にたどりつけそうにないくらいに複雑化している。散歩するどころか、地図がなければ、とたんに迷子になってしまいかねない。本書は、インターネット上のキリスト教世界を読者ができるだけ迷わずに歩き回ることができるために用意された「地図」のようなものである。
しかし、現実世界の地図と異なり、インターネット世界の地図は時々刻々と変化する。したがって、本書では、単にインターネット上の個々のウェブサイトの紹介をするだけでなく、それらがどのような歴史的・文化的・神学的文脈の中に置かれているのかに注意を払うことによって、大きな道筋を示そうとしている。細部の風景が刻々と変わったとしても、読者が的確に道筋を見定めることのできるよう、本書が「地勢図」の役割も果たすことができればと願っている。
そうした目的のために、本書は大きく二つの部分から成っている。第1部では、インターネットとキリスト教の関係について多面的かつ総合的な考察をしている。両者の親密な関係性とそれに伴う課題とを知ることができると思う。第2部では、テーマ別にウェブサイトの紹介を交えながら、その背景にあるキリスト教の特徴を描写していく。
なお、第1部および第2部における聖書(聖書学)関係の寄稿および情報提供に関しては、野本真也氏(同志社大学神学部教授・聖書学)のお世話になっており、この場を借りて、お礼申し上げたい。
本書を読み進めながら、関心のあるウェブサイトを閲覧していくことによって、読者は、限られた紙面ではとうてい表現することのできない、広大なキリスト教世界の一端に触れていくことができるだろう。しかし、サイトを閲覧することなく、本書を一読するだけでも、キリスト教の様子を知ることができるよう本書は編集されている。まず一読し、その後、関心のあるサイトを重点的に見ていく、という方法も考えられる。
読みながらであれ、一読後であれ、読者が、本書で取り上げられたウェブサイトに簡単にアクセスできるように、教文館のサイトに『よくわかるキリスト教@インターネット』サイト一覧を掲載している。ご活用いただければ幸いである。
共著者を代表して
小原克博
【書評】『同志社時報』第117号(2004年3月)より
【書評】『本のひろば』2003年12月号より
インターネットを始めた。メールも一応やっている。しかしホームページとは何かが、もう一つ分からない...。日本のネット人口は六千九百四十二万人で、米国に次ぐ世界第二位の規模になったと言われても、現実に戸惑っているものに、インターネットの利用法を明確に示してくれる本書は貴重だ。
インターネットは、具体的なキーワードを持って情報を探索するには便利だが、たとえばキリスト教に関係する情報がどこに、どれだけあるか、といったことは把握しにくい。「一歩足を踏み入れればわかるように、とても一人で目的地にたどりつけそうにないくらいに複雑化している」。情報の質をも意識する時に、本書の貴重さがわかる。
ただ本書は「インターネットを通じてキリスト教の歴史や現状に触れていく」ことを目的としており、「キリスト教の実態に迫る」のであって、「すでにキリスト教に関わりを持っている人だけではなく、これからキリスト教について知りたいと考えている人」に向けて書かれてはいるが、「知りたい」人が即「求道者」とは捉えていない。
本書は「単にインターネット上の個々のウェブサイトの紹介をするだけでなく、それらがどのような歴史的・文化的・神学的文脈の中に置かれているのかに注意を払うことによって、大きな道筋を示そう」としている。
第1部で、インターネットとキリスト教の関係について多面的かつ総合的な考察がされている。「インターネットとは何か――バーチャルとリアルの間から見える世界」「IT時代の人間論」が小原克博氏によって展開されている。インターネットを論じる時、よく出てくる「バーチャル」という概念を、「見える教会」(現実の教会)と「見えない教会」(「キリストの体」としての教会)いう区別は、リアルとバーチャルの間で展開されるダイナミズムを前提にしている、という指摘につなげ、さらには「時代を先取りするような思考過程がキリスト教信仰の中には無数に存在している。インターネットは、そういった遺産を歴史の夾雑物の間から解放し、新たに活性化するための『触媒』にもなり得る」と論じ、「もっと想像力を豊かにして、多くのリアル・ワールドとバーチャル・ワールドに出向いて行く」ことを提唱するのが、著者の本来の狙いであって、サイト紹介は企画の付録であったのか、とも思える。
