「ヴォルフハルト・パネンベルクの神論について」、『基督教研究』第57巻第2号
Ⅰ 問題の所在
Ⅱ 「自然神学」の再検討
Ⅲ 宗教における神認識の探求
Ⅳ 歴史としての啓示
Ⅴ 三位一体的神論の展開
Ⅰ 問題の所在
キリスト教神学における主題は今や多岐にわたり、それらを概観することすら容易なことではない。そのような状況の中で、この論文は神論を重要な主題として選択し、それが提起する問題群に取り組むことを目的としている。すでに神論はキリスト教教義学の諸学科の中の一つとして位置づけられており、その限りにおいては、決して最初から特別な位置を与えられているわけではない。それどころか、キリスト教的神理解を前提にして議論を進めることの困難さと不適切さがしばしば指摘される現代においては、神論を前面に出すのは宗教間対話を疎外することとして問題視される傾向さえある。また、カール・バルト(Karl Barth)の影響下では、神について語ることは本来的に不可能であり、それを引き受けることは逆説的な意味においてのみ可能であるとされてきた。我々はバルトの指摘の適切さを一方で承認しなければならない。しかし、他方において我々はバルトにおいて<断絶>として放置されていた神と人の間の距離を、もう少していねいに描写しなければならないのである。それは信仰の事柄を人間の<論理(ロジック)>に変換することによって不可解さを除去するという作業ではなく、むしろ、神と人の間に生
起する信仰の出来事のリアリティに肉迫するための表現方法を獲得するという<レトリカル>な作業となるであろう。その点において、神論が神学全体を見通す起点となる可能性を見いだすことができるのである。つまり、我々は神という言葉が持っている<意味の弾性>に十分な注意を向けながら、それを認識論的な地平へと結びつけようとしているのである。
ところで、現代の神学的潮流の中で神論を正面から取り上げている学者はそれほど多くはいない。しかし、その数少ない神学者の中から、本論文ではヴォルフハルト・パネンベルク(Wolfhart Pannenberg)を我々の考察の導き手として選んだ。彼にとって、すべての現実を規定する主体者としての神は、神学の最初のテーマであり、また、すべてが行き着くところの最後のテーマである。「単数で『神』という言葉を用いることは、すべてを規定する(bestimmen)現実を考えることを意味する。したがって、神について語ることは、この神があらゆる有限な現実に対する決定的な力として考えられるとき、はじめて意味あるものとなる。しかし、一切の有限な現実の総体は世界である。したがって、意味あるものとして神について語ることは、この神が世界を――今日、認識されるままの姿で――規定する力として理解される限りにおいてのみ、可能となるのである」1。このように彼は哲学的な枠組みを用いながら、神と世界との関係を普遍的な地平で取り上げようとする。そこからさらにエキュメニカルな視点や、神と世界が具体的に関係する場としての「歴史」の視点が必然的に派生してくるのである。
パネンベルクはすでに膨大な著作を著しているが2、本論文ではSystematische Theologie(Bd. 1, 1988; Bd. 2, 1991; Bd. 3, 1993)に焦点を絞って彼の神論を検討する。
Ⅱ 「自然神学」の再検討
近代以前、神という言葉は多かれ少なかれ、西欧の社会生活の中で宗教や文化を統合する結節点としての役割を果たしてきた。そういった働きが、世界の世俗化と共に急速に失われてきたことによって、神に対する理解にも大きな変化がもたらされることになった。まず第一に、人々が宗教の拘束力から次第に自由になることによって、神という言葉によって指示されてきた現実が非常に曖昧なものとなってきた。つまり、一義的に神という言葉を共有できる環境は失われ、神について語ることは話者の主観的事柄として扱われることになる。次に、神を理解することの困難さから、神という言葉を前提にしないで「宗教経験」(religie Erfahrung)一般を語ることに関心が向けられるようになった。それはシュライエルマッハー(Fr. D. E. Schleiermacher)の影響を多分に受けながら、例えば、ウィリアム・ジェームズ(William James)、ルドルフ・オットー(Rudolf Otto)、イアン・ラムゼイ(Ian T. Ramsey)らによって展開されていった。宗教経験という共通の舞台に立てば、一見、神理解の曖昧さに起因する様々な相違は解消されるかのようである。しかし、パネンベルクは、そこでも神理解が経験の「解釈」として働
いていることを指摘する。いかに個人的な経験であっても、「何か」との直接的・神秘主義的な出会いが語られたとしても、それが表現され、つまり解釈されるときには、その言葉が受容される世界の「神」理解――それが曖昧なものであるにせよ――と無関係ではいられない。経験が表現されるとき、経験とそれを取り囲む環境世界との間に緊張関係が生じるのであり、何かを認知するとはすでに一つの解釈なのである。パネンベルクにとって解釈とは、「すでに行き渡り、社会的・歴史的に伝達されてきた理解の諸連関(Verstehenszusammenh舅ge)を包含し、それから経験の諸連関(Erfahrungszusammenh舅ge)へと組み込まれることによって解釈学的な表現を獲得するが、しかし修正も受ける」3ものである。したがって、近代以降、神理解が他の諸学問によって相対化されてきた経緯があるにせよ、神学の中で「神」について語ることは、パネンベルクにとってなおも絶対的な出発点としての位置を占めている。しかし、それは、新しく規定された神理解に絶対的な権威を付与することを意図しているのではなく、かえって神理解は積極的な意味で「修正」され得るという可能性を含意している。神という言葉自体がそのような解釈
゚学的潜在能力を持っているのである。
ところで、自然神学と比較的親和性の高いカトリック神学に対し、プロテスタント神学では自然神学という言葉の登場に対して絶えず警戒心が喚起される。パネンベルクはそのような事情を熟知しながらも、あえて「自然神学」(natürliche Theologie)という言葉を彼の神理解の中心に導入する。その際、彼は近代以降のプロテスタント神学の中で、とりわけ啓示神学と対置される形で固有の位置を与えられている自然神学と区別して、その言葉が生み出されたギリシア哲学の土壌の中に自然神学の原型を見ようとする。
まずパネンベルクは、中期ストア哲学の創始者であるパナイティオス(Panaitios)によって初めて「自然神学」という言葉が用いられた際に、それが創作家の「神話神学」(mythische Theologie)と、国家の権威と共に秩序づけられ、国家によって保持された祭儀である「政治神学」(politische Theologie)と区別されていたことを強調し、問題の出発点としている。それによって「自然」という言葉が、創作家の幻想や政治的な関心・利害関係から生み出されたのではなく、つまり、人間的な動機を根拠にしているのではなく、神自身の本質に対応する「自然」を一義的に意味していることを指摘するのである。「哲学的な神認識が『自然』(natürlich)であるのは、それが人間の本性や人間理性の原理・理解力に適っているからではなく、むしろ、人間の性向に基づいた『実定的な』(positiv)宗教形態の中で歪曲化されるのと対照的に、神的なものの、神自身の真理の『自然』(Natur)に対応しているからである」4。この視点が保持されたからこそ、哲学者の「自然神学」は初期キリスト教の神学の中に受容されたのである。それ以降、自然という言葉の適用は時代と共に微妙な変化を遂げている。しかし、プロテスタン
ト神学の中で自然神学が取り上げられるときには、もっぱら近代以降の理解を対象にしているのであり、そのような限定を忘れて自然神学の全体をひとまとめにしてなされる批判に対し、パネンベルクは注意を促すのである。
さらにパネンベルクの自然神学を明確化するために、ここでユンゲル(Eberhard Jüngel)の自然神学批判を検討する。ユンゲルは、パネンベルクの自然神学の中で神概念が大きな役割を果たしていることを意識しながら、次のように述べている。「否定されるべきなのは、信仰の明確化への先行(praeambula ad articulos fidei)という意味における、つまり、自然な神認識という意味における自然神学の原理化(Prinzipiellisierung)である。否定されるべきなのは、そのようなものとして神概念――それに対し、啓示に基づいて言語化された神の諸規定は矛盾してはならない――を構成することができると主張する自然神学である。そのような自然神学では、いずれにせよ、『神』と呼ばれるに値するものに対する<外郭概念>(Rahmenbegriff)がすでに与えられており、その外郭概念の内部において本来的な神学表現が動かなければならなかったのであろう」5。ユンゲルにとっては、信仰に先行するような形で「神」という言葉に対応する外郭概念を前提にすることは、キリスト教信仰の根拠を揺るがすものと映るのである。しかし、この批判を知りながらも、パネンベルクは自然神学が持つ既存の宗教的諸状況に対する批判
サ的機能の有効性を論じ、「『神と呼ばれるに値するものに対する(哲学的)<外郭概念>』は徹底して可能であり続ける」6と主張してやまない。この点に関しパネンベルクは、ユンゲルは「このような外郭概念の表現可能性と、神の啓示が問題とされる前に、古風な『信仰の明確化への先行』という意味で神の存在を証明できるという要求との間の区別をしていない」7と批判している。つまり、パネンベルク自身は自然神学において「神」という外郭概念を表現することのできる可能性あるいは有効性を追及しているのであり、それによって神の存在証明を不当に要求しているのではないということである。しかし、同じユンゲルの批判の中にある、「啓示に基づいて言語化された神の諸規定」が「神」という外郭概念に矛盾することを許容しない自然神学は否定されるべきであるという主張にパネンベルクは同意している。なぜなら、パネンベルクは啓示神学か自然神学かという二者択一を迫る神学的態度を問題としているのであり、矛盾が許容されてこそ彼の主張する自然神学の真価が発揮されるからである。その際、矛盾の正当性は、神という外郭概念の理解をめぐる「議論の土台の上で」(auf dem Boden der Diskussion)実証
リされなければならない8。つまり、ユンゲルが批判するように神学的作業は「神」という言葉によって表される外郭概念の内部で閉塞しているのではなく、むしろ、それは当の外郭概念の外部との関係を志向し、そこで発見された関係性を言語化するために再び内部へと収斂する往還運動を伴っていると言い換えることができるであろう。
「自然」という言葉が神学の中で考察の対象とされるとき、それは「創造」概念と強い相関関係を持っている。しかし、自然を創造に同質化することはできない。なぜなら、この世界の自然性をただちに神の創造に結びつけることはできないからである。それどころか、世俗化された世界において自然は、神という言葉をもはや必要としないまでに自立している。したがって、我々がまず神学的に問わなければならないのは、世界は現在の状態において、いかにして被造世界として「経験」されるのかということである。例えば、バルトはこの問題を啓示神学と自然神学の対比の中で、次のような劇場の隠喩を用いて説明する9。ドラマは神を啓示し、世界を和解させるキリストの物語である。ただし、舞台となる世界と神の救済のドラマとは徹底して区別される。この舞台を照らし出す照明装置は啓示の光であるが、その光を受けて舞台とされる世界は、神ご自身の栄光が和解の業によって輝き出す場所以上のものではない。「創造された宇宙は...神の偉大な恩寵と救済の業の舞台である。その意図するところによれば、宇宙は神の召使い、神の道具、神の材料である。再び明らかなことは、舞台がそこで演じられる作品の主役ではあり
闢セないことである。舞台は作品を外見上可能にすることができるだけである」10。
たとえの中で問題とされる類比関係は現実そのものではなく、来るべき現実であり、その意味で神と世界の根本的相違は保持されなければならない。したがって、バルトが劇場の隠喩において救済のドラマとその舞台とを区別することは必要なことである。しかし、その隠喩によって本来比較できない二つのものを一緒に見ようとするバルトの試みは失敗しているように思われる。バルトが世界を救済のドラマの「舞台と背景」に過ぎないと考える限り、二つの事柄を同時に見ることは不可能である。言い換えるなら、バルトの試みが可能なのは、舞台それ自体がそこで演じられるドラマの一部となる時だけである。なぜなら、救済のドラマは一度限りのものとして演じられるからであり、その限りにおいて舞台としての世界は決して代替可能な存在物ではないからである。したがって、舞台は「作品を外見上可能にする」のではなく、作品の固有性と反復不可能性に対応し、それを根底において支えるものとして作品を<実質的に>可能にする。パネンベルクの自然神学理解を敷衍して言うならば、確かに自然はドラマの一部を形成しているのである。
バルトは世界を神の啓示と対比的に描くことによって、この世界が創造の始まりの原初的状態とは異なることを正しく表現している。言い換えるならば、「自然」によって意味されるのは、もはや神の良き「創造」ではない。確かにバルトは適切にこの区別をしているが、救済のドラマと舞台のたとえはただ存在論的に、天の栄光の地上におけるたとえとしてとどめられるべきではなく、それは終末論的に、来るべき世界のたとえとして解釈されるべきではないであろうか。この来るべき世界の、すなわち新しい創造の見取り図として被造世界を考えるという視点がバルトには欠落している。救済史は新しい創造のために存在している。起源論的創造と終末論的創造の両次元のただ中にあって、「自然」はその二つの次元と区別されながらも、それらを結びつけ救済史的なドラマを生み出す舞台を提供しているのである。したがって、神学的に「自然」を神の被造世界として経験するとは、起源論的な創造信仰を想起するだけでなく、終末論的な新しい創造へと開かれることを意味する。この世界を将来の世界のたとえとして隠喩的に認識するときに、世界は神の被造世界としての姿を現すのである。
以上、我々はパネンベルクの自然神学理解を契機として、従来、弁証法神学によってもっぱら一面的な役割を押しつけられてきた自然神学をより広い神学的文脈の中で再解釈することを試みてきた。この自然神学は、弁証法神学がその批判の対象として概念化した自然神学と異なり、神が<自然から>認識されると考えてはいない。つまり、信仰が依拠する神認識は、人間の自己経験や世界経験から生じてくるものではない。しかし、同時にパネンベルクの理解に従えば、神がたとえ「聖なるもの」「永遠」などいかなる属性をもって語られようとも、神は何の媒介もなしに直接的な経験によって認識されるものではなく、日常的な経験の中で後天的に獲得された神概念(神意識)とのかかわりなしには、そもそも認識の対象となり得ない11。つまり、神は<自然から>認識されるのではなく、神ご自身が自然の中に自己啓示されることによって、言うなれば<自然において>認識されるのである。具体的にはパネンベルクはその関心を、歴史における神の自己啓示という形で展開していく。そして、歴史の中で顕現してきた神の言葉と行為が、人間の世界経験の中で認識の対象とされていくことによって、とりわけ直面した危機を切り
開く力として受容されていくことによって、神経験自体が将来という次元の中に移されていく。しかし、その将来は単に時間的未来を示すだけでなく、将来の視点から現在と過去の神理解と人間の世界経験が再解釈を促されるという意味では、終末論的な将来に属する。したがって、自然神学を正当に根拠づける神学的な場は終末論にあると言うことができるのである。
Ⅲ 宗教における神認識の探求
