研究活動

研究活動

「キリスト教の絶対性解釈の諸問題」、『基督教研究』第54巻第1号

はじめに
 今日の宗教的多元状況の中で、キリスト教の絶対性をめぐる神学的課題はすでに古典的なものとなってしまったかのように思われる。絶対性を要求するということは今日ではどこか全体主義的な響きを持つので、現代社会に適応しそこでの生き残りをかけている宗教が「絶対性」という言葉そのものを前面に出して伝道するということはむしろ稀である。世俗化された世界において「開かれている」ということが大きなセールスポイントの一つなのである。
 しかしながら、現代世界の諸システムは相互に実際どれほどまで「開かれている」のであろうか。二度の世界大戦の後も我々は世界のいたるところで争いのあることを耳にする。米ソの冷戦構造の解消以降、特に戦争の火種となるのはもはや概念的イデオロギーの対立ではなく、より具体性のある民族問題・宗教問題がそのほとんどであるといってもよいであろう。ハンス・キュンクが繰り返し「宗教平和なくして世界平和なし」と主張することは、今日の世界における宗教の役割を的確に捉えている。しかしながら、実際に宗教が問題となるときに相互の主張に対して「開かれている」というのは稀である。逆に、それぞれの宗教的権威に裏付けされた自己主張を押し通そうとするのがもっぱらであり、そのことは我々の社会の中における諸宗教の布教・宣伝活動を観察するだけで十分であろう。

 このような「閉ざされた」宗教の現実を解明するために、宗教の持つ絶対性要求という根源的性向を考察することには大きな意味がある。特にこの絶対性という概念規定はキリスト教神学思想史の中で体系化され、また、近代以降の西欧諸国の植民地主義と共にその構造的力を他のさまざまな宗教・文化に生きる人々も、半ば強制的に体験させられたのであった。結果的にその構造は今日では戦後民主主義の中にも世俗化された形でしっかりと根を張っている。つまり、力による支配構造である。資本主義社会において保証されている自由競争の原理も、一つまちがえれば強者による弱者の支配を正当化することになってしまいかねない。
 キリスト教の絶対性要求の社会学的影響を叙述することが本論文の目的ではない。むしろ、今日の社会的あるいは個人的な危機と不安を神学的に解釈することを目指す。その際問題とすべき危機と不安とは西欧における啓蒙主義以降の歴史を無視することはできず、その歴史過程への問いかけと応答としてのキリスト教の絶対性要求は問題の所在を探る指標としての役割を我々に与えてくれるのである。


Ⅰ.キリスト教の絶対性要求
1.「絶対性」という問題
 「キリスト教の絶対性」はキリスト教が他宗教あるいは非キリスト教世界に対してどれほどの真理主張が可能なのかという問いかけであり、また、それに対する答でもある。具体的には、一連の啓蒙主義の過程の中で顕在化してきた問題である。キリスト教が他の宗教により抑圧されたり、宣教の過程で他の宗教と対話をしたり、それ故に護教論が必要とされるという状況はキリスト教の歴史の中では確かに新しいものではない。しかし、啓蒙期以降の状況は、それ以前とは異なった新しい次元の問題を提示している。つまり、それまで自明とされてきたキリスト教の権威や優越性が、キリスト教自身によって形成されてきた文化の内部から揺るがされてきたという事実である。
 コンスタンティヌス体制以降、啓蒙期にいたるまでの間、キリスト教の絶対性は自明のものとして福音宣教の論理的根拠として機能し、また「キリスト教社会」において時には国家権力の擁護者となり、社会の規範としての役割を果たしてきた。しかし、その絶対性の要求の構造には時代による強調点の移行があり、歴史的に形成されてきたそれらいくつかの類型が共存しているところに、現代社会の一つの特徴がある。キリスト教におけるどのような主題がどのような対象に対して絶対的なものとして主張されてきたのか、キリスト教が異文化および他宗教と接触するときに自らをどのように主張し、位置づけるかという外的関係性は、同時にキリスト教の本質を問う内的関係と表裏一体である。


