書評「私の選んだ一冊、『空間のレトリック』(瀬戸賢一著)」、『アレテイア――聖書から説教へ』No.12、日本基督教団出版局
本書には「レトリック」という表題が掲げられているが、内容的には「メタファー」に焦点が定められている。とりわけ、我々の日常的表現の中に深く入り込み、しばしば意識されずに用いられている空間のメタファーを題材にして、メタファー論そのものが新しい視点から再検討されている。
メタファー(隠喩)とは、著者の定義によれば、「より抽象的で分かりにくいカテゴリーに属する対象を、より具体的で分かりやすいカテゴリーに属する対象に見立てることによって、世界をよりよく理解する方法」である。確かに我々は、十分に理解の及んでいない対象を認識するためにメタファー的思考方法を受容している。例えば「内在的」三位一体論という伝統的用語法があるが、これにしても三位一体の神を我々の認識のターゲットとするために、神の存在や働きを「内」と「外」という空間的構造に<見立て>ているのである。これに限らず神学や聖書の表現の中には無数のメタファー表現が存在している。しかし、それらがメタファーとして自覚的に認知されないなら、メタファーは単なる説明上の便宜として看過されるだけであろう。
本書は、意識するとせずとにかかわらず我々を拘束しているメタファーの働きを豊富な具体例のもとに描き出し、我々が日常使う言葉に対し、再度注意を払うことを促してくれる。また、それら具体的作業の前に、著者が古代から現代にまで至るメタファー論を四つの世代に区分し、我々が位置する第四世代の課題を明確にしている点も示唆的である。
メタファーを言葉の置き換えとして理解する、アリストテレスから今世紀の三〇年代までのメタファー研究(代置説、比較説)を第一世代とし、また、三〇年代のリチャーズから七〇年代最後のサールまでの研究(相互作用説)を第二世代とすれば、それらの世代を批判的に克服しようとして登場したのがレイコフとジョンソンらに始まる第三世代の研究であった。彼らの著作『レトリックと人生』に導かれながら、この世代が開拓していった業績を著者は評価しながら、同時にそこに潜む問題点を暴き出し、それを第四世代の課題として提起するのである。著者は、第三世代が抱えていた(一)メタファー偏重、(二)「類似性」という用語への部分的依存、(三)メタファーの種類が未整理、といった問題に一定の解答を示しながら、第四世代は何よりメタファーの普遍性を考慮に入れなければならないと言う。
すなわち、以前の研究が文化的相対主義の立場に立ってメタファーの個別的実例に対応していたのに対し、著者は異種言語間に見られる、偶然とばかりは考えられない普遍的傾向を指摘しながら、メタファーが媒介する認識論的な普遍性に注意を喚起していく。人間が共通の認識パターンに至る一つの根拠は、認識が人間の身体感覚に大きく依存している点にある。ただし、この点に関しては本書よりも、同じ著者による『レトリックの宇宙』(海鳴社、一九八六年)の方に、メタファー・メトニミー(換喩)・シネクドキ(提喩)と身体との相互関係についてのより包括的な論述がある。
メタファー研究の第四世代に立とうとする者は、伝統的言語世界(キリスト教にとっては主としてヘレニズム世界)の地平と我々のネイティブな地平とが、ある位相において融合するという新たな驚きを期待することができるであろう。