パネンベルクが自然神学の起源をキリスト教神学の内部にではなく、古代のギリシア哲学に求めたことは、すでに彼が宗教としてのキリスト教を越えて、さらに普遍的な地平を自然神学の議論の場としようとしていることを示唆している。したがって、彼の理解によれば、キリスト教以外の宗教に対し啓示神学の立場から一方的に否定的価値判断を下すことは、決して自明なこととしては許容されない。しかし、実際にはそのようなことを許容させるような宗教理解が、キリスト教の内部で育まれてきた。それに対し、パネンベルクが対象にしようとする宗教は、もちろんキリスト教神学というフィルターで濾過された抽出物ではなく、むしろキリスト教の外側からキリスト教の神理解にある種の危機をもたらし得る宗教であり、宗教経験である。そうでなければ、パネンベルクが自然神学によってキリスト教神学内部に生起させようとした動的緊張関係は働きの場を失うであろう。
パネンベルクにとって、いかなる宗教も、神的存在を人間の有限な経験の中でとらえ、それをこの世の有限なメディアを通じて表現せざるを得ない点においては変わらない。この点に、彼は宗教一般に妥当する、もっともアンビバレントな側面を見ている。宗教的経験が一般的な形で認知されるためには空間的・時間的に意識の焦点を絞り込み、その焦点を一つのメディアとしてメッセージが伝達される必要がある。祭儀の場や祭儀の時はその一例であり、また被造物の中に超越者の顕現を求めていく態度もその一例として考えることができる。いずれの場合も、それがこの世の暫定的・間接的メディアであるという点においては同じである。しかし、有限なメディアが無限の神的実在を完全に表現し得ると考えられたり、またメディア自体が神的実在と取り替えられる場合に、宗教は容易に魔術へと移行する。魔術はメディアの操作可能な具体性を利用して、神的力そのものを人間の自己目的のために仕えさせようとする業である。その意味では、被造物の中に神的実在を見ていく態度は、一方で具体的なイメージを喚起しやすく近づきやすいという側面を持つが、他方、その具体性が人間の恣意にゆだねられやすいという危険性を伴
っている。この後者の危険性こそ、聖書が一貫して偶像礼拝の禁止として主張している事柄に対応する。
このように考えてみると、メディアとしての暫定的・間接的性格は変わらずとも、メディアの種類とメッセージは密接な関係にあることがわかる。メディアは必ずしも中立的で相互に交換可能な装置ではなく、むしろメディアそのものがすでにメッセージの一部を構成しているとも言える。つまり、メディアを意味を欠如した無機質的媒体として、内容物であるメッセージから二元論的に区分することはできない。それどころか、メディアとメッセージの二元論的区別を前提にすることが、メディアを人間の自己目的のために利用可能なものへと変質させ、宗教を魔術化する端緒を作るのではなかろうか。この点に関して、パネンベルクが「『神』と呼ばれるに値するものに対する哲学的<外郭概念>」の必要性を論じていたことを思い起こしたい。それはユンゲルが批判するように「神」という言葉の内部における閉塞した神学的作業を支援する態度でもなく、また、信仰に先行する人間の恣意的操作の現れでもなかった。それは外郭概念の外部との関係を志向し、そこで直面する矛盾や危機を内部に取り込みながら変容していく枠組みであり、信仰と世界経験の矛盾的関係に対する積極的な議論を誘発する概念であった。言い換える
ならば、パネンベルクにとって「神」という言葉はメディアにもなりメッセージにもなる、それら両極性を備えた動的概念である。従来の情報理論に従えば、一方から他方へのメッセージの伝達は価値中立的なメディアによって媒介され、その際、外部からのノイズが少なければ少ないほど正確で適切な伝達がなされると考えられてきた。しかし、このような情報伝達モデルはまったくの間違いではないにせよ、情報伝達の一部しか表現していない。そこでは情報の解釈という視点が完全に欠落している。あるコミュニケーションがなされるときに、ある意識主体の経験が別の意識主体へとそのままの形で伝達されることはありえない。そこには生の経験を生のままでは伝達できない根源的非伝達性があり、それを克服することがコミュニケーションの目的なのである。したがって、情報伝達においてノイズはコミュニケーションを歪曲する不要物として一方的に排除されるべきではなく、むしろノイズをもコミュニケーションの要素としてとらえ、情報の伝達と解釈の関係を考えていく必要がある。ノイズとは、パネンベルクの言葉で言えば、矛盾や危機という概念に対応するであろう。矛盾や危機ということが神理解の伝承の過程にお
いて「触媒」のような働きをなし、神理解や宗教経験一般を動的に拡張するのである。パネンベルクが神学的・哲学的思考の枠組みとして神概念にこだわるのは、そこに前提となる内容物を準備しているからではなく、むしろ神という言葉が概念的に固定され、人間の恣意的な目的のために用いられることを防ぐためであると言える。それゆえ、神概念は日常的経験から借用された多様な隠喩的表現や、また危機意識に誘発された宗教経験を収集することによって、それらの間に相関的なバランスを与え、そのようにして神概念を新たに記述していくための道を開いていく。この意味において、「『神』と呼ばれるに値するものに対する哲学的<外郭概念>」はメディアとメッセージの両極性を備えるのであり、その限りにおいて、それは他の神学的諸概念とは区別される特別な位置を占めている。
また、パネンベルクは、神概念と祭儀の関係を仲介し、無限なものの働きを有限な経験可能領域で共有するメディアとして神話に注目する。彼によれば、神話は太古(Urzeit)の時代における神(神々)の働きを語り伝え、その太古の時代において自然と人間世界の秩序が根拠づけられていることを教える。そして、神(神々)が太古において成し遂げた行為が祭儀を通じて、現在に生きる者によみがえる。つまり、神話的世界に参与する者は自らの生活の秩序や生活そのものを更新される。ただし、それによって過ぎ去った歴史が新しく意味づけられるのではない。神話的世界によって新しくなるとは、原初の神話的時間に戻ることによって古い歴史を廃棄した上で、新しい歴史を生み出すということであるからである。時間の流れは太古の神話的時間を中心に理解され、また、それとの関係においてのみ意味を持つものとされる。このように神話的な祖型(archetypes)を反復することによって、歴史を廃棄し、歴史の不幸に耐えていくという神話に対する基本的な理解をパネンベルクは、ミルチア・エリアーデ(Mircea Eliade)に、とりわけ彼の代表的著作『永遠回帰の神話――祖型と反復』(1949年)に負っている。そして、神
_話の働きを聖書における神話の受容と対照させながら、両者の類似点と相違点とを描き出そうとするのである12。結論的に彼はキリスト教における終末論の特異性を強調しながら、「神話はキリスト教の中で単純に取り除かれているのではなく、統合され止揚されている」13と語る。
しかし、この言葉によって我々は、単純に神話対終末論という対比の中で、終末論の優位性を無条件に確信してよいのであろうか。パネンベルクは確かに聖書的伝統において神話の果たしている役割を述べているが、その神話とは、すでにキリスト教信仰全体の中に吸収され、解消された後の残存物に過ぎないのであろうか。しかし、彼自身は明示していないが、神話が持つ真実を開示する力、つまり「象徴」機能はエリアーデの神話理解の中で大きな意味を持ち、また同時に、パネンベルク自身の神学理解を展開していく上で、重要な役割を果たすと考えられる。したがって、象徴が神学において果たす役割を等閑視し、ただ神話そのものにはもはや意味がないと論じることは、決して生産的な議論とは言えないのである。
ところでエリアーデの象徴理解の中心は、象徴に内在している聖なるものの次元は聖自らが顕現することによって成り立つというヒエロファニー(Hierophanie)の考えにある。それは象徴それ自身が聖なる意味を開示するのであり、その象徴を受容するものの解釈によって意味が現れるのではないという主張を含意しており、その意味ではバルト的な啓示神学に類似した構造を持っているとも言える。もちろん、エリアーデの一般化された象徴理解をそのままの形で神学の領域に採用することはできない。しかし、象徴が示す、開示し同時に隠蔽する力が神学における啓示と類比関係にあることからも明らかなように、象徴は宗教の言語、信仰の言語として神学の中でも重要な役割を果たし得るのである。パネンベルクの神概念がメディアとメッセージの両極性を備えることをすでに論じたが、象徴は神概念が動的な生命力を維持するためのインターフェイスになると考えることができる。象徴を媒介にして神学が外部の情報を取り入れ、それによって独善的、自己満足的な信仰姿勢を相対化する視点を養うのである。なぜなら、「象徴論は共通言語となり得るからである」14。このような作業の一環に他の宗教との対話を考えることも
烽ナきる。しかし、象徴によって開かれる対話の対象は宗教だけに限らない。パネンベルクの自然神学はすでに諸学問との対話可能性とその意義とを示唆していた。ただ対象が他の宗教であれ、他の諸学問であれ、コミュニケーションが成立するためには相互に理解できる<共通言語>が必要なのである。
このような言語について、例えばリクール(Paul Ric忖r)は次のような興味深い言葉を述べている。「隠喩は、すでに純化された<ロゴス>の世界の中に現れるのに対し、象徴は、<ビオス>(生命)と<ロゴス>の境界線上で躊躇しているのだ。象徴は、生命の言述(Discourse in Life)の原初的根源性であることを証明する。それは、勢力と形態とが、同時に起こるところで生まれる」15。このリクールの言葉は、パネンベルクの自然神学の射程を明らかにしてくれる。我々はパネンベルクと共に、この世界において神がどのような「自然」な場を占めるかを考察してきた。確かに彼の神概念や自然神学理解は形而上学的な響きを持ち、その意味ではロゴスの領域を議論の場としているように思われる。しかし、パネンベルクの自然神学の構想を徹底していこうとするならば、ロゴスの場にのみとどまることができないのは明らかであり、ロゴス以前のさらに原初的な場へ、つまりリクールの言葉で言うならば、ビオスの領域にまで関与していかざるを得ないのである。言い換えるなら、「自然」はロゴスとビオスを包括すべきものである。そして、このビオスの領域をもっとも生き生きと語るものの一つが神話であると言える。
したがって、本来ビオスの領域に属する神話を何の前提もなしにロゴスの領域へと引き込み、それによって神話を神学的ロゴスの中に統合し、止揚したと言うのは、神話に対する不当行為ではなかろうか。神話やその象徴作用と正しく向き合うことによって、神学的ロゴスはかえってその豊かさを増し、そして「自然」と神の関係性は重層的な厚みを加えられるのである。
象徴や神話の中にロゴスの領域で使用される術語を直接的に探し当てることは困難である。しかし、ロゴスの領域に属する事実は、神話や象徴によっても確かに「語られている」と、エリアーデは言う16。語られることによって、日常のただ中に人々が共有できる聖なる場と聖なる時間が生起する。そこには様々な象徴による仕掛けがあり、演出効果が施され、そこに参与する人々は共感的リアリティの中に導かれていく。またそこでは、一連の語り、儀礼などを通じて濃密な情報の流れが生み出され、記憶や想像力が喚起される。先にパネンベルクの自然神学に関連して、「自然」が神の救済の<ドラマ>の一部を形成すると述べたが、神話やその象徴作用はそのドラマを支える演出効果や舞台装置、つまりドラマトゥルギー(作劇術)となり得る。したがって、神概念がただロゴスの領域にとどまるのではなく、象徴というインターフェイスを介して、ロゴスとビオスの領域を往来するときに、我々の想像力がもっとも活性化され、情報の流れがもっとも速くなり、意味解釈の深さと広さが極まるのである。
ここであらためて、パネンベルクの自然神学を契機として解釈された「自然」の適用範囲をまとめるならば次のようになる。すなわち、通時的に語るなら、「自然」は起源論的創造と終末論的創造の両次元のただ中にあって、それらと区別されながらも、それらを結びつけ、救済史的なドラマを生み出す舞台となる。また、共時的に語るなら、「自然」は象徴などの媒介(ドラマトゥルギー)によって往来が可能となるロゴスとビオスの両領域を包括する世界である。
Ⅳ 歴史としての啓示
パネンベルクは1961年に『歴史としての啓示』を共同研究として著し、当時の神学界に挑戦的な問いを投げかけた。その問いは、当時、ドイツのプロテスタント神学で支配的であったブルトマン学派とバルト学派によって共有されていた「神学と説教の背後には疑い得ない原理として神の言葉があるという神秘的にまで高められたその定式」17に疑義を呈することとなり、後にその主題をめぐって広範囲な議論が続けられることになった。
「歴史としての啓示」の妥当性をめぐる議論の中から出てきた、神の言葉か、歴史か、という二者択一を要求する問いは問題の本質を見誤っているとパネンベルクは考えている18。なぜなら、「神の言葉」という一般概念は聖書本文の中に見いだすことはできず、決して、他のすべてに優先する上位概念として固定することはできないからである。むしろパネンベルクは、神の言葉が「聖書本文においては非常に様々に異なった仕方で理解されており、すでにそれらの内容を通し、また同じくそれらが意図として含んでいる様々な前提や帰結を通して、単なる言葉を越えた現実、しかもその言葉そのものを包括した現実を指し示している」19ことに着目し、その現実こそ「歴史」であると結論づけるのである。
我々はここでパネンベルクの歴史の神学の意味解釈を深めていきたいと思う。「歴史としての啓示」という表現は、歴史を啓示として<見なす>という終末論的表現である。<見なす>ということは、「歴史」と「啓示」の等価の関係ではなく、また従属関係に置かれているのでもない、ということを言い表している。両者は互いに還元され得ない独自性を持った極性として、その間に生じる緊張関係を通じて終末論的な言語表現に仕えていくのである。では、なぜこの緊張関係が生じるのであろうか。もし、二つの極性がまったく無関係なものであれば、両者の間に引き合う力、あるいは排斥し合う力は働かない。また、過去に、ある救済の出来事が実際に起きたと言うときに、その「事実性」はどのように表現されるべきなのであろうか。
出来事の歴史的事実性を考える最初の方法は、過去から時間的距離を取り除くことである。歴史的事実が残した<痕跡>をたどることにより、それが導いていく先の過去の出来事を痕跡の同時代者として考え、さらに我々が過去の出来事の連関を生き生きと再構成することにより、我々もその時代の同時代者となるというのが、その方法である。したがって、そのようなやり方で我々が歴史的事実の痕跡さえ正しくたどれば、過ぎ去った歴史を現在の我々が啓示として認識することもできるということになる。つまり、「歴史」と「啓示」を<同>の位相のもとに見るのである。パネンベルクの啓示理解の中で、そのことは歴史の中における神の「間接的自己啓示」として表されている20。しかも、その出来事は信仰や神秘主義的体験を前提にすることなく、すべての人に開かれている普遍性を持っている21。また、啓示は歴史的出来事の中で具体化され、また歴史はその意味を啓示の先取り的特性から理解し得るという点においても、歴史と啓示が密接な関係にあることは明らかである。現在の我々と過去の出来事の同一性を歴史学的に展開した人物としてコリングウッド(Robin G. Collingwood)をあげることができる。彼によれば
、歴史的思考は次の三つの段階によって構成される22。1)歴史的思考の資料的性格。2)資料を通して与えられるものの解釈における想像力の働き。3)想像力の構成物が過去の「追体験」を行うという野心。ただし、追体験の主題は、資料の解釈と想像力による構成とによって目指される結果を指し示すという意味で、歴史的思考の最後の段階に置かれなければならない。このような過程によって、過去の歴史が現在においても生き続けると言い得るのである。つまり、過去の出来事が痕跡を残し、我々がその相続者となり、過去に思考されたことを追体験することにより、その出来事は生き続けるのである。しかし、コリングウッドの歴史理解は次の点においてパネンベルクの歴史理解と根本的に異なる。すなわち、コリングウッドにおいて歴史の主体者は人間であるが、パネンベルクにおいて主体は徹底して神に置かれ、歴史は人間の生み出したものとは決して考えられていない。事実、パネンベルクは、人間の行為が歴史に大きな影響を及ぼすことを認めながらも、同時に人間の行為以外の予期せぬ事態が歴史に介入することをブルトマンを引き合いに出して主張し、コリングウッドに反論している23。仮にコリングウッドの歴