2.キリスト教の絶対性要求のモデル
 キリスト教と他宗教という構図の中で、これまでも様々な相互関係を記述するためのモデルが考えられてきた。このような状況の中でむやみに新しいモデルを導入することは余り生産的であるとは言えないが、今日の宗教事情に少しでも見通しを与えるようなモデル論にどのような要素が要求されるかを一考してみることは無益ではないであろう。
モデルを作って考察する方法は、個々の事象に意味連関を与えて問題の見通しを良くする反面、意図的な区分・分類によって境界線をはっきりさせすぎてしまう嫌いがある。モデル上で演繹的な論理を展開することは容易になるが、モデルはあくまでも抽出された象徴に過ぎない。つまり、どのような個人あるいはグループも決してひとつの類型に適合することはない。ここではモデルによっていかに歴史的な諸事象を解釈していくかが主眼であるから、単にキリスト教と他宗教の関係性といった抽象論に止まらず、実際のキリスト教の宣教史にも一定の意味を与えることが要求される。

 また、モデルを提示する目的には、単に見通しを良くするということだけでなく、人間の思考枠の限界性を示すということがある。ある一時代を支配したパラダイムが、振り子の揺り戻しのように再び姿を変えて出現するというのは、歴史の中でしばしば見られる事象であり、それがどんなにその特殊性を示そうとも歴史上の相対的存在に過ぎないことが認識されなければならない。モデルによる思考傾向の一般化は、特殊化されたパラダイムが引き起こす悪魔的力の歴史相対的位置関係への見通しを与えるのである。
 H.リチャード・ニーバーはキリストと文化の関係をどう捉えるかという問いに対して五つの類型を示した。彼は異なった社会や時代に現れるこれらの類型が単なる歴史的条件の所産であるよりも、問題そのものの性質の所産であると考えたのである。彼の簡潔な言葉は、我々が扱おうとしているテーマに導入の役を果たしてくれるだろう。「個々の歴史的人物は、彼がその名で呼ばれてきたところの家族よりも、他の家族をいっそう思わせるような特徴を示すでもあろうし、あるいは全く独特で個別的と思われるような特質が現れるでもあろう。しかし、類型学の方法は、歴史的には不十分であるけれども、キリスト者が長い間、自分達の永続的問題と取り組んだその取り組みの中に繰り返し現れる重要ないくつかのモチーフの連続性と意義とに目を向けさせるという利点を持っている
1」。
 ここでは三種類のモデルを提示して問題の見通しを得ることにする。
(1)排他的二元論モデル
このモデルの特徴はキリスト教と他の宗教、あるいは他の哲学的真理、世界観との間に質的な相違・断絶を前提とする。その際、正義と悪、光と闇、生と死といった二元論的区分を強調する表現が好んで用いられる。そして、当然の結果として、キリスト教の絶対性が排他的に主張され、非キリスト教環境世界に対して、その絶対性への服従を要求することになる。
 キリスト教と他宗教との水平的関係の規定は、神の啓示とこの世の宗教との垂直的関係に根ざしており、そこには単純化すれば次のような法則性を見いだすことが出来るであろう。つまり、啓示とキリスト教との垂直的距離が大きければ大きいほど、キリスト教と他宗教との水平的連続性は大きくなる。また逆に、啓示がキリスト教に容易に所有されればされるほど、キリスト教と他宗教との間の溝は深くなる。いずれにしても、啓示概念がこのモデルにおける中心概念としての役割を果たしている。しかし、その啓示が立脚する強調点の相違によって、更に教会中心的な類型とキリスト中心的な類型とに分けられる。宗教改革がこの二つの類型の歴史的分節点に当たるのは明らかである。これによってもたらされたのは絶対性を要求する際の主体の移行である。つまり、主体がキリスト教からキリストへと移し変えられていったのである。しかしながら、絶対性要求の対象としての非キリスト教世界の立場といったものは、やはり二元論的に保持されたままである。教会中心的な排他的二元論モデルとして伝統的なカトリック教会を、キリスト中心的な排他的二元論モデルとしてカール・バルトをそれぞれ例としてあげることができる

