書評「宮平望著『神の和の神学へ向けて――三位一体から三間一和の神論へ』」、『福音と世界』1998年1月号、新教出版社
独特な言葉を含んだ書名からも察せられるように、本書は伝統的なキリスト教の三位一体論を「日本の風土」の中で再構築しようとする意欲的な論考である。執筆の動機は序章に端的に示されており、それは「なぜキリスト教は日本で深く根づかないのか」という疑問に由来している。キリスト教の土着化といったことが声高に叫ばれていた頃より、こういった問いかけそのものは決して新しいものではないが、著者がその問題解決の一端を三位一体論に見いだそうとしている点に関心をそそられる。
三位一体論は伝統的に「位格」や「実体」といった、古代ギリシア・ローマ文化に由来する用語で説明されてきた。しかし、これらの用語は日本人の伝統的思考方法には疎遠なものであり、それゆえ、日本の風土により適した用語を用いて、三位一体論を表現し直そうと著者は試みるのである。そのために西欧で形成された伝統的な三位一体論を破棄する必要はない。むしろ、著者は三位一体論についての伝統的な理解の中にも、日本の風土に通じるような考え方があることを指摘することによって、著者が三位一体論の再構築のために提起する「和」や「間」といった概念が、決して正統的信仰から乖離したものではないことを論証しようとする。その作業のために、第Ⅰ部と第Ⅱ部から構成されている本書の前半部分が用いられ、それは神学と文化の関係を問うための方法論的考察をも兼ねている。
詳しく言うと、第Ⅰ部は、テルトゥリアーヌス、アウグスティヌス、カール・バルトら三人の神学者が事例研究として取り上げられている。いずれも三位一体論の形成に多大な貢献をした人物であるが、著者のねらいは、それらの神学者たちが、それぞれの文化的環境の中で三位一体論を表現するための素材を見いだし、しかし、ただそのままの形で受容したのではなく、聖書的な視点から「変革」したことを明らかにする点にある。「文化は神学の形成に情報を与える(inform)が、それ以上に聖書の釈義によって変革(transform)されなければならないのである」(一〇頁)。
この視点から、テルトゥリアーヌスは「ストア哲学的キリスト教神学者」、アウグスティヌスは「プラトン主義哲学的キリスト教神学者」、バルトは「ヘーゲル哲学的キリスト教神学者」として特徴づけられ、それぞれが採用した固有の哲学的・文化的枠組みの変革者であることが強調される。その際、文化は(正統的な)キリスト教信仰に基づいて「修正」され、キリスト教に仕えるよう「キリスト教化」され得る「道具」と見なされている。そのような方法論的基礎づけのもとに、著者は続く第Ⅱ部で、日本人が日本の風土の中から三位一体論を語る言葉を紡ぎ出していくことは、決してキリスト教の伝統からの逸脱ではなく、むしろ必要なことであるとし、その具体案を提起していくのである。ただ、老婆心から付け加えると、一般的な読者が著者の論点を早くつかむためにはむしろ第Ⅱ部から読むことをおすすめする(一九九五年から九六年にかけて本誌において連載された「神の和の神学入門」を第Ⅱ部の一部要約として参考にすることもできる)。全体の展開の上で、第Ⅰ部は方法論的な重要性を有しているが、かなりの専門知識がなければ、納得しながらページを繰ることは困難であろう。
さて、第Ⅱ部において、著者は日本の風土論を導入としながら、日本における三位一体論の構築にふさわしい概念として「和」と「間」という言葉を取り上げていく。和辻哲郎をはじめ代表的な日本の人間論を描写することにより、「和」や「間」という概念が日本における関係志向的・和合的特質を端的に表現する言葉として抽出される。しかも、それらの類例がキリスト教史の中に見いだされることを、ナジアンゾスのグレゴリウスやノウァティアーヌスらを引き合いに出して周到に論証している。