史理解を人間論的な領域にのみ適用しようとしても、コリングウッドの試みは、<私のもの>としての過去の思考から<他者なるもの>としての過去の思考に移行できない点で挫折してしまうのである。つまり、歴史と啓示をただ<同>の位相において固定してしまうと、人間の歴史理解および啓示理解はそれを脅かす歴史的危機に対してまったく対処不能に陥る。さらに、パネンベルクが神の間接的自己啓示に見ようとしている普遍性が個人的な歴史解釈の中に分散されてしまうのである。
そこで弁証法的な反転をして、<同>という位相においてとらえきれなかった事柄を、<異>という位相において理解することができないであろうか。つまり、現在と過去の時間的距離を復元し、歴史を人間の追体験あるいは一切の感情移入的な欲求の外側に置く視点を考えることができる。パネンベルクの言葉で語るなら、歴史は人間によって保持された啓示の言葉を「凌駕」するという他者的な側面を持つからである。その意味では、歴史は啓示を否定すると言うことさえできる。いずれにしても、歴史は人間が啓示として認識する事柄に対し、徹底した条件づけをする。啓示は歴史の途上において、決して究極的な到達点を見いだすことはできないからである。また、歴史の証言が必ずしも人間が保持する啓示理解や神理解を追認しないという体験から、神義論的な問いが生じてきたのである。このように歴史と啓示を<異>の位相において関係づけることによって、歴史が本来持つ他者性を正しく評価することができる。しかし、もし両者の関係を<異>の位相において固定してしまうなら、先の<同>の位相において考えられた課題を見過ごしてしまうだけでなく、現在の中で過去がやはり<他者>として影響を与え続けてい
るという事実から目を反らすことになるであろう。
これまで検討してきた<同>と<異>の位相はそれぞれ一面的な性格を持つにもかかわらず、無益なものではない。それらは互いに関係づけられることによって初めて、目指すべき全体像を明らかにする。それゆえ、我々は<同>と<異>の間の関係性を記述する概念として<類比>を導入したい。類比によって「~として<見なす>」という表現に隠された言語力学が明らかにされていくのである。ところで、<同>も<異>も類比の一面を言い表していると考えるなら、<同>を肯定的類比、<異>を否定的類比として言い換えることができる。例えば、近代の分子運動論の分野で、気体の特性を説明するために、ばらばらに動いているビリヤード玉の集まりがモデルとして採用された。言うまでもなく、字義的には、気体分子はビリヤード玉ではない。後者にはあるが、前者にはない性質が明らかに存在するからである。この種の類比的特性を<否定的類比>と呼ぶことができる。それに対し、運動や衝突において見られるビリヤード玉の性質はモデルとして気体分子の性質に転用されるのであり、この種の類比的特性を<肯定的類比>と呼ぶことができる。ところが、ビリヤード玉と気体分子を比較する中で、まだ肯定的か否定
的か、はっきりしない類比的特性もある。これをここでは<中間的類比>と呼ぶことにする。ところで、気体分子という研究対象について、新しい予測を引き出したり、すでにある理論の矛盾点を露見させる力は、まさにこの中間的類比に属している。つまり、中間的類比は、肯定的類比と否定的類比の間を揺れ動きながら、まだ明らかにされていない事実を「先取り」する働きを潜在的に持っている。このように、ゆらぎの中に秩序をはらみ、変容する過程で概念の形成を動的に行うことこそが類比の本質であり、その意味では<同>にしろ<異>にしろ、いずれかの位相に固定化された静的な理論は、真の意味で類比とは言えないのである。
以上のような視点の動きを踏まえた上で、「歴史としての啓示」の中に読み取ることができる類比関係を明確にしたい。その類比関係は歴史は啓示であり(同)、同時に歴史は啓示ではない(異)という二つの極性の間で表現される。パネンベルクにとって、歴史は神の間接的自己啓示として(「啓示に関する教説についての教義学的諸命題」の命題1、以下も同様)、しかも見る目を有するすべての人間に開かれているものとして(命題3)肯定的類比を示すと同時に、啓示が歴史の終わりにのみ見いだされるという意味において(命題2)24、歴史は絶えず啓示を凌駕するものとして否定的類比を示す。それをキリスト論的に表現すれば、イエス・キリストの出来事が全歴史の終わりの先取りとして生起したにもかかわらず(命題4)25、それはこの世に対し、つまずきであり続けるのである。しかし、このような肯定的類比と否定的類比の緊張のはざまにあって、なお歴史を啓示として<見なす>という行為が、中間的類比の発見的機能を喚起し――それはパネンベルクの言う、預言者の「解釈学的潜在能力」に対応する――、まだ見ぬ神の将来を先取っていくのである。したがって、<見なし>と<先取り>の相互作用において、将来はその起源的過去を決して廃棄しない。一方で、神の将来に対する期待は、過ぎ去った過去に忘れられた可能性、流産した潜在性、抑圧された試みを開く。他方、伝統の夾雑物からこのように解放された意味の潜在性は、我々の期待の潜在性に血肉を与えるのに役立つ。そして、キリストの出来事において神と和解した人類が救済史の舞台を<自然>のただ中に認識するのは、この期待と記憶の相互作用によるのである。結論的に言うなら、パネンベルクによって提示された諸命題、および「歴史としての啓示」の全体構想は、歴史を啓示として見なす行為に含意される類比的なゆらぎ――それはまた「先取り」という概念の発生の場でもあった――の中で統一的な相関関係を見いすのであり、また、そのような動的相関関係の中に、彼の終末論の特徴が明瞭に表現されているのである。
Ⅴ 三位一体的神論の展開
パネンベルクはキリスト教教義学全体における三位一体論の重要性を次のように表現する。「この終了(三位一体的神論の終了)は暫定的なものである。なぜなら、内在的三位一体論と経綸的三位一体論の統一のしるしのもとに、創造論・キリスト論・和解論・教会論・終末論における残りの教義学全体が三位一体論の遂行に属しているからである。それゆえ、組織神学のまだ触れられていないこれらの部分において繰り返し、三位一体論との関係が明確に述べられなければならない。逆に言うと、三位一体的神論は、キリスト教教義学の全内容を先取りした総括なのである」26。このようなパネンベルクの強調点を正しく理解するためには、すでに論じてきた彼の神論を再度、三位一体論的な視点から見直す必要がある。ただし、三位一体論的視点はこれまでの彼の神論への取り組みから孤立したものではなく、むしろ、彼は自然神学の展開において、この世の現実全体を規定する神を論じる中で、また、歴史の中で間接的に自らを啓示する神を論じる中で、すでに三位一体論へとつながる道を準備してきたのである。
パネンベルクが三位一体論に関する伝統的な告白や教説に満足していないことは明らかであり、そこに彼が三位一体論と取り組む出発点があるとも言える。例えば、ニカイア・コンスタンチノープル信条は後の三位一体論の形成にある種の偏向をもたらすことになったと彼は考えている。つまり、永遠の内在的(本質的)三位一体という考えに比重が置かれることによって、三位一体論は歴史的地平から切り離され、被造物の認識能力によっては到達不可能な対象と見なされるようになったと言う27。言い換えれば、内在的三位一体論が経綸的三位一体論に対し存在論的に自立するようになり、経綸的な機能を失っていったのである。パネンベルクは、このような経緯のもとで三位一体論がもっぱら形而上学的に議論されてきたことに異議を唱え、より具体的な、すなわち、歴史的地平に根づいた三位一体論の構築を目指す。それは人間の理性を超えた超自然的認識を前提にするのではなく、あくまでも人間の「自然」の認識の中で遂行されなければならない。
また、三位一体論の形成を論じるときに避けて通ることのできない問題が、三位一体論に関する異端的教説との関係である。そもそも、三位一体論は異端に対する論駁の必要性から形を整えてきたとさえ言えるからである。その異端的教説の中でも特に目立ったものとして、アリウス主義とサベリウス主義がある。今日、我々がパネンベルクと同様、古代教会の信仰告白に対し解釈学上の距離を感じたとしても、古代教会がそれら異端に対して取った態度を無視するわけにはいかない。これらの異端をただ歴史的に論じることによって、その問題性を過去の遺物として等閑視することはできないのである。なぜなら、これら異端的教説は姿を変えながらキリスト教の歴史の中に潜在しているからであり、我々が取り組むべき課題はむしろそれらの問題性を類型論的・体系的に論じることにある。つまり、我々の日常的認識の中に忍び込みやすい性質を備えたアリウス主義的あるいはサベリウス主義的危機を認識論的に正しく位置づけることにより、初めて三位一体論の全体像が歴史的地平の上に、とりわけ人間の身体的現実の上に着地点を見いだすのである。また、それと同様の課題が、しばしば形式主義的に説明されてきた内在的三位
一体論と経綸的三位一体論の区別の上にも課せられているのである。
パネンベルクは、内在的三位一体論と経綸的三位一体論の区別をただ形而上学的に承認するのではなく、それらを神の救済の出来事と関連づけようとする。そして、神が自らを歴史の中に啓示する神である以上、パネンベルクは経綸的三位一体論の中に内在的三位一体論を見いだそうとする28。その意味で、彼はさしあたって「三」から「一」へと向かう方向を選択する。つまり、父からの発出(Prozessionen)という起源論的な説明は確かに聖書的根拠と共に語られてきたが、彼はそれを必ずしも妥当なものとは考えず29、三位一体のそれぞれの位格の関係の網目(Beziehungsgeflecht)は、起源的な関係よりはるかに複雑であることを強調する。彼にとって位格は、発出や従属という単一の関係に還元されるものではなく、多様な関係の焦点(Brennpunkt)として理解されている30。
この点に関し、パネンベルクはモルトマン(Jürgen Moltmann)の理解に近いと言える。モルトマンは伝統的な唯一神論をモナルキア(monarchia)とほぼ同義にとらえ、それを徹底して批判するが、いずれにしても、次のように「三」から「一」へという方向性を持っているからである。「神学的にいっそう有意味と思われるのは、出発点を聖書によって証言される歴史にとること、したがってまた三つの神的位格の一性を問題とすることであって、その逆に、絶対的一性なる哲学的要請から出発して、聖書の証言を問題にすることではないのである」31。また、「認識の秩序に従えば、経綸的三位一体が内在的三位一体に先行し、存在の秩序に従えば、後者が前者に先行するのである」32とも述べている。このように一方でパネンベルクとモルトマンは非常に類似した三位一体論理解を持っているが、他方、モルトマンはパネンベルクの三位一体論が「父のモナルキア(独裁神性)」(Monarchie des Vaters)にこだわり、三つの位格のペリコレーゼ(相互内在)を拒絶していると批判している33。しかし、この批判は正当なものであろうか。
確かに、パネンベルクは「父のモナルキア」という言葉に重要な意味を与えている。それは、すでに彼の自然神学の中で論じてきた「『神』と呼ばれるに値するものに対する<外郭概念>」と位相を同じくすると考えられる。それゆえ、彼が「父のモナルキア」という言葉を使用しても、それは独善的・一元的な神の支配を意図しているのでないことは明らかである。むしろ、「多」を取り結ぶ結節点として「父のモナルキア」に焦点を当てているのである。しかも、神の唯一性は三位一体論的・終末論的な視座に立ってのみ表現可能な対象であるとパネンベルクは理解しており、決してモルトマンが批判するように、三つの位格の相互の交わりに先行する形で、父なる神の支配に執着しているわけではない。そのことは、「父のモナルキアは三つの位格の共同の働きの前提ではなく、その結果である。それは三つの位格の一致のしるしなのである」34という言葉の中にも十分に読み取ることができる。かえって、パネンベルクはモルトマンのペリコレーゼの理解が不適切な前提をしていることを鋭く批判する。なぜなら、モルトマンは三位一体の統一性を説明するために、三位一体論を「構成の地平」(Konstitutionsebene)と「関係
の地平」(Relationsebene)に区分するからである35。したがって、ペリコレーゼは三位格の一致の根拠を別の形で前提にしており、決してペリコレーゼだけで三位一体の統一性を語ることはできないとパネンベルクは考える36。また、パネンベルクはモルトマンの唯一神論批判に用語法上の誤りを指摘する。実際にモルトマンが批判の対象とすべきなのは抽象的な唯一神論であって、三位一体論的な唯一神論でない37。つまり、パネンベルクにとっては、唯一神論と三位一体論は二律背反的な対立概念とはなり得ないのである。
それでは、パネンベルクは抽象的唯一神論に陥ることなく、どのようにして経綸的三位一体論と内在的三位一体論を関係づけるのであろうか。もちろん、二つの三位一体論が存在しているわけではなく、パネンベルクはカール・ラーナー(Karl Rahner)の「<経綸的>三位一体論は<内在的>三位一体論であり、その逆も真である」38という命題をユンゲル、モルトマンらと同様、肯定的に受けとめる。なぜなら、三位一体論のこれら二つの形態の一致は、同時に父・子・聖霊の一致と密接に関係していると考えるからである39。しかし、二つの形態の一致ということによって、もし一方が他方の中に解消されてしまうなら、再び、異端的教説の危機にさらされる。類型的に考えるなら、サベリウス主義などの様態説においては、経綸的三位一体論の中に内在的三位一体論が吸収されることによって、結果的に神の一性が保証されないか、あるいは、神の一性が最初から無条件の前提とされてしまう。また、アリウス主義などの従属説は、内在的三位一体論の中に経綸的三位一体論を吸収することによって、神の三位格の独立性を過小評価することになる。これらの異端的類型に陥ることなく、三位一体論の統一性を獲得していくために
ノ、次の点を考慮する必要がある。
まず、パネンベルクは「すでに三位一体論的神理解によって展開される啓示思想は、イエス・キリストの人格と歴史における、歴史の終わりの先取り(Antizipation)に基づいている」40ことを強調し、そのことを表現を変えながら繰り返している。つまり、異端的類型が地上におけるイエスの働きを矮小化し、それを三位格の形式の一部として機能させるのに対し、パネンベルクはイエス・キリストの人格と歴史に三位一体論の出発点を定めようとする。それが歴史の終わりの先取りという終末論的意義を帯びていることは、ナザレのイエスという身体がただ時代状況に拘束されたものではなく、そのイエスの身体を媒介にして救済史の全体が要約されるということを意味する。そして、イエスの身体性をもっとも生々しくこの世に明示したのが十字架の出来事であったとするなら、イエスの十字架と復活においてこそ、この世の終わりの先取りがもっとも端的に語られているのである。しかも、十字架における苦しみはただイエスの苦しみだけでなく、イエスの苦しみに身を寄せる父なる神と聖霊の苦しみをも意味することを、パネンベルクはユンゲルやモルトマンと共に積極的に承認する41。したがって、この十字架は父と子と聖
霊がひとつであるという内在的三位一体の神秘の終末論的先取りであり、それに続く復活の出来事によって、この終末論的先取りが弟子たちの身体の中に受肉の場を見いだしたと言えるのである。それゆえパネンベルクは、内在的三位一体論を形而上学的な前提とするのではなく、それを経綸的三位一体論の中に見いだし、さらに内在的三位一体論を経綸的三位一体論の終末論的形態として結論づける。つまり、十字架と復活とに先鋭化された終末論的地平において内在的三位一体論と経綸的三位一体論の一致を見いだすのである。しかし、イエスの十字架と復活はあくまでも歴史の終わりに示されるべき出来事の「先取り」に過ぎない。その意味で、神が唯一であることが世の終わりにならなければ明らかにされないように、内在的三位一体の全体が明らかにされるのは、歴史内の事柄ではないということに留意すべきであろう。
