書評「ウォルター・ワンゲリン『小説「聖書」使徒行伝』」、『京都新聞』10月1日、『新潟日報』10月1日、『東奥日報』10月13日、他
◎権威と自由の葛藤の物語
「小説『聖書』使徒行伝」
小説「聖書」旧約篇・新約篇を著したワンゲリンが、初期の教会を取り巻く出来事に焦点を当てたのが本書である。
前作の新約篇は主としてイエスの誕生から十字架上の死に至るまでの生涯を描いているが、実際、新約聖書にはイエスの生涯を主題とする四つの福音書の他に、二一の手紙が含まれている。そして、その手紙の多くの著者であり、また他の新約文書に多大な影響を与えたパウロという人物が、本書の主人公である。
「使徒行伝」の筋書きを用いながら、激動するローマ世界を背景に多様な人間模様の中で、パウロの生涯を演出する著者の文学的力量は秀逸である。聖書中のパウロの手紙は、時として難解な神学論争を含み、決して容易に読めるものではない。たとえば、後に信仰義認論と名付けられるようになった事柄もその一つである。しかし、そのような堅苦しいイメージを解きほぐすかのように、「信仰」という行為の中に、著者は生々しい人間の生き様を多重に織り込んでいく。
「正典」としてできあがってしまった聖書はある種の宗教的権威を帯びている。しかし、聖書という書物ができあがるはるか以前、まさに種々の権威(ローマの政治的権威やユダヤ教の宗教的権威など)との戦いの中で、「自由」への希求が繰り広げられた。
聖書の読者であれば、そのような原初的な情景へと一気に引き戻されていく「なつかしさ」を感じることだろう。小説「聖書」がキリスト教文化圏の国々で広く読者を獲得しているのは偶然ではない。
本書はまた「ユダヤ的なもの」が歴史の中で持つ独特の重みを知る上でも貴重な素材を提供している。ユダヤ人のユダヤ人性に対する認識と、後のヨーロッパの歴史は無関係ではない。
「日本的なもの」に対する前時代的憧憬が奇妙にも横行しがちな世紀末において、二千年近く前の世界史の葛藤をつぶさに見つめてみるのも悪くはないだろう。