これらの準備の上で、著者は、父と子と聖霊を区別し、差異化する概念として「間」を、それら三者を根源的に統一する概念として「和」を用いる。父・子・聖霊なる神は三つの「間」である(「神間」)と同時に一つの「和」である(「神和」)。神を「神間」と言うとき、それは父・子・聖霊がそれぞれの相互関係によって区別されることが意味されており、そこには三つの「間」が存在している。また、神を「神和」と言うときには、父・子・聖霊の三者の「間」にもかかわらず、起源的な一致としての「和」があることが意味されている。そして、これら「間」と「和」の緊密な関係性から「三間一和」という定式を考えることができるのである(一四二頁)。著者によれば、「三位一体」ではなく、「三間一和」に基盤を置く「神の和の神学」こそが日本の精神風土に適しているのであるが、同時に、著者はその聖書的適合性をヨハネ福音書の中に求め、「三間一和」の正当性を立証するための努力を惜しまない。
以上、本書の内容を概観してきたが、最後にいくつか気づいた点を述べたい。著者は、キリスト教が日本に根づくことを願って「神の和の神学」の可能性を考察したのであるが、果たして「三位一体」を「三間一和」とすることにより、事態はどれほど変わるであろうか。思弁以上のものとして受容されるかどうか、「三間一和」の有効性は宣教の現場で問われなければならないであろう。特に「和」という概念には著者が考えている以上の繊細さが必要である。著者は確かに「和」が歴史的に有している負の側面を指摘している(一〇四頁以下)。しかし、「和」という言葉にいくら説明を加え、神学的な変革を試みたとしても、国家イデオロギーにまみれてきた「和」の歴史性をぬぐい落とすことはできない。アイヌや沖縄の人々、在日韓国・朝鮮人のことが重要な課題となっている今日、「和」という概念は倭人・ヤマトンチュ・「日本人」の自己満足を越えて、多文化的日本社会を見通すことができるであろうか。むしろ、歴史の中にあった、そして今なお現実の社会の中にある差別構造を隠蔽することになりはしないだろうか。そういった細部を見る必要のない国外の人々に対して、「和」は日本の精神風土を代表する適当な言葉となるかもしれない(ちなみに、本書は著者が英国で提出した博士論文の日本語版である)。しかし、今われわれが視野に入れなければならないのは、大きな「和」の歴史の中で不当にも見過ごしにされ、伝統的な「和」の一般論では見ることのできなかった<細部>の事柄であり、「和」の中に入れられなかった<周辺>の事情である。「和」という言葉は、あまりにも正統的過ぎるのではなかろうか。
このことは著者の方法論とも関係している。著者は文化の問題を論じる際、しばしば引用していることからもわかるように、H・リチャード・ニーバーの『キリストと文化』における類型の一つ「文化の変革者キリスト」をモデルにしている。その意味で、「神の和の神学」も日本の文化を変革することが期待され、「変革」の類語として「修正」「矯正」などの言葉が見受けられる。著者にとって文化は自立した道具的存在である。ところが、近年、ニーバーの中に潜んでいる同様の傾向性が、社会倫理を扱う神学者たち(例えば、S・ハワーワス、J・H・ヨーダー)によって指摘され、批判されている。また、別の視点、例えばP・ティリッヒに即してこの問題を見るなら、著者の立場は「弁証神学」より、はるかに「宣教神学」に近い。文化的「状況」は第一義的には矯正すべき対象であり、「状況」からの鋭利な問いかけは巧みに回避され、自らは変革を迫られないからである。それはまた、近代日本史において「和」に内蔵されたメカニズムでもある。
著者は「もし、三位一体論が...日本で形成されたとしたら」という問いを動機の内に含んでいる。三位一体論の日本的変容の例は、本書では触れられていないが、隠れキリシタンにおける女性原理をともなった四位一体や、戦中、いくつかの教会で唱えられた、天皇を含む四位一体をあげることができるだろう。なぜ、このような形態を取ったのか。一つの理由として、伝統的な三位一体論が持つ家父長制的特質を指摘することができる。それが日本の文化の中では、女性原理による補完を求めたり、あるいは、より権威ある父権原理に服従するといった事態を生み出したのである。本書の場合、三位一体から「三間一和」という大胆な置き換えにもかかわらず、フェミニスト神学からしばしば批判される、三位一体論における男性中心主義の問題はほとんど考慮されていない。