これまでの考察を総括するために、次に我々が取り上げなければならない課題は、内在的三位一体論と経綸的三位一体論を包括する認識論的問題である。パネンベルクにおいてこの問題は明示的に語られてはいないが、三位格の関係の網目の豊かさとして示唆されている。彼は、関係の網目が起源論的関係に還元されない豊かさをもって、それぞれの位格が互いに区別すると同時に互いに一体となることを説明する42。しかし、この地点でとどまるなら、彼が批判するペリコレーゼによる説明と大差はない。そこで彼は、新約聖書において「神」という言葉がほとんど例外なく父なる神に向けられていることを引き合いに出しながら、父のモナルキアを三位格の一致の保証として導入する43。その際、父のモナルキアが三位一体論の前提となるのではないこと、三位格の相互性によって父のモナルキアが破壊されるのではないことを慎重に繰り返すが、父のモナルキアと三位格の関係についてはそれ以上の説明が与えられていない。
そもそも、内在的三位一体論と経綸的三位一体論の区別はどのような必然性から生じてきたのであろうか。ここでテルトゥリアヌスらが異端論駁の際になした概念形成の過程に立ち入ることはできないが、まず最初に言えるのは、三位一体論を二つの様式に区別する意図は形而上学的な議論の展開にあるのではなく、むしろ、それによって三位一体論の<具体性>と<全体性>を確保しようとした点にあるということである。イエス・キリストという具体性なしに終末論的視座に立つことはできず、また全体性を欠いては唯一神論として成立し得ない。
経綸的三位一体論は具体的な歴史内現実世界で認識可能な対象として言い表されている。それをパネンベルクなら次のように表現する。「子の働きによって(durch)、父の国、父のモナルキアは被造世界において力を発揮する。そして霊の働きによって(durch)父の国は完成する。そのとき、霊は子を父から全権を委託された者として賛え、その点において神自身をも賛える。子と霊とはその働きによって(durch)、父のモナルキアに仕え、それを実現する。しかし、父は国とモナルキアを子なしに持つのではなく、子と霊によって(durch)のみそれを持つのである」44。パネンベルクは三位格の関係の網目の豊かさを、他の箇所においても様々に言い換えて表現している。しかし、意味形成の視点から、これらの表現に共通する特徴は、ある位格によって他の位格を指し示していく原因と結果の時間的隣接関係、および、ある位格(部分)によって三位一体(全体)を指し示していく部分と全体の空間的隣接関係という換喩(メトニミー)的表現が支配的であるということである。上のパネンベルクの表現においては「~によって」(durch)という言葉に媒介された換喩的認識が顕著である。
それに対し、内在的三位一体論は歴史内では実現し得ない意味世界に属している。パネンベルクの洞察に従えば、それは終末論的地平に属するのであるが、そこにおいて三位格の交わりは唯一なる神という<類>形成に参与する。つまり、位格それぞれが種から類に向かう概念形成をなし、「神」という一つの像を結ぶのである。これは提喩(シネクドキ)的認識と呼ぶことができるであろう。類は実体としては歴史内に存在しない。しかし、なお類は実感されるのである。なぜなら、それぞれの位格が所有する意味素性は人間の身体を媒介した経綸的三位一体論の体験から供給され、その身体の一体性に対応して世界をできるだけ一体のものとして認識しようとする動機づけが、それぞれの種(位格)の間の共有素性を励起させ、新しい類を実感的に顕現させるからである。
内在的三位一体論と経綸的三位一体論が区別される必然性があったように、現実世界に属する換喩的認識と意味世界に属する提喩的認識は区別して考えられなければならない。しかし、すでに述べたように、この両者は人間の身体を媒介にしてつながっている。そして、認識論的に言うなら、現実世界と意味世界を橋渡しするのは、人間の身体に仲立ちされた隠喩(メタファー)的認識である。そこで、我々は人間の「自然」な認識の一つのモデルとして下図のような認識の三角形を想定することができる45。
隠喩的認識は確かに教父たちの解釈において特徴的である。それをスーザン・A・ハンデルマン(Susan A. Handelman)はラビ的解釈の換喩性と対置させ、また、ユダヤ教とキリスト教の認識論的相違を次のように指摘している。「教会がトーラーの持つ文字通りの意味を否定し、それらを霊的な意味の中に包摂しようとしたとき、ユダヤ人たちは激しく反対した。・・・ユダヤ人にとって本質的な対照は、記号と物の、あるいは、<霊的>と<文字通り>の、神とことばの間の対照ではなかった。それは、神と世界の間の対照であった。ユダヤ人は記号と物との間の、ことばと存在の間の仲介者を必要としなかった。現実はすでに神の言葉に満ちていて、それはことばを持たずに存在しているものではなかった。・・・神を実体として自然の存在領域の中に絶対的に現存するものたらしめようとして、キリスト教徒たちがことばを物化して、受肉を中心的教義にしようとすることになるのは、避けられないことであった。それと同じように、差異が三位一体の概念に、つまり一における三という相対的統一性に包摂されるにつれて、解釈の遊戯(そして差異)は意味の多様化を考慮する代わりに、凍結され、ことばを単一の指示物を持
つ実体に凝固させる試みに転化してしまったのである」46。もしキリスト教的解釈学がイスラエルの伝統から継承すべき換喩的認識をないがしろにしているなら、ハンデルマンの言うように、そこで考察されている「神」という言葉は三位一体論という試みにもかかわらず(あるいは、まさにそのゆえに)、「単一の指示物を持つ実体に凝固」させられていることを認めざるを得ない。しかし、この点に関してパネンベルクはイスラエルからの認識論的伝承を慎重に引き受けている。それは、彼が言葉の付加物として「霊」を想定することを徹底して拒絶している点にも表されている47。我々が換喩や提喩の働きを考慮せずに隠喩を語ろうとするなら、すぐさま「解釈の遊戯」は凍結されるであろう。しかし、三位一体の神を考察するために、上図で示したようにイスラエル的伝承としての換喩性を踏まえ、それとのかかわりの中で提喩的および隠喩的認識に入っていくなら、神は我々によって凝固されるどころか、かえって我々の凍結した認識を融解し、新たな知の沃野を開拓するのである。これまでの考察と先の図は、そのことを指し示している。
我々の身体はそこに張り巡らされた五感をインターフェイスとして、この現実世界と対面している。そして、身体はこの世界と接することにより、歴史内の出来事から新しい言語表現を獲得し、同時にそこに新たな類似性を発見して、意味世界へと向かう。そして、身体を媒介して発見された隠喩的洞察は内なる意味世界と対面するとき、凝固し、凍結した惰性的な意味を活性化し、意味の再配置を行うのである。このようにして創出された新しい「関係の網目」をもって再び世界と対峙し、その網目を通して世界を新たに眺め、新たな世界内身体関係を生み出していく。このような認識論的循環の中に経綸的三位一体論と内在的三位一体論の区別と一致を配置することができるのである。
さらに、上図が示しているように、サベリウス主義とアリウス主義は経綸的三位一体論と内在的三位一体論との間に生起している認識論的循環の網目から抜け落ち、提喩と隠喩を顧慮しない換喩的認識、および換喩と隠喩を顧慮しない提喩的認識の外延にそれぞれ位置づけられる。それは結果的に三位一体論が確保しなければならない具体性と全体性を放棄することになる。それゆえに、これらの教説は異端とされた。それに対し、我々がパネンベルクに導かれながら到達した地平は、三位一体論は具体的な唯一神論であり、教会は三位一体論によって、非三位一体論者から神が唯一であることを守ったという彼の確信48の認識論的構造を明らかにしようとしたのである。
人間の認識は多様であり、一見、無規定であるが、その多様性や無規定性自体がある種の画定領域を持っていることを、我々は換喩と提喩と隠喩の相互関係によって創出される認識論的構造において表現しようとした。三位一体論の統一性が認識と表現の振幅の限界の中で正しく位置づけられるとき、異端という極性に吸収されることなく、その終末論的特性を人間の身体の内外に照射していくのである。しかし、我々が示した三位一体論の認識論的位置づけは、あくまでも暫定的なものである。なぜなら、三位一体的神論に根差した神学的認識が心理学、認知科学、哲学、文化人類学などの諸学と連携しつつ、人間の認識の祖型をかいま見るたびに、繰り返し、新しい意味のパルーシアが期待されるからである。
注
1 W. Pannenberg, Christliche Glaube und Naturverst舅dnis, in: H. Dietzfelbinger/ L. Mohaupt (Hrsg.), Gott - Geist - Materie. Theologie und Naturwissenschaft im Gespr臘h, 1980, 11.
2 1953年から1987年までのパネンベルクの著作リストについては、次の書の巻末を参照せよ。J. Rohls/ G. Wenz (Hrsg.), Vernunft des Glaubens. Wissenschaftliche Theologie und kirchliche Lehre. Festschrift zum 60. Geburtstag von Wolfhart Pannenberg, Gtingen 1988.
3 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, Gtingen 1988, 77.
4 ibid., 87f.
5 E. J■gel, Das Dilemma der nat■lichen Theologie und die Wahrheit ihres Problems. ワberlegungen f■ ein Gespr臘h mit Wolfhart Pannenberg, in: ders., Entsprechungen. Gott - Wahrheit - Mensch. Theologische Erterungen, M■chen 1980, 177.
6 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 120.
7 idem (Anm.152).
8 idem.
9 K. Barth, Kirchliche Dogmatik Ⅳ/3, Z■ich 1959, 154ff.
10 Ders., Kirchliche Dogmatik Ⅲ/3, Z■ich 31979, 55.
11 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 129.
12 ibid., 202ff.
13 ibid., 204.
14 石井裕二、「象徴論と神学」、『基督教研究』第50巻第2号、1989年、16―41頁所収、38頁。
15 P・リクール、『解釈の理論――言述と意味の余剰』(牧内勝訳)、ヨルダン社、1993年、105―106頁。
16 M・エリアーデ、『永遠回帰の神話――祖型と反復』(堀一郎訳)、未来社、1963年、11―12頁。
17 W・パネンベルク編著、『歴史としての啓示』(大木英夫他訳)、聖学院大学出版会、1994年、5頁。W. Pannenberg (hrsg.), Offenbarung als Geschichite, in Verbindung mit R. Rendtorff, U. Wilckens, T. Rendtorff, Gtingen 51982.
18 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 249f.
19 W・パネンベルク編著、『歴史としての啓示』、274―275頁。
20 同上、195―203頁。
21 同上、210―216頁。
22 R. G. Collingwood, The Idea of History, Oxford 1956. R・G・コリングウッド、『歴史の観念』(小松茂夫・三浦修訳)、紀伊國屋書店、1970年。
23 W. Pannenberg, Geschichte/ Geschichtsschreibung/ Geschichtsphilosophie Ⅷ. Systematisch-theologisch, in: TRE 12, 658-674, bes. 667.
24 W・パネンベルク編著、『歴史としての啓示』、204頁。
25 同上、216頁。
26 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 363.
27 ibid., 360.
28 ibid., 216f.
29 ibid., 332f.
30 ibid., 348.
31 J. Moltmann, Trinit舩 und Reich Gottes. Zur Gotteslehre, G■ersloh 31994, 167.
32 ibid., 170.
33 Ders., In der Geschichte des dreieinigen Gottes. Beitr臠e zur trinitarischen Theologie, M■chen 1991, 21.
34 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 353.
35 J. Moltmann, Trinit舩 und Reich Gottes, 199f., cf. ibid., 182, 192.
36 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 347, 353, 362, 364.
37 ibid., 364., Anm. 220.
38 K. Rahner, Mysterium Salutis, in: J. Feiner u. Mrer (hrsg.), Grundri゚ heilsgeschichtlicher Dogmatik, Einsiedeln 1967, 317-401, 328f.
39 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 361.
40 ibid., 360.
41 ibid., 357f.
42 ibid., 348ff.
43 ibid., 352ff.
44 ibid., 352.
45 換喩と提喩と隠喩の区分と相互関係については次の書から多くの示唆を得た。瀬戸賢一、『レトリックの宇宙』、海鳴社、1986年。ただし、歴史的に見ると換喩と提喩の定義はあいまいで不安定なものであった。新修辞学派のグループμは『一般修辞学』(1970年)の中で、隠喩も換喩も提喩に還元されるという極端な主張をなしたが、それを批判して換喩と提喩に関するもっとも信頼できる論を打ち立てたのが、佐藤信夫の『レトリック感覚』(1978年)である。前述の瀬戸はこのような事情を踏まえながら、明確な比喩論を構築している。さらに詳しい経緯に関しては次の書を参照。久米博、『隠喩論――思索と詩作のあいだ』、思潮社、1992年、特に131―139頁。
46 スーザン・A・ハンデルマン、『誰がモーセを殺したか――現代文学理論におけるラビ的解釈の出現』(山形和美訳)、法政大学出版局、1987年、197―198頁。
47 W・パネンベルク編著、『歴史としての啓示』、211―212、236―237頁。
48 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 363f.