「知」の在り方が変わったという主張に対抗するのは容易ではない。「変容する知の構成が、情報弱者となりがちな高齢者に対し、新たな差別構造を醸成することにはならないだろうか」という著者の指摘が、拙稿の読者を対象にしたものでないことを祈るばかりだ。
「聖書とコンピュータ」「電子化された聖書の世界」の2章は野本真也氏が執筆されている。「伝統的な聖書の読み方や研究方法には、現代のコンピュータ的な考え方と非常に近い考え方が根底にあったからではないか」という指摘から、「もはやコンピュータを使わずに聖書を効率的に研究することは不可能な状況になっている」として、「引照」や「コンコルダンス」の事例、さらに20以上の言語に訳出された聖書や事典、年表などが紹介されている。
第2部は「多様なキリスト教世界――教派・教団について」「過去から現在へ――歴史の中の葛藤」「キリスト教神学の現在」などで構成されている。常識的な網羅のように見えるが、紹介されている各サイトの質量の豊富さに圧倒される。
ただ紹介されているサイトのほとんどは日本語ではない。「サイトの80%が英語」なのだから当然ではあろうが、個別に確認しておいて欲しかった。少なくとも英語を日常的に読みこなしている人でなければ、目的のサイトにたどりついた途端にたじろがざるを得ない。
73ページに評者が主宰する『世界キリスト教情報』に過分な言及があることを触れずには、著者に礼を失することになろう。
(郡山千里=世界キリスト教情報主宰)
【書評】『信徒の友』2004年1月号より
著者の野本真也さんはわたしの後輩ですが、小原克博さんはわたしの恩師です。何をふざけたことをと言われるかもしれませんが。今から7年ほど前に、わたしのところにダイレクトメールが舞い込みました。ノート・パソコンの宣伝でした。持ち運びに便利かもしれないと思い、その頃札幌北光教会の担任教師であった小原さんに相談したところ、それよりデスク・トップを部屋に備える方が先ですと、購入した機器の設営から使い方、インターネットの接続手続きとわたしのメールのパスワードを決めることまで、そして分からないことや困った時も、全て彼が助けてくれました。
年齢的には少し早い引退で、その後の生活の見当もつきませんでした。蔵書はほとんど処分しましたが、パソコンは残しました。しかし、そのようにして"自由"になったわたしは、大げさに言えば、「パソコンでのインターネットこそが」と言ったほうがピッタリの生活をしています。もし、あの頃彼がそばにいなかったならと思うと、彼を恩師と呼ぶのは決して誇張ではないのです。というわけで、今のわたしは「コンピューターと深~い関係」にあるのです。何せ、インターネットは"宝の山"ですから。
『よくわかるキリスト教@インターネット』で、あなたはインターネットがキリスト教と深い関係があること(第1部)と、キリスト教を知るための宝の山への懇切な案内図(第2部)を見出すでしょう。これは決して単なる実用の書ではありませんが、第1部を開いて難しいと放り出さないで、第2部から始めるほうがいいかもしれません。ということで、ここでは第2部の紹介をしましょう。
キリスト教という時、そこにはキリスト教自体の縦(歴史的)の面と、横(世界的な広がり)の面と、その両者に対して内外から提出されるさまざまな主題や課題があることを知ることは重要です。キリスト教にはカトリック、プロテスタントそして正教会があることまでは知っていても、それらの歴史と世界中の多様な教派の起源や違い・関係となるとよく分からないという方が多いでしょうし、自分が属している教派・教団のことだけしか知らないとなると、何故こんなことが問題になるのかと不信感すら起こしかねません。
第1章「多様なキリスト教世界-教派・教団について」、第2章「過去から現在へ-歴史の中の葛藤」で、図書館で長時間かけたくさんの本に当たるほかないキリスト教のことについて、著者はこれ以上無いと思えるほど簡潔に述べています。そうできる秘密こそ@インターネットなのです。彼が提示してくれているウエブサイトをいくつか開いてみてください。あなたの指で図書館を手元に呼び寄せられるのです。
「"伝道"ってなに」という質問には、「聖書に書かれている」が答えでしょうが、もしあなたがさらに深く聖書やキリスト教神学のこと、また教会音楽やキリスト教芸術について知りたいなら、第3章「キリスト教神学の現在」その他の記述に従いながら、そこにあるウエブサイトをクリックするなら、もうバッチリです。「あとがき」に述べられているように、わたしたちは本書を手がかりとして、「キリスト教の多面的な躍動感に触れることができ」るのは間違いないでしょう。
(岸本和世 北海道・元浦河教会主任教師代務者)