ポスト・オウムの時代に生きるわたしたちは、幸福な「和」のコスモロジー(和合的関係)が徹底して解体している野合的現実を認識することから出発すべきではなかろうか。
三位一体論は伝統的に「位格」や「実体」といった、古代ギリシア・ローマ文化に由来する用語で説明されてきた。しかし、これらの用語は日本人の伝統的思考方法には疎遠なものであり、それゆえ、日本の風土により適した用語を用いて、三位一体論を表現し直そうと著者は試みるのである。そのために西欧で形成された伝統的な三位一体論を破棄する必要はない。むしろ、著者は三位一体論についての伝統的な理解の中にも、日本の風土に通じるような考え方があることを指摘することによって、著者が三位一体論の再構築のために提起する「和」や「間」といった概念が、決して正統的信仰から乖離したものではないことを論証しようとする。その作業のために、第Ⅰ部と第Ⅱ部から構成されている本書の前半部分が用いられ、それは神学と文化の関係を問うための方法論的考察をも兼ねている。
詳しく言うと、第Ⅰ部は、テルトゥリアーヌス、アウグスティヌス、カール・バルトら三人の神学者が事例研究として取り上げられている。いずれも三位一体論の形成に多大な貢献をした人物であるが、著者のねらいは、それらの神学者たちが、それぞれの文化的環境の中で三位一体論を表現するための素材を見いだし、しかし、ただそのままの形で受容したのではなく、聖書的な視点から「変革」したことを明らかにする点にある。「文化は神学の形成に情報を与える(inform)が、それ以上に聖書の釈義によって変革(transform)されなければならないのである」(一〇頁)。
この視点から、テルトゥリアーヌスは「ストア哲学的キリスト教神学者」、アウグスティヌスは「プラトン主義哲学的キリスト教神学者」、バルトは「ヘーゲル哲学的キリスト教神学者」として特徴づけられ、それぞれが採用した固有の哲学的・文化的枠組みの変革者であることが強調される。その際、文化は(正統的な)キリスト教信仰に基づいて「修正」され、キリスト教に仕えるよう「キリスト教化」され得る「道具」と見なされている。そのような方法論的基礎づけのもとに、著者は続く第Ⅱ部で、日本人が日本の風土の中から三位一体論を語る言葉を紡ぎ出していくことは、決してキリスト教の伝統からの逸脱ではなく、むしろ必要なことであるとし、その具体案を提起していくのである。ただ、老婆心から付け加えると、一般的な読者が著者の論点を早くつかむためにはむしろ第Ⅱ部から読むことをおすすめする(一九九五年から九六年にかけて本誌において連載された「神の和の神学入門」を第Ⅱ部の一部要約として参考にすることもできる)。全体の展開の上で、第Ⅰ部は方法論的な重要性を有しているが、かなりの専門知識がなければ、納得しながらページを繰ることは困難であろう。
さて、第Ⅱ部において、著者は日本の風土論を導入としながら、日本における三位一体論の構築にふさわしい概念として「和」と「間」という言葉を取り上げていく。和辻哲郎をはじめ代表的な日本の人間論を描写することにより、「和」や「間」という概念が日本における関係志向的・和合的特質を端的に表現する言葉として抽出される。しかも、それらの類例がキリスト教史の中に見いだされることを、ナジアンゾスのグレゴリウスやノウァティアーヌスらを引き合いに出して周到に論証している。
これらの準備の上で、著者は、父と子と聖霊を区別し、差異化する概念として「間」を、それら三者を根源的に統一する概念として「和」を用いる。父・子・聖霊なる神は三つの「間」である(「神間」)と同時に一つの「和」である(「神和」)。神を「神間」と言うとき、それは父・子・聖霊がそれぞれの相互関係によって区別されることが意味されており、そこには三つの「間」が存在している。また、神を「神和」と言うときには、父・子・聖霊の三者の「間」にもかかわらず、起源的な一致としての「和」があることが意味されている。そして、これら「間」と「和」の緊密な関係性から「三間一和」という定式を考えることができるのである(一四二頁)。著者によれば、「三位一体」ではなく、「三間一和」に基盤を置く「神の和の神学」こそが日本の精神風土に適しているのであるが、同時に、著者はその聖書的適合性をヨハネ福音書の中に求め、「三間一和」の正当性を立証するための努力を惜しまない。