Ⅱ 「自然神学」の再検討
Ⅲ 宗教における神認識の探求
Ⅳ 歴史としての啓示
Ⅴ 三位一体的神論の展開
Ⅰ 問題の所在
キリスト教神学における主題は今や多岐にわたり、それらを概観することすら容易なことではない。そのような状況の中で、この論文は神論を重要な主題として選択し、それが提起する問題群に取り組むことを目的としている。すでに神論はキリスト教教義学の諸学科の中の一つとして位置づけられており、その限りにおいては、決して最初から特別な位置を与えられているわけではない。それどころか、キリスト教的神理解を前提にして議論を進めることの困難さと不適切さがしばしば指摘される現代においては、神論を前面に出すのは宗教間対話を疎外することとして問題視される傾向さえある。また、カール・バルト(Karl Barth)の影響下では、神について語ることは本来的に不可能であり、それを引き受けることは逆説的な意味においてのみ可能であるとされてきた。我々はバルトの指摘の適切さを一方で承認しなければならない。しかし、他方において我々はバルトにおいて<断絶>として放置されていた神と人の間の距離を、もう少していねいに描写しなければならないのである。それは信仰の事柄を人間の<論理(ロジック)>に変換することによって不可解さを除去するという作業ではなく、むしろ、神と人の間に生
起する信仰の出来事のリアリティに肉迫するための表現方法を獲得するという<レトリカル>な作業となるであろう。その点において、神論が神学全体を見通す起点となる可能性を見いだすことができるのである。つまり、我々は神という言葉が持っている<意味の弾性>に十分な注意を向けながら、それを認識論的な地平へと結びつけようとしているのである。
ところで、現代の神学的潮流の中で神論を正面から取り上げている学者はそれほど多くはいない。しかし、その数少ない神学者の中から、本論文ではヴォルフハルト・パネンベルク(Wolfhart Pannenberg)を我々の考察の導き手として選んだ。彼にとって、すべての現実を規定する主体者としての神は、神学の最初のテーマであり、また、すべてが行き着くところの最後のテーマである。「単数で『神』という言葉を用いることは、すべてを規定する(bestimmen)現実を考えることを意味する。したがって、神について語ることは、この神があらゆる有限な現実に対する決定的な力として考えられるとき、はじめて意味あるものとなる。しかし、一切の有限な現実の総体は世界である。したがって、意味あるものとして神について語ることは、この神が世界を――今日、認識されるままの姿で――規定する力として理解される限りにおいてのみ、可能となるのである」1。このように彼は哲学的な枠組みを用いながら、神と世界との関係を普遍的な地平で取り上げようとする。そこからさらにエキュメニカルな視点や、神と世界が具体的に関係する場としての「歴史」の視点が必然的に派生してくるのである。
パネンベルクはすでに膨大な著作を著しているが2、本論文ではSystematische Theologie(Bd. 1, 1988; Bd. 2, 1991; Bd. 3, 1993)に焦点を絞って彼の神論を検討する。
Ⅱ 「自然神学」の再検討
近代以前、神という言葉は多かれ少なかれ、西欧の社会生活の中で宗教や文化を統合する結節点としての役割を果たしてきた。そういった働きが、世界の世俗化と共に急速に失われてきたことによって、神に対する理解にも大きな変化がもたらされることになった。まず第一に、人々が宗教の拘束力から次第に自由になることによって、神という言葉によって指示されてきた現実が非常に曖昧なものとなってきた。つまり、一義的に神という言葉を共有できる環境は失われ、神について語ることは話者の主観的事柄として扱われることになる。次に、神を理解することの困難さから、神という言葉を前提にしないで「宗教経験」(religie Erfahrung)一般を語ることに関心が向けられるようになった。それはシュライエルマッハー(Fr. D. E. Schleiermacher)の影響を多分に受けながら、例えば、ウィリアム・ジェームズ(William James)、ルドルフ・オットー(Rudolf Otto)、イアン・ラムゼイ(Ian T. Ramsey)らによって展開されていった。宗教経験という共通の舞台に立てば、一見、神理解の曖昧さに起因する様々な相違は解消されるかのようである。しかし、パネンベルクは、そこでも神理解が経験の「解釈」として働
いていることを指摘する。いかに個人的な経験であっても、「何か」との直接的・神秘主義的な出会いが語られたとしても、それが表現され、つまり解釈されるときには、その言葉が受容される世界の「神」理解――それが曖昧なものであるにせよ――と無関係ではいられない。経験が表現されるとき、経験とそれを取り囲む環境世界との間に緊張関係が生じるのであり、何かを認知するとはすでに一つの解釈なのである。パネンベルクにとって解釈とは、「すでに行き渡り、社会的・歴史的に伝達されてきた理解の諸連関(Verstehenszusammenh舅ge)を包含し、それから経験の諸連関(Erfahrungszusammenh舅ge)へと組み込まれることによって解釈学的な表現を獲得するが、しかし修正も受ける」3ものである。したがって、近代以降、神理解が他の諸学問によって相対化されてきた経緯があるにせよ、神学の中で「神」について語ることは、パネンベルクにとってなおも絶対的な出発点としての位置を占めている。しかし、それは、新しく規定された神理解に絶対的な権威を付与することを意図しているのではなく、かえって神理解は積極的な意味で「修正」され得るという可能性を含意している。神という言葉自体がそのような解釈
゚学的潜在能力を持っているのである。
ところで、自然神学と比較的親和性の高いカトリック神学に対し、プロテスタント神学では自然神学という言葉の登場に対して絶えず警戒心が喚起される。パネンベルクはそのような事情を熟知しながらも、あえて「自然神学」(natürliche Theologie)という言葉を彼の神理解の中心に導入する。その際、彼は近代以降のプロテスタント神学の中で、とりわけ啓示神学と対置される形で固有の位置を与えられている自然神学と区別して、その言葉が生み出されたギリシア哲学の土壌の中に自然神学の原型を見ようとする。
まずパネンベルクは、中期ストア哲学の創始者であるパナイティオス(Panaitios)によって初めて「自然神学」という言葉が用いられた際に、それが創作家の「神話神学」(mythische Theologie)と、国家の権威と共に秩序づけられ、国家によって保持された祭儀である「政治神学」(politische Theologie)と区別されていたことを強調し、問題の出発点としている。それによって「自然」という言葉が、創作家の幻想や政治的な関心・利害関係から生み出されたのではなく、つまり、人間的な動機を根拠にしているのではなく、神自身の本質に対応する「自然」を一義的に意味していることを指摘するのである。「哲学的な神認識が『自然』(natürlich)であるのは、それが人間の本性や人間理性の原理・理解力に適っているからではなく、むしろ、人間の性向に基づいた『実定的な』(positiv)宗教形態の中で歪曲化されるのと対照的に、神的なものの、神自身の真理の『自然』(Natur)に対応しているからである」4。この視点が保持されたからこそ、哲学者の「自然神学」は初期キリスト教の神学の中に受容されたのである。それ以降、自然という言葉の適用は時代と共に微妙な変化を遂げている。しかし、プロテスタン
ト神学の中で自然神学が取り上げられるときには、もっぱら近代以降の理解を対象にしているのであり、そのような限定を忘れて自然神学の全体をひとまとめにしてなされる批判に対し、パネンベルクは注意を促すのである。
さらにパネンベルクの自然神学を明確化するために、ここでユンゲル(Eberhard Jüngel)の自然神学批判を検討する。ユンゲルは、パネンベルクの自然神学の中で神概念が大きな役割を果たしていることを意識しながら、次のように述べている。「否定されるべきなのは、信仰の明確化への先行(praeambula ad articulos fidei)という意味における、つまり、自然な神認識という意味における自然神学の原理化(Prinzipiellisierung)である。否定されるべきなのは、そのようなものとして神概念――それに対し、啓示に基づいて言語化された神の諸規定は矛盾してはならない――を構成することができると主張する自然神学である。そのような自然神学では、いずれにせよ、『神』と呼ばれるに値するものに対する<外郭概念>(Rahmenbegriff)がすでに与えられており、その外郭概念の内部において本来的な神学表現が動かなければならなかったのであろう」5。ユンゲルにとっては、信仰に先行するような形で「神」という言葉に対応する外郭概念を前提にすることは、キリスト教信仰の根拠を揺るがすものと映るのである。しかし、この批判を知りながらも、パネンベルクは自然神学が持つ既存の宗教的諸状況に対する批判
サ的機能の有効性を論じ、「『神と呼ばれるに値するものに対する(哲学的)<外郭概念>』は徹底して可能であり続ける」6と主張してやまない。この点に関しパネンベルクは、ユンゲルは「このような外郭概念の表現可能性と、神の啓示が問題とされる前に、古風な『信仰の明確化への先行』という意味で神の存在を証明できるという要求との間の区別をしていない」7と批判している。つまり、パネンベルク自身は自然神学において「神」という外郭概念を表現することのできる可能性あるいは有効性を追及しているのであり、それによって神の存在証明を不当に要求しているのではないということである。しかし、同じユンゲルの批判の中にある、「啓示に基づいて言語化された神の諸規定」が「神」という外郭概念に矛盾することを許容しない自然神学は否定されるべきであるという主張にパネンベルクは同意している。なぜなら、パネンベルクは啓示神学か自然神学かという二者択一を迫る神学的態度を問題としているのであり、矛盾が許容されてこそ彼の主張する自然神学の真価が発揮されるからである。その際、矛盾の正当性は、神という外郭概念の理解をめぐる「議論の土台の上で」(auf dem Boden der Diskussion)実証
リされなければならない8。つまり、ユンゲルが批判するように神学的作業は「神」という言葉によって表される外郭概念の内部で閉塞しているのではなく、むしろ、それは当の外郭概念の外部との関係を志向し、そこで発見された関係性を言語化するために再び内部へと収斂する往還運動を伴っていると言い換えることができるであろう。
「自然」という言葉が神学の中で考察の対象とされるとき、それは「創造」概念と強い相関関係を持っている。しかし、自然を創造に同質化することはできない。なぜなら、この世界の自然性をただちに神の創造に結びつけることはできないからである。それどころか、世俗化された世界において自然は、神という言葉をもはや必要としないまでに自立している。したがって、我々がまず神学的に問わなければならないのは、世界は現在の状態において、いかにして被造世界として「経験」されるのかということである。例えば、バルトはこの問題を啓示神学と自然神学の対比の中で、次のような劇場の隠喩を用いて説明する9。ドラマは神を啓示し、世界を和解させるキリストの物語である。ただし、舞台となる世界と神の救済のドラマとは徹底して区別される。この舞台を照らし出す照明装置は啓示の光であるが、その光を受けて舞台とされる世界は、神ご自身の栄光が和解の業によって輝き出す場所以上のものではない。「創造された宇宙は...神の偉大な恩寵と救済の業の舞台である。その意図するところによれば、宇宙は神の召使い、神の道具、神の材料である。再び明らかなことは、舞台がそこで演じられる作品の主役ではあり
闢セないことである。舞台は作品を外見上可能にすることができるだけである」10。
たとえの中で問題とされる類比関係は現実そのものではなく、来るべき現実であり、その意味で神と世界の根本的相違は保持されなければならない。したがって、バルトが劇場の隠喩において救済のドラマとその舞台とを区別することは必要なことである。しかし、その隠喩によって本来比較できない二つのものを一緒に見ようとするバルトの試みは失敗しているように思われる。バルトが世界を救済のドラマの「舞台と背景」に過ぎないと考える限り、二つの事柄を同時に見ることは不可能である。言い換えるなら、バルトの試みが可能なのは、舞台それ自体がそこで演じられるドラマの一部となる時だけである。なぜなら、救済のドラマは一度限りのものとして演じられるからであり、その限りにおいて舞台としての世界は決して代替可能な存在物ではないからである。したがって、舞台は「作品を外見上可能にする」のではなく、作品の固有性と反復不可能性に対応し、それを根底において支えるものとして作品を<実質的に>可能にする。パネンベルクの自然神学理解を敷衍して言うならば、確かに自然はドラマの一部を形成しているのである。
バルトは世界を神の啓示と対比的に描くことによって、この世界が創造の始まりの原初的状態とは異なることを正しく表現している。言い換えるならば、「自然」によって意味されるのは、もはや神の良き「創造」ではない。確かにバルトは適切にこの区別をしているが、救済のドラマと舞台のたとえはただ存在論的に、天の栄光の地上におけるたとえとしてとどめられるべきではなく、それは終末論的に、来るべき世界のたとえとして解釈されるべきではないであろうか。この来るべき世界の、すなわち新しい創造の見取り図として被造世界を考えるという視点がバルトには欠落している。救済史は新しい創造のために存在している。起源論的創造と終末論的創造の両次元のただ中にあって、「自然」はその二つの次元と区別されながらも、それらを結びつけ救済史的なドラマを生み出す舞台を提供しているのである。したがって、神学的に「自然」を神の被造世界として経験するとは、起源論的な創造信仰を想起するだけでなく、終末論的な新しい創造へと開かれることを意味する。この世界を将来の世界のたとえとして隠喩的に認識するときに、世界は神の被造世界としての姿を現すのである。
以上、我々はパネンベルクの自然神学理解を契機として、従来、弁証法神学によってもっぱら一面的な役割を押しつけられてきた自然神学をより広い神学的文脈の中で再解釈することを試みてきた。この自然神学は、弁証法神学がその批判の対象として概念化した自然神学と異なり、神が<自然から>認識されると考えてはいない。つまり、信仰が依拠する神認識は、人間の自己経験や世界経験から生じてくるものではない。しかし、同時にパネンベルクの理解に従えば、神がたとえ「聖なるもの」「永遠」などいかなる属性をもって語られようとも、神は何の媒介もなしに直接的な経験によって認識されるものではなく、日常的な経験の中で後天的に獲得された神概念(神意識)とのかかわりなしには、そもそも認識の対象となり得ない11。つまり、神は<自然から>認識されるのではなく、神ご自身が自然の中に自己啓示されることによって、言うなれば<自然において>認識されるのである。具体的にはパネンベルクはその関心を、歴史における神の自己啓示という形で展開していく。そして、歴史の中で顕現してきた神の言葉と行為が、人間の世界経験の中で認識の対象とされていくことによって、とりわけ直面した危機を切り
開く力として受容されていくことによって、神経験自体が将来という次元の中に移されていく。しかし、その将来は単に時間的未来を示すだけでなく、将来の視点から現在と過去の神理解と人間の世界経験が再解釈を促されるという意味では、終末論的な将来に属する。したがって、自然神学を正当に根拠づける神学的な場は終末論にあると言うことができるのである。
Ⅲ 宗教における神認識の探求
パネンベルクが自然神学の起源をキリスト教神学の内部にではなく、古代のギリシア哲学に求めたことは、すでに彼が宗教としてのキリスト教を越えて、さらに普遍的な地平を自然神学の議論の場としようとしていることを示唆している。したがって、彼の理解によれば、キリスト教以外の宗教に対し啓示神学の立場から一方的に否定的価値判断を下すことは、決して自明なこととしては許容されない。しかし、実際にはそのようなことを許容させるような宗教理解が、キリスト教の内部で育まれてきた。それに対し、パネンベルクが対象にしようとする宗教は、もちろんキリスト教神学というフィルターで濾過された抽出物ではなく、むしろキリスト教の外側からキリスト教の神理解にある種の危機をもたらし得る宗教であり、宗教経験である。そうでなければ、パネンベルクが自然神学によってキリスト教神学内部に生起させようとした動的緊張関係は働きの場を失うであろう。
パネンベルクにとって、いかなる宗教も、神的存在を人間の有限な経験の中でとらえ、それをこの世の有限なメディアを通じて表現せざるを得ない点においては変わらない。この点に、彼は宗教一般に妥当する、もっともアンビバレントな側面を見ている。宗教的経験が一般的な形で認知されるためには空間的・時間的に意識の焦点を絞り込み、その焦点を一つのメディアとしてメッセージが伝達される必要がある。祭儀の場や祭儀の時はその一例であり、また被造物の中に超越者の顕現を求めていく態度もその一例として考えることができる。いずれの場合も、それがこの世の暫定的・間接的メディアであるという点においては同じである。しかし、有限なメディアが無限の神的実在を完全に表現し得ると考えられたり、またメディア自体が神的実在と取り替えられる場合に、宗教は容易に魔術へと移行する。魔術はメディアの操作可能な具体性を利用して、神的力そのものを人間の自己目的のために仕えさせようとする業である。その意味では、被造物の中に神的実在を見ていく態度は、一方で具体的なイメージを喚起しやすく近づきやすいという側面を持つが、他方、その具体性が人間の恣意にゆだねられやすいという危険性を伴
っている。この後者の危険性こそ、聖書が一貫して偶像礼拝の禁止として主張している事柄に対応する。
このように考えてみると、メディアとしての暫定的・間接的性格は変わらずとも、メディアの種類とメッセージは密接な関係にあることがわかる。メディアは必ずしも中立的で相互に交換可能な装置ではなく、むしろメディアそのものがすでにメッセージの一部を構成しているとも言える。つまり、メディアを意味を欠如した無機質的媒体として、内容物であるメッセージから二元論的に区分することはできない。それどころか、メディアとメッセージの二元論的区別を前提にすることが、メディアを人間の自己目的のために利用可能なものへと変質させ、宗教を魔術化する端緒を作るのではなかろうか。この点に関して、パネンベルクが「『神』と呼ばれるに値するものに対する哲学的<外郭概念>」の必要性を論じていたことを思い起こしたい。それはユンゲルが批判するように「神」という言葉の内部における閉塞した神学的作業を支援する態度でもなく、また、信仰に先行する人間の恣意的操作の現れでもなかった。それは外郭概念の外部との関係を志向し、そこで直面する矛盾や危機を内部に取り込みながら変容していく枠組みであり、信仰と世界経験の矛盾的関係に対する積極的な議論を誘発する概念であった。言い換える
ならば、パネンベルクにとって「神」という言葉はメディアにもなりメッセージにもなる、それら両極性を備えた動的概念である。従来の情報理論に従えば、一方から他方へのメッセージの伝達は価値中立的なメディアによって媒介され、その際、外部からのノイズが少なければ少ないほど正確で適切な伝達がなされると考えられてきた。しかし、このような情報伝達モデルはまったくの間違いではないにせよ、情報伝達の一部しか表現していない。そこでは情報の解釈という視点が完全に欠落している。あるコミュニケーションがなされるときに、ある意識主体の経験が別の意識主体へとそのままの形で伝達されることはありえない。そこには生の経験を生のままでは伝達できない根源的非伝達性があり、それを克服することがコミュニケーションの目的なのである。したがって、情報伝達においてノイズはコミュニケーションを歪曲する不要物として一方的に排除されるべきではなく、むしろノイズをもコミュニケーションの要素としてとらえ、情報の伝達と解釈の関係を考えていく必要がある。ノイズとは、パネンベルクの言葉で言えば、矛盾や危機という概念に対応するであろう。矛盾や危機ということが神理解の伝承の過程にお
いて「触媒」のような働きをなし、神理解や宗教経験一般を動的に拡張するのである。パネンベルクが神学的・哲学的思考の枠組みとして神概念にこだわるのは、そこに前提となる内容物を準備しているからではなく、むしろ神という言葉が概念的に固定され、人間の恣意的な目的のために用いられることを防ぐためであると言える。それゆえ、神概念は日常的経験から借用された多様な隠喩的表現や、また危機意識に誘発された宗教経験を収集することによって、それらの間に相関的なバランスを与え、そのようにして神概念を新たに記述していくための道を開いていく。この意味において、「『神』と呼ばれるに値するものに対する哲学的<外郭概念>」はメディアとメッセージの両極性を備えるのであり、その限りにおいて、それは他の神学的諸概念とは区別される特別な位置を占めている。
また、パネンベルクは、神概念と祭儀の関係を仲介し、無限なものの働きを有限な経験可能領域で共有するメディアとして神話に注目する。彼によれば、神話は太古(Urzeit)の時代における神(神々)の働きを語り伝え、その太古の時代において自然と人間世界の秩序が根拠づけられていることを教える。そして、神(神々)が太古において成し遂げた行為が祭儀を通じて、現在に生きる者によみがえる。つまり、神話的世界に参与する者は自らの生活の秩序や生活そのものを更新される。ただし、それによって過ぎ去った歴史が新しく意味づけられるのではない。神話的世界によって新しくなるとは、原初の神話的時間に戻ることによって古い歴史を廃棄した上で、新しい歴史を生み出すということであるからである。時間の流れは太古の神話的時間を中心に理解され、また、それとの関係においてのみ意味を持つものとされる。このように神話的な祖型(archetypes)を反復することによって、歴史を廃棄し、歴史の不幸に耐えていくという神話に対する基本的な理解をパネンベルクは、ミルチア・エリアーデ(Mircea Eliade)に、とりわけ彼の代表的著作『永遠回帰の神話――祖型と反復』(1949年)に負っている。そして、神
_話の働きを聖書における神話の受容と対照させながら、両者の類似点と相違点とを描き出そうとするのである12。結論的に彼はキリスト教における終末論の特異性を強調しながら、「神話はキリスト教の中で単純に取り除かれているのではなく、統合され止揚されている」13と語る。
しかし、この言葉によって我々は、単純に神話対終末論という対比の中で、終末論の優位性を無条件に確信してよいのであろうか。パネンベルクは確かに聖書的伝統において神話の果たしている役割を述べているが、その神話とは、すでにキリスト教信仰全体の中に吸収され、解消された後の残存物に過ぎないのであろうか。しかし、彼自身は明示していないが、神話が持つ真実を開示する力、つまり「象徴」機能はエリアーデの神話理解の中で大きな意味を持ち、また同時に、パネンベルク自身の神学理解を展開していく上で、重要な役割を果たすと考えられる。したがって、象徴が神学において果たす役割を等閑視し、ただ神話そのものにはもはや意味がないと論じることは、決して生産的な議論とは言えないのである。
ところでエリアーデの象徴理解の中心は、象徴に内在している聖なるものの次元は聖自らが顕現することによって成り立つというヒエロファニー(Hierophanie)の考えにある。それは象徴それ自身が聖なる意味を開示するのであり、その象徴を受容するものの解釈によって意味が現れるのではないという主張を含意しており、その意味ではバルト的な啓示神学に類似した構造を持っているとも言える。もちろん、エリアーデの一般化された象徴理解をそのままの形で神学の領域に採用することはできない。しかし、象徴が示す、開示し同時に隠蔽する力が神学における啓示と類比関係にあることからも明らかなように、象徴は宗教の言語、信仰の言語として神学の中でも重要な役割を果たし得るのである。パネンベルクの神概念がメディアとメッセージの両極性を備えることをすでに論じたが、象徴は神概念が動的な生命力を維持するためのインターフェイスになると考えることができる。象徴を媒介にして神学が外部の情報を取り入れ、それによって独善的、自己満足的な信仰姿勢を相対化する視点を養うのである。なぜなら、「象徴論は共通言語となり得るからである」14。このような作業の一環に他の宗教との対話を考えることも
烽ナきる。しかし、象徴によって開かれる対話の対象は宗教だけに限らない。パネンベルクの自然神学はすでに諸学問との対話可能性とその意義とを示唆していた。ただ対象が他の宗教であれ、他の諸学問であれ、コミュニケーションが成立するためには相互に理解できる<共通言語>が必要なのである。
このような言語について、例えばリクール(Paul Ric忖r)は次のような興味深い言葉を述べている。「隠喩は、すでに純化された<ロゴス>の世界の中に現れるのに対し、象徴は、<ビオス>(生命)と<ロゴス>の境界線上で躊躇しているのだ。象徴は、生命の言述(Discourse in Life)の原初的根源性であることを証明する。それは、勢力と形態とが、同時に起こるところで生まれる」15。このリクールの言葉は、パネンベルクの自然神学の射程を明らかにしてくれる。我々はパネンベルクと共に、この世界において神がどのような「自然」な場を占めるかを考察してきた。確かに彼の神概念や自然神学理解は形而上学的な響きを持ち、その意味ではロゴスの領域を議論の場としているように思われる。しかし、パネンベルクの自然神学の構想を徹底していこうとするならば、ロゴスの場にのみとどまることができないのは明らかであり、ロゴス以前のさらに原初的な場へ、つまりリクールの言葉で言うならば、ビオスの領域にまで関与していかざるを得ないのである。言い換えるなら、「自然」はロゴスとビオスを包括すべきものである。そして、このビオスの領域をもっとも生き生きと語るものの一つが神話であると言える。
したがって、本来ビオスの領域に属する神話を何の前提もなしにロゴスの領域へと引き込み、それによって神話を神学的ロゴスの中に統合し、止揚したと言うのは、神話に対する不当行為ではなかろうか。神話やその象徴作用と正しく向き合うことによって、神学的ロゴスはかえってその豊かさを増し、そして「自然」と神の関係性は重層的な厚みを加えられるのである。
象徴や神話の中にロゴスの領域で使用される術語を直接的に探し当てることは困難である。しかし、ロゴスの領域に属する事実は、神話や象徴によっても確かに「語られている」と、エリアーデは言う16。語られることによって、日常のただ中に人々が共有できる聖なる場と聖なる時間が生起する。そこには様々な象徴による仕掛けがあり、演出効果が施され、そこに参与する人々は共感的リアリティの中に導かれていく。またそこでは、一連の語り、儀礼などを通じて濃密な情報の流れが生み出され、記憶や想像力が喚起される。先にパネンベルクの自然神学に関連して、「自然」が神の救済の<ドラマ>の一部を形成すると述べたが、神話やその象徴作用はそのドラマを支える演出効果や舞台装置、つまりドラマトゥルギー(作劇術)となり得る。したがって、神概念がただロゴスの領域にとどまるのではなく、象徴というインターフェイスを介して、ロゴスとビオスの領域を往来するときに、我々の想像力がもっとも活性化され、情報の流れがもっとも速くなり、意味解釈の深さと広さが極まるのである。
ここであらためて、パネンベルクの自然神学を契機として解釈された「自然」の適用範囲をまとめるならば次のようになる。すなわち、通時的に語るなら、「自然」は起源論的創造と終末論的創造の両次元のただ中にあって、それらと区別されながらも、それらを結びつけ、救済史的なドラマを生み出す舞台となる。また、共時的に語るなら、「自然」は象徴などの媒介(ドラマトゥルギー)によって往来が可能となるロゴスとビオスの両領域を包括する世界である。
Ⅳ 歴史としての啓示
パネンベルクは1961年に『歴史としての啓示』を共同研究として著し、当時の神学界に挑戦的な問いを投げかけた。その問いは、当時、ドイツのプロテスタント神学で支配的であったブルトマン学派とバルト学派によって共有されていた「神学と説教の背後には疑い得ない原理として神の言葉があるという神秘的にまで高められたその定式」17に疑義を呈することとなり、後にその主題をめぐって広範囲な議論が続けられることになった。
「歴史としての啓示」の妥当性をめぐる議論の中から出てきた、神の言葉か、歴史か、という二者択一を要求する問いは問題の本質を見誤っているとパネンベルクは考えている18。なぜなら、「神の言葉」という一般概念は聖書本文の中に見いだすことはできず、決して、他のすべてに優先する上位概念として固定することはできないからである。むしろパネンベルクは、神の言葉が「聖書本文においては非常に様々に異なった仕方で理解されており、すでにそれらの内容を通し、また同じくそれらが意図として含んでいる様々な前提や帰結を通して、単なる言葉を越えた現実、しかもその言葉そのものを包括した現実を指し示している」19ことに着目し、その現実こそ「歴史」であると結論づけるのである。
我々はここでパネンベルクの歴史の神学の意味解釈を深めていきたいと思う。「歴史としての啓示」という表現は、歴史を啓示として<見なす>という終末論的表現である。<見なす>ということは、「歴史」と「啓示」の等価の関係ではなく、また従属関係に置かれているのでもない、ということを言い表している。両者は互いに還元され得ない独自性を持った極性として、その間に生じる緊張関係を通じて終末論的な言語表現に仕えていくのである。では、なぜこの緊張関係が生じるのであろうか。もし、二つの極性がまったく無関係なものであれば、両者の間に引き合う力、あるいは排斥し合う力は働かない。また、過去に、ある救済の出来事が実際に起きたと言うときに、その「事実性」はどのように表現されるべきなのであろうか。
出来事の歴史的事実性を考える最初の方法は、過去から時間的距離を取り除くことである。歴史的事実が残した<痕跡>をたどることにより、それが導いていく先の過去の出来事を痕跡の同時代者として考え、さらに我々が過去の出来事の連関を生き生きと再構成することにより、我々もその時代の同時代者となるというのが、その方法である。したがって、そのようなやり方で我々が歴史的事実の痕跡さえ正しくたどれば、過ぎ去った歴史を現在の我々が啓示として認識することもできるということになる。つまり、「歴史」と「啓示」を<同>の位相のもとに見るのである。パネンベルクの啓示理解の中で、そのことは歴史の中における神の「間接的自己啓示」として表されている20。しかも、その出来事は信仰や神秘主義的体験を前提にすることなく、すべての人に開かれている普遍性を持っている21。また、啓示は歴史的出来事の中で具体化され、また歴史はその意味を啓示の先取り的特性から理解し得るという点においても、歴史と啓示が密接な関係にあることは明らかである。現在の我々と過去の出来事の同一性を歴史学的に展開した人物としてコリングウッド(Robin G. Collingwood)をあげることができる。彼によれば
、歴史的思考は次の三つの段階によって構成される22。1)歴史的思考の資料的性格。2)資料を通して与えられるものの解釈における想像力の働き。3)想像力の構成物が過去の「追体験」を行うという野心。ただし、追体験の主題は、資料の解釈と想像力による構成とによって目指される結果を指し示すという意味で、歴史的思考の最後の段階に置かれなければならない。このような過程によって、過去の歴史が現在においても生き続けると言い得るのである。つまり、過去の出来事が痕跡を残し、我々がその相続者となり、過去に思考されたことを追体験することにより、その出来事は生き続けるのである。しかし、コリングウッドの歴史理解は次の点においてパネンベルクの歴史理解と根本的に異なる。すなわち、コリングウッドにおいて歴史の主体者は人間であるが、パネンベルクにおいて主体は徹底して神に置かれ、歴史は人間の生み出したものとは決して考えられていない。事実、パネンベルクは、人間の行為が歴史に大きな影響を及ぼすことを認めながらも、同時に人間の行為以外の予期せぬ事態が歴史に介入することをブルトマンを引き合いに出して主張し、コリングウッドに反論している23。仮にコリングウッドの歴