以上、本書の内容を概観してきたが、最後にいくつか気づいた点を述べたい。著者は、キリスト教が日本に根づくことを願って「神の和の神学」の可能性を考察したのであるが、果たして「三位一体」を「三間一和」とすることにより、事態はどれほど変わるであろうか。思弁以上のものとして受容されるかどうか、「三間一和」の有効性は宣教の現場で問われなければならないであろう。特に「和」という概念には著者が考えている以上の繊細さが必要である。著者は確かに「和」が歴史的に有している負の側面を指摘している(一〇四頁以下)。しかし、「和」という言葉にいくら説明を加え、神学的な変革を試みたとしても、国家イデオロギーにまみれてきた「和」の歴史性をぬぐい落とすことはできない。アイヌや沖縄の人々、在日韓国・朝鮮人のことが重要な課題となっている今日、「和」という概念は倭人・ヤマトンチュ・「日本人」の自己満足を越えて、多文化的日本社会を見通すことができるであろうか。むしろ、歴史の中にあった、そして今なお現実の社会の中にある差別構造を隠蔽することになりはしないだろうか。そういった細部を見る必要のない国外の人々に対して、「和」は日本の精神風土を代表する適当な言葉となるかもしれない(ちなみに、本書は著者が英国で提出した博士論文の日本語版である)。しかし、今われわれが視野に入れなければならないのは、大きな「和」の歴史の中で不当にも見過ごしにされ、伝統的な「和」の一般論では見ることのできなかった<細部>の事柄であり、「和」の中に入れられなかった<周辺>の事情である。「和」という言葉は、あまりにも正統的過ぎるのではなかろうか。
このことは著者の方法論とも関係している。著者は文化の問題を論じる際、しばしば引用していることからもわかるように、H・リチャード・ニーバーの『キリストと文化』における類型の一つ「文化の変革者キリスト」をモデルにしている。その意味で、「神の和の神学」も日本の文化を変革することが期待され、「変革」の類語として「修正」「矯正」などの言葉が見受けられる。著者にとって文化は自立した道具的存在である。ところが、近年、ニーバーの中に潜んでいる同様の傾向性が、社会倫理を扱う神学者たち(例えば、S・ハワーワス、J・H・ヨーダー)によって指摘され、批判されている。また、別の視点、例えばP・ティリッヒに即してこの問題を見るなら、著者の立場は「弁証神学」より、はるかに「宣教神学」に近い。文化的「状況」は第一義的には矯正すべき対象であり、「状況」からの鋭利な問いかけは巧みに回避され、自らは変革を迫られないからである。それはまた、近代日本史において「和」に内蔵されたメカニズムでもある。
著者は「もし、三位一体論が...日本で形成されたとしたら」という問いを動機の内に含んでいる。三位一体論の日本的変容の例は、本書では触れられていないが、隠れキリシタンにおける女性原理をともなった四位一体や、戦中、いくつかの教会で唱えられた、天皇を含む四位一体をあげることができるだろう。なぜ、このような形態を取ったのか。一つの理由として、伝統的な三位一体論が持つ家父長制的特質を指摘することができる。それが日本の文化の中では、女性原理による補完を求めたり、あるいは、より権威ある父権原理に服従するといった事態を生み出したのである。本書の場合、三位一体から「三間一和」という大胆な置き換えにもかかわらず、フェミニスト神学からしばしば批判される、三位一体論における男性中心主義の問題はほとんど考慮されていない。
ポスト・オウムの時代に生きるわたしたちは、幸福な「和」のコスモロジー(和合的関係)が徹底して解体している野合的現実を認識することから出発すべきではなかろうか。