史理解を人間論的な領域にのみ適用しようとしても、コリングウッドの試みは、<私のもの>としての過去の思考から<他者なるもの>としての過去の思考に移行できない点で挫折してしまうのである。つまり、歴史と啓示をただ<同>の位相において固定してしまうと、人間の歴史理解および啓示理解はそれを脅かす歴史的危機に対してまったく対処不能に陥る。さらに、パネンベルクが神の間接的自己啓示に見ようとしている普遍性が個人的な歴史解釈の中に分散されてしまうのである。
そこで弁証法的な反転をして、<同>という位相においてとらえきれなかった事柄を、<異>という位相において理解することができないであろうか。つまり、現在と過去の時間的距離を復元し、歴史を人間の追体験あるいは一切の感情移入的な欲求の外側に置く視点を考えることができる。パネンベルクの言葉で語るなら、歴史は人間によって保持された啓示の言葉を「凌駕」するという他者的な側面を持つからである。その意味では、歴史は啓示を否定すると言うことさえできる。いずれにしても、歴史は人間が啓示として認識する事柄に対し、徹底した条件づけをする。啓示は歴史の途上において、決して究極的な到達点を見いだすことはできないからである。また、歴史の証言が必ずしも人間が保持する啓示理解や神理解を追認しないという体験から、神義論的な問いが生じてきたのである。このように歴史と啓示を<異>の位相において関係づけることによって、歴史が本来持つ他者性を正しく評価することができる。しかし、もし両者の関係を<異>の位相において固定してしまうなら、先の<同>の位相において考えられた課題を見過ごしてしまうだけでなく、現在の中で過去がやはり<他者>として影響を与え続けてい
るという事実から目を反らすことになるであろう。
これまで検討してきた<同>と<異>の位相はそれぞれ一面的な性格を持つにもかかわらず、無益なものではない。それらは互いに関係づけられることによって初めて、目指すべき全体像を明らかにする。それゆえ、我々は<同>と<異>の間の関係性を記述する概念として<類比>を導入したい。類比によって「~として<見なす>」という表現に隠された言語力学が明らかにされていくのである。ところで、<同>も<異>も類比の一面を言い表していると考えるなら、<同>を肯定的類比、<異>を否定的類比として言い換えることができる。例えば、近代の分子運動論の分野で、気体の特性を説明するために、ばらばらに動いているビリヤード玉の集まりがモデルとして採用された。言うまでもなく、字義的には、気体分子はビリヤード玉ではない。後者にはあるが、前者にはない性質が明らかに存在するからである。この種の類比的特性を<否定的類比>と呼ぶことができる。それに対し、運動や衝突において見られるビリヤード玉の性質はモデルとして気体分子の性質に転用されるのであり、この種の類比的特性を<肯定的類比>と呼ぶことができる。ところが、ビリヤード玉と気体分子を比較する中で、まだ肯定的か否定
的か、はっきりしない類比的特性もある。これをここでは<中間的類比>と呼ぶことにする。ところで、気体分子という研究対象について、新しい予測を引き出したり、すでにある理論の矛盾点を露見させる力は、まさにこの中間的類比に属している。つまり、中間的類比は、肯定的類比と否定的類比の間を揺れ動きながら、まだ明らかにされていない事実を「先取り」する働きを潜在的に持っている。このように、ゆらぎの中に秩序をはらみ、変容する過程で概念の形成を動的に行うことこそが類比の本質であり、その意味では<同>にしろ<異>にしろ、いずれかの位相に固定化された静的な理論は、真の意味で類比とは言えないのである。
以上のような視点の動きを踏まえた上で、「歴史としての啓示」の中に読み取ることができる類比関係を明確にしたい。その類比関係は歴史は啓示であり(同)、同時に歴史は啓示ではない(異)という二つの極性の間で表現される。パネンベルクにとって、歴史は神の間接的自己啓示として(「啓示に関する教説についての教義学的諸命題」の命題1、以下も同様)、しかも見る目を有するすべての人間に開かれているものとして(命題3)肯定的類比を示すと同時に、啓示が歴史の終わりにのみ見いだされるという意味において(命題2)24、歴史は絶えず啓示を凌駕するものとして否定的類比を示す。それをキリスト論的に表現すれば、イエス・キリストの出来事が全歴史の終わりの先取りとして生起したにもかかわらず(命題4)25、それはこの世に対し、つまずきであり続けるのである。しかし、このような肯定的類比と否定的類比の緊張のはざまにあって、なお歴史を啓示として<見なす>という行為が、中間的類比の発見的機能を喚起し――それはパネンベルクの言う、預言者の「解釈学的潜在能力」に対応する――、まだ見ぬ神の将来を先取っていくのである。したがって、<見なし>と<先取り>の相互作用において、将来はその起源的過去を決して廃棄しない。一方で、神の将来に対する期待は、過ぎ去った過去に忘れられた可能性、流産した潜在性、抑圧された試みを開く。他方、伝統の夾雑物からこのように解放された意味の潜在性は、我々の期待の潜在性に血肉を与えるのに役立つ。そして、キリストの出来事において神と和解した人類が救済史の舞台を<自然>のただ中に認識するのは、この期待と記憶の相互作用によるのである。結論的に言うなら、パネンベルクによって提示された諸命題、および「歴史としての啓示」の全体構想は、歴史を啓示として見なす行為に含意される類比的なゆらぎ――それはまた「先取り」という概念の発生の場でもあった――の中で統一的な相関関係を見いすのであり、また、そのような動的相関関係の中に、彼の終末論の特徴が明瞭に表現されているのである。
Ⅴ 三位一体的神論の展開
パネンベルクはキリスト教教義学全体における三位一体論の重要性を次のように表現する。「この終了(三位一体的神論の終了)は暫定的なものである。なぜなら、内在的三位一体論と経綸的三位一体論の統一のしるしのもとに、創造論・キリスト論・和解論・教会論・終末論における残りの教義学全体が三位一体論の遂行に属しているからである。それゆえ、組織神学のまだ触れられていないこれらの部分において繰り返し、三位一体論との関係が明確に述べられなければならない。逆に言うと、三位一体的神論は、キリスト教教義学の全内容を先取りした総括なのである」26。このようなパネンベルクの強調点を正しく理解するためには、すでに論じてきた彼の神論を再度、三位一体論的な視点から見直す必要がある。ただし、三位一体論的視点はこれまでの彼の神論への取り組みから孤立したものではなく、むしろ、彼は自然神学の展開において、この世の現実全体を規定する神を論じる中で、また、歴史の中で間接的に自らを啓示する神を論じる中で、すでに三位一体論へとつながる道を準備してきたのである。
パネンベルクが三位一体論に関する伝統的な告白や教説に満足していないことは明らかであり、そこに彼が三位一体論と取り組む出発点があるとも言える。例えば、ニカイア・コンスタンチノープル信条は後の三位一体論の形成にある種の偏向をもたらすことになったと彼は考えている。つまり、永遠の内在的(本質的)三位一体という考えに比重が置かれることによって、三位一体論は歴史的地平から切り離され、被造物の認識能力によっては到達不可能な対象と見なされるようになったと言う27。言い換えれば、内在的三位一体論が経綸的三位一体論に対し存在論的に自立するようになり、経綸的な機能を失っていったのである。パネンベルクは、このような経緯のもとで三位一体論がもっぱら形而上学的に議論されてきたことに異議を唱え、より具体的な、すなわち、歴史的地平に根づいた三位一体論の構築を目指す。それは人間の理性を超えた超自然的認識を前提にするのではなく、あくまでも人間の「自然」の認識の中で遂行されなければならない。
また、三位一体論の形成を論じるときに避けて通ることのできない問題が、三位一体論に関する異端的教説との関係である。そもそも、三位一体論は異端に対する論駁の必要性から形を整えてきたとさえ言えるからである。その異端的教説の中でも特に目立ったものとして、アリウス主義とサベリウス主義がある。今日、我々がパネンベルクと同様、古代教会の信仰告白に対し解釈学上の距離を感じたとしても、古代教会がそれら異端に対して取った態度を無視するわけにはいかない。これらの異端をただ歴史的に論じることによって、その問題性を過去の遺物として等閑視することはできないのである。なぜなら、これら異端的教説は姿を変えながらキリスト教の歴史の中に潜在しているからであり、我々が取り組むべき課題はむしろそれらの問題性を類型論的・体系的に論じることにある。つまり、我々の日常的認識の中に忍び込みやすい性質を備えたアリウス主義的あるいはサベリウス主義的危機を認識論的に正しく位置づけることにより、初めて三位一体論の全体像が歴史的地平の上に、とりわけ人間の身体的現実の上に着地点を見いだすのである。また、それと同様の課題が、しばしば形式主義的に説明されてきた内在的三位
一体論と経綸的三位一体論の区別の上にも課せられているのである。
パネンベルクは、内在的三位一体論と経綸的三位一体論の区別をただ形而上学的に承認するのではなく、それらを神の救済の出来事と関連づけようとする。そして、神が自らを歴史の中に啓示する神である以上、パネンベルクは経綸的三位一体論の中に内在的三位一体論を見いだそうとする28。その意味で、彼はさしあたって「三」から「一」へと向かう方向を選択する。つまり、父からの発出(Prozessionen)という起源論的な説明は確かに聖書的根拠と共に語られてきたが、彼はそれを必ずしも妥当なものとは考えず29、三位一体のそれぞれの位格の関係の網目(Beziehungsgeflecht)は、起源的な関係よりはるかに複雑であることを強調する。彼にとって位格は、発出や従属という単一の関係に還元されるものではなく、多様な関係の焦点(Brennpunkt)として理解されている30。
この点に関し、パネンベルクはモルトマン(Jürgen Moltmann)の理解に近いと言える。モルトマンは伝統的な唯一神論をモナルキア(monarchia)とほぼ同義にとらえ、それを徹底して批判するが、いずれにしても、次のように「三」から「一」へという方向性を持っているからである。「神学的にいっそう有意味と思われるのは、出発点を聖書によって証言される歴史にとること、したがってまた三つの神的位格の一性を問題とすることであって、その逆に、絶対的一性なる哲学的要請から出発して、聖書の証言を問題にすることではないのである」31。また、「認識の秩序に従えば、経綸的三位一体が内在的三位一体に先行し、存在の秩序に従えば、後者が前者に先行するのである」32とも述べている。このように一方でパネンベルクとモルトマンは非常に類似した三位一体論理解を持っているが、他方、モルトマンはパネンベルクの三位一体論が「父のモナルキア(独裁神性)」(Monarchie des Vaters)にこだわり、三つの位格のペリコレーゼ(相互内在)を拒絶していると批判している33。しかし、この批判は正当なものであろうか。
確かに、パネンベルクは「父のモナルキア」という言葉に重要な意味を与えている。それは、すでに彼の自然神学の中で論じてきた「『神』と呼ばれるに値するものに対する<外郭概念>」と位相を同じくすると考えられる。それゆえ、彼が「父のモナルキア」という言葉を使用しても、それは独善的・一元的な神の支配を意図しているのでないことは明らかである。むしろ、「多」を取り結ぶ結節点として「父のモナルキア」に焦点を当てているのである。しかも、神の唯一性は三位一体論的・終末論的な視座に立ってのみ表現可能な対象であるとパネンベルクは理解しており、決してモルトマンが批判するように、三つの位格の相互の交わりに先行する形で、父なる神の支配に執着しているわけではない。そのことは、「父のモナルキアは三つの位格の共同の働きの前提ではなく、その結果である。それは三つの位格の一致のしるしなのである」34という言葉の中にも十分に読み取ることができる。かえって、パネンベルクはモルトマンのペリコレーゼの理解が不適切な前提をしていることを鋭く批判する。なぜなら、モルトマンは三位一体の統一性を説明するために、三位一体論を「構成の地平」(Konstitutionsebene)と「関係
の地平」(Relationsebene)に区分するからである35。したがって、ペリコレーゼは三位格の一致の根拠を別の形で前提にしており、決してペリコレーゼだけで三位一体の統一性を語ることはできないとパネンベルクは考える36。また、パネンベルクはモルトマンの唯一神論批判に用語法上の誤りを指摘する。実際にモルトマンが批判の対象とすべきなのは抽象的な唯一神論であって、三位一体論的な唯一神論でない37。つまり、パネンベルクにとっては、唯一神論と三位一体論は二律背反的な対立概念とはなり得ないのである。
それでは、パネンベルクは抽象的唯一神論に陥ることなく、どのようにして経綸的三位一体論と内在的三位一体論を関係づけるのであろうか。もちろん、二つの三位一体論が存在しているわけではなく、パネンベルクはカール・ラーナー(Karl Rahner)の「<経綸的>三位一体論は<内在的>三位一体論であり、その逆も真である」38という命題をユンゲル、モルトマンらと同様、肯定的に受けとめる。なぜなら、三位一体論のこれら二つの形態の一致は、同時に父・子・聖霊の一致と密接に関係していると考えるからである39。しかし、二つの形態の一致ということによって、もし一方が他方の中に解消されてしまうなら、再び、異端的教説の危機にさらされる。類型的に考えるなら、サベリウス主義などの様態説においては、経綸的三位一体論の中に内在的三位一体論が吸収されることによって、結果的に神の一性が保証されないか、あるいは、神の一性が最初から無条件の前提とされてしまう。また、アリウス主義などの従属説は、内在的三位一体論の中に経綸的三位一体論を吸収することによって、神の三位格の独立性を過小評価することになる。これらの異端的類型に陥ることなく、三位一体論の統一性を獲得していくために
ノ、次の点を考慮する必要がある。
まず、パネンベルクは「すでに三位一体論的神理解によって展開される啓示思想は、イエス・キリストの人格と歴史における、歴史の終わりの先取り(Antizipation)に基づいている」40ことを強調し、そのことを表現を変えながら繰り返している。つまり、異端的類型が地上におけるイエスの働きを矮小化し、それを三位格の形式の一部として機能させるのに対し、パネンベルクはイエス・キリストの人格と歴史に三位一体論の出発点を定めようとする。それが歴史の終わりの先取りという終末論的意義を帯びていることは、ナザレのイエスという身体がただ時代状況に拘束されたものではなく、そのイエスの身体を媒介にして救済史の全体が要約されるということを意味する。そして、イエスの身体性をもっとも生々しくこの世に明示したのが十字架の出来事であったとするなら、イエスの十字架と復活においてこそ、この世の終わりの先取りがもっとも端的に語られているのである。しかも、十字架における苦しみはただイエスの苦しみだけでなく、イエスの苦しみに身を寄せる父なる神と聖霊の苦しみをも意味することを、パネンベルクはユンゲルやモルトマンと共に積極的に承認する41。したがって、この十字架は父と子と聖
霊がひとつであるという内在的三位一体の神秘の終末論的先取りであり、それに続く復活の出来事によって、この終末論的先取りが弟子たちの身体の中に受肉の場を見いだしたと言えるのである。それゆえパネンベルクは、内在的三位一体論を形而上学的な前提とするのではなく、それを経綸的三位一体論の中に見いだし、さらに内在的三位一体論を経綸的三位一体論の終末論的形態として結論づける。つまり、十字架と復活とに先鋭化された終末論的地平において内在的三位一体論と経綸的三位一体論の一致を見いだすのである。しかし、イエスの十字架と復活はあくまでも歴史の終わりに示されるべき出来事の「先取り」に過ぎない。その意味で、神が唯一であることが世の終わりにならなければ明らかにされないように、内在的三位一体の全体が明らかにされるのは、歴史内の事柄ではないということに留意すべきであろう。
これまでの考察を総括するために、次に我々が取り上げなければならない課題は、内在的三位一体論と経綸的三位一体論を包括する認識論的問題である。パネンベルクにおいてこの問題は明示的に語られてはいないが、三位格の関係の網目の豊かさとして示唆されている。彼は、関係の網目が起源論的関係に還元されない豊かさをもって、それぞれの位格が互いに区別すると同時に互いに一体となることを説明する42。しかし、この地点でとどまるなら、彼が批判するペリコレーゼによる説明と大差はない。そこで彼は、新約聖書において「神」という言葉がほとんど例外なく父なる神に向けられていることを引き合いに出しながら、父のモナルキアを三位格の一致の保証として導入する43。その際、父のモナルキアが三位一体論の前提となるのではないこと、三位格の相互性によって父のモナルキアが破壊されるのではないことを慎重に繰り返すが、父のモナルキアと三位格の関係についてはそれ以上の説明が与えられていない。
そもそも、内在的三位一体論と経綸的三位一体論の区別はどのような必然性から生じてきたのであろうか。ここでテルトゥリアヌスらが異端論駁の際になした概念形成の過程に立ち入ることはできないが、まず最初に言えるのは、三位一体論を二つの様式に区別する意図は形而上学的な議論の展開にあるのではなく、むしろ、それによって三位一体論の<具体性>と<全体性>を確保しようとした点にあるということである。イエス・キリストという具体性なしに終末論的視座に立つことはできず、また全体性を欠いては唯一神論として成立し得ない。
経綸的三位一体論は具体的な歴史内現実世界で認識可能な対象として言い表されている。それをパネンベルクなら次のように表現する。「子の働きによって(durch)、父の国、父のモナルキアは被造世界において力を発揮する。そして霊の働きによって(durch)父の国は完成する。そのとき、霊は子を父から全権を委託された者として賛え、その点において神自身をも賛える。子と霊とはその働きによって(durch)、父のモナルキアに仕え、それを実現する。しかし、父は国とモナルキアを子なしに持つのではなく、子と霊によって(durch)のみそれを持つのである」44。パネンベルクは三位格の関係の網目の豊かさを、他の箇所においても様々に言い換えて表現している。しかし、意味形成の視点から、これらの表現に共通する特徴は、ある位格によって他の位格を指し示していく原因と結果の時間的隣接関係、および、ある位格(部分)によって三位一体(全体)を指し示していく部分と全体の空間的隣接関係という換喩(メトニミー)的表現が支配的であるということである。上のパネンベルクの表現においては「~によって」(durch)という言葉に媒介された換喩的認識が顕著である。
それに対し、内在的三位一体論は歴史内では実現し得ない意味世界に属している。パネンベルクの洞察に従えば、それは終末論的地平に属するのであるが、そこにおいて三位格の交わりは唯一なる神という<類>形成に参与する。つまり、位格それぞれが種から類に向かう概念形成をなし、「神」という一つの像を結ぶのである。これは提喩(シネクドキ)的認識と呼ぶことができるであろう。類は実体としては歴史内に存在しない。しかし、なお類は実感されるのである。なぜなら、それぞれの位格が所有する意味素性は人間の身体を媒介した経綸的三位一体論の体験から供給され、その身体の一体性に対応して世界をできるだけ一体のものとして認識しようとする動機づけが、それぞれの種(位格)の間の共有素性を励起させ、新しい類を実感的に顕現させるからである。
内在的三位一体論と経綸的三位一体論が区別される必然性があったように、現実世界に属する換喩的認識と意味世界に属する提喩的認識は区別して考えられなければならない。しかし、すでに述べたように、この両者は人間の身体を媒介にしてつながっている。そして、認識論的に言うなら、現実世界と意味世界を橋渡しするのは、人間の身体に仲立ちされた隠喩(メタファー)的認識である。そこで、我々は人間の「自然」な認識の一つのモデルとして下図のような認識の三角形を想定することができる45。
隠喩的認識は確かに教父たちの解釈において特徴的である。それをスーザン・A・ハンデルマン(Susan A. Handelman)はラビ的解釈の換喩性と対置させ、また、ユダヤ教とキリスト教の認識論的相違を次のように指摘している。「教会がトーラーの持つ文字通りの意味を否定し、それらを霊的な意味の中に包摂しようとしたとき、ユダヤ人たちは激しく反対した。・・・ユダヤ人にとって本質的な対照は、記号と物の、あるいは、<霊的>と<文字通り>の、神とことばの間の対照ではなかった。それは、神と世界の間の対照であった。ユダヤ人は記号と物との間の、ことばと存在の間の仲介者を必要としなかった。現実はすでに神の言葉に満ちていて、それはことばを持たずに存在しているものではなかった。・・・神を実体として自然の存在領域の中に絶対的に現存するものたらしめようとして、キリスト教徒たちがことばを物化して、受肉を中心的教義にしようとすることになるのは、避けられないことであった。それと同じように、差異が三位一体の概念に、つまり一における三という相対的統一性に包摂されるにつれて、解釈の遊戯(そして差異)は意味の多様化を考慮する代わりに、凍結され、ことばを単一の指示物を持
つ実体に凝固させる試みに転化してしまったのである」46。もしキリスト教的解釈学がイスラエルの伝統から継承すべき換喩的認識をないがしろにしているなら、ハンデルマンの言うように、そこで考察されている「神」という言葉は三位一体論という試みにもかかわらず(あるいは、まさにそのゆえに)、「単一の指示物を持つ実体に凝固」させられていることを認めざるを得ない。しかし、この点に関してパネンベルクはイスラエルからの認識論的伝承を慎重に引き受けている。それは、彼が言葉の付加物として「霊」を想定することを徹底して拒絶している点にも表されている47。我々が換喩や提喩の働きを考慮せずに隠喩を語ろうとするなら、すぐさま「解釈の遊戯」は凍結されるであろう。しかし、三位一体の神を考察するために、上図で示したようにイスラエル的伝承としての換喩性を踏まえ、それとのかかわりの中で提喩的および隠喩的認識に入っていくなら、神は我々によって凝固されるどころか、かえって我々の凍結した認識を融解し、新たな知の沃野を開拓するのである。これまでの考察と先の図は、そのことを指し示している。
我々の身体はそこに張り巡らされた五感をインターフェイスとして、この現実世界と対面している。そして、身体はこの世界と接することにより、歴史内の出来事から新しい言語表現を獲得し、同時にそこに新たな類似性を発見して、意味世界へと向かう。そして、身体を媒介して発見された隠喩的洞察は内なる意味世界と対面するとき、凝固し、凍結した惰性的な意味を活性化し、意味の再配置を行うのである。このようにして創出された新しい「関係の網目」をもって再び世界と対峙し、その網目を通して世界を新たに眺め、新たな世界内身体関係を生み出していく。このような認識論的循環の中に経綸的三位一体論と内在的三位一体論の区別と一致を配置することができるのである。
さらに、上図が示しているように、サベリウス主義とアリウス主義は経綸的三位一体論と内在的三位一体論との間に生起している認識論的循環の網目から抜け落ち、提喩と隠喩を顧慮しない換喩的認識、および換喩と隠喩を顧慮しない提喩的認識の外延にそれぞれ位置づけられる。それは結果的に三位一体論が確保しなければならない具体性と全体性を放棄することになる。それゆえに、これらの教説は異端とされた。それに対し、我々がパネンベルクに導かれながら到達した地平は、三位一体論は具体的な唯一神論であり、教会は三位一体論によって、非三位一体論者から神が唯一であることを守ったという彼の確信48の認識論的構造を明らかにしようとしたのである。
人間の認識は多様であり、一見、無規定であるが、その多様性や無規定性自体がある種の画定領域を持っていることを、我々は換喩と提喩と隠喩の相互関係によって創出される認識論的構造において表現しようとした。三位一体論の統一性が認識と表現の振幅の限界の中で正しく位置づけられるとき、異端という極性に吸収されることなく、その終末論的特性を人間の身体の内外に照射していくのである。しかし、我々が示した三位一体論の認識論的位置づけは、あくまでも暫定的なものである。なぜなら、三位一体的神論に根差した神学的認識が心理学、認知科学、哲学、文化人類学などの諸学と連携しつつ、人間の認識の祖型をかいま見るたびに、繰り返し、新しい意味のパルーシアが期待されるからである。
注
1 W. Pannenberg, Christliche Glaube und Naturverst舅dnis, in: H. Dietzfelbinger/ L. Mohaupt (Hrsg.), Gott - Geist - Materie. Theologie und Naturwissenschaft im Gespr臘h, 1980, 11.
2 1953年から1987年までのパネンベルクの著作リストについては、次の書の巻末を参照せよ。J. Rohls/ G. Wenz (Hrsg.), Vernunft des Glaubens. Wissenschaftliche Theologie und kirchliche Lehre. Festschrift zum 60. Geburtstag von Wolfhart Pannenberg, Gtingen 1988.
3 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, Gtingen 1988, 77.
4 ibid., 87f.
5 E. J■gel, Das Dilemma der nat■lichen Theologie und die Wahrheit ihres Problems. ワberlegungen f■ ein Gespr臘h mit Wolfhart Pannenberg, in: ders., Entsprechungen. Gott - Wahrheit - Mensch. Theologische Erterungen, M■chen 1980, 177.
6 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 120.
7 idem (Anm.152).
8 idem.
9 K. Barth, Kirchliche Dogmatik Ⅳ/3, Z■ich 1959, 154ff.
10 Ders., Kirchliche Dogmatik Ⅲ/3, Z■ich 31979, 55.
11 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 129.
12 ibid., 202ff.
13 ibid., 204.
14 石井裕二、「象徴論と神学」、『基督教研究』第50巻第2号、1989年、16―41頁所収、38頁。
15 P・リクール、『解釈の理論――言述と意味の余剰』(牧内勝訳)、ヨルダン社、1993年、105―106頁。
16 M・エリアーデ、『永遠回帰の神話――祖型と反復』(堀一郎訳)、未来社、1963年、11―12頁。
17 W・パネンベルク編著、『歴史としての啓示』(大木英夫他訳)、聖学院大学出版会、1994年、5頁。W. Pannenberg (hrsg.), Offenbarung als Geschichite, in Verbindung mit R. Rendtorff, U. Wilckens, T. Rendtorff, Gtingen 51982.
18 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 249f.
19 W・パネンベルク編著、『歴史としての啓示』、274―275頁。
20 同上、195―203頁。
21 同上、210―216頁。
22 R. G. Collingwood, The Idea of History, Oxford 1956. R・G・コリングウッド、『歴史の観念』(小松茂夫・三浦修訳)、紀伊國屋書店、1970年。
23 W. Pannenberg, Geschichte/ Geschichtsschreibung/ Geschichtsphilosophie Ⅷ. Systematisch-theologisch, in: TRE 12, 658-674, bes. 667.
24 W・パネンベルク編著、『歴史としての啓示』、204頁。
25 同上、216頁。
26 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 363.
27 ibid., 360.
28 ibid., 216f.
29 ibid., 332f.
30 ibid., 348.
31 J. Moltmann, Trinit舩 und Reich Gottes. Zur Gotteslehre, G■ersloh 31994, 167.
32 ibid., 170.
33 Ders., In der Geschichte des dreieinigen Gottes. Beitr臠e zur trinitarischen Theologie, M■chen 1991, 21.
34 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 353.
35 J. Moltmann, Trinit舩 und Reich Gottes, 199f., cf. ibid., 182, 192.
36 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 347, 353, 362, 364.
37 ibid., 364., Anm. 220.
38 K. Rahner, Mysterium Salutis, in: J. Feiner u. Mrer (hrsg.), Grundri゚ heilsgeschichtlicher Dogmatik, Einsiedeln 1967, 317-401, 328f.
39 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 361.
40 ibid., 360.
41 ibid., 357f.
42 ibid., 348ff.
43 ibid., 352ff.
44 ibid., 352.
45 換喩と提喩と隠喩の区分と相互関係については次の書から多くの示唆を得た。瀬戸賢一、『レトリックの宇宙』、海鳴社、1986年。ただし、歴史的に見ると換喩と提喩の定義はあいまいで不安定なものであった。新修辞学派のグループμは『一般修辞学』(1970年)の中で、隠喩も換喩も提喩に還元されるという極端な主張をなしたが、それを批判して換喩と提喩に関するもっとも信頼できる論を打ち立てたのが、佐藤信夫の『レトリック感覚』(1978年)である。前述の瀬戸はこのような事情を踏まえながら、明確な比喩論を構築している。さらに詳しい経緯に関しては次の書を参照。久米博、『隠喩論――思索と詩作のあいだ』、思潮社、1992年、特に131―139頁。
46 スーザン・A・ハンデルマン、『誰がモーセを殺したか――現代文学理論におけるラビ的解釈の出現』(山形和美訳)、法政大学出版局、1987年、197―198頁。
47 W・パネンベルク編著、『歴史としての啓示』、211―212、236―237頁。
48 W. Pannenberg, Systematische Theologie, Bd. 1, 363f.