だろう。
(2)包括的二元論モデル
 このモデルの特徴は、二元論的な区別とそれが包括的に用いられる点にある。キリスト教と他の宗教との間には基本的な断絶がある。しかし、先の排他的二元論モデルがキリスト教と他宗教との間に静的対立を前提としているのに対して、この包括的二元論モデルにおいて想定される両者の対立は、むしろ動的なものであると言える。つまり、原則的区別は排他性へと直結するのではなく、包括的な上下関係へと置き換えられる。下部には基本的・一般的なものが位置し、それを統括、支配する形で上部には高次・特殊な存在としてのキリスト教が位置するのである。この上下関係は決して対立的なものではなく、弁証法的関係にある相補的な二つの極であると考えられる。その二局構造の具体的表現は聖書中および神学の歴史の随所に見られる。いくつかの例を次に挙げる。非キリスト教世界:キリスト教=一時的:永遠、約束:成就、律法:福音、部分:全体、一般:特殊、自然:超自然、潜在的教会:顕在的教会(パウル・ティリッヒ)、匿名のキリスト者:明瞭なキリスト者(カール・ラーナー)。

 この包括的二元論モデルの例としては、古代のロゴス・スペルマティコス論のほか、トマス・アキナス、カール・ラーナーの理論などをあげることができる。
(3)連続的二元論モデル
 このモデルの特徴は次の二点に要約することができる。第一に、キリスト教と他の宗教・哲学・世界観一般は、基本的には平等の地平に立っており、その間に明かな連続性を認める。第二に、そのような同じ地平の上に立ちながらも、量的・質的な優位性を主張することによってキリスト教の先行性を主張する。しかし、その際に、他の世界観の有効性を否定することはない。このモデルの例としてシュライエルマッハー、ヘーゲルなどをあげることができるが、この流れはトレルチにおいて体系化され、今日のいわゆる宗教対話の神学へと受け継がれていく。
 以上の絶対性要求の諸相はそれぞれの教会論に反映され、それはさらに宣教論へと影響を与えることになる。いずれにしても、絶対性要求の内実としての絶対的諸規範は、この世の現実によっては「変わらない」、「影響されない」、「自己充足的な」原理とされている。こういった諸特徴が伝統的な超越的神概念や真理概念と密接な対応関係を持っていることは言うまでもない。


Ⅱ.神の支配と世界の二元論的支配構造
 これまでの議論において、いずれのモデルにおいても「二元論的」という要素が重要な役割を果たしていることは明白である。それは意図的な解釈に属するよりは、むしろ「絶対性」という概念が内在的に要求している属性の一つと見なすべきであろう。それ以上に、「絶対性」が成立するためには、論理の根底にアプリオリな二元論的区別を設定しておく必然性があると考えることもできる。
 キリスト教においては、絶対性要求の内容的多様性にもかかわらず、その論理を支える超越的論理として、一様に「神の支配」が前提とされてきたのであった。「神の支配」の地上における対応とその地上的展開が「絶対性要求」という内容によって様々に追求されてきたことは、これまで略述してきた通りである。もちろん、「神の支配」に対する解釈が時代的影響のもとにあることは言うまでもない。そして、その「神の支配」は「神の国」という聖書的表象によって、さらに具体的な意味連関を持った。ここでは、その解釈を現代に限定して考え、その後に、それらの解釈を支えてきた思想的影響もあわせて考えていきたい。


1.現代における「神の支配」 ― バルト神学の影響
信仰論との関係をも含めて神の支配、神の国によって包括される事柄を神学的に徹底的に厳密化していったのはカール・バルトであり、彼を抜きにしてはこの事柄を語ることができないほどの影響力を及ぼした。神が神であることとしての神の支配がバルトの教義学の中心的テーマとなり、とりわけ、神の支配にはアナロギーがない、つまり、アナロギーによっては理解することのできないものであることを強調した。ただ信仰によってのみ主なる神について語ることができるのである
2
 バルトにおいてキリスト教の絶対性という概念は用いられない。キリスト教とは区別されたキリスト、すなわち、神の言葉の受肉の出来事に唯一の絶対性の基準を持つからである。しかし同時に、その限りにおいてバルトはキリスト教信仰の普遍性の秘義に関心を寄せ続けるのである
3。この普遍性は神の支配の先鋭化がたどる論理的帰結であるとも言えるが、それはバルトにとってはあくまでもキリスト論的にのみ把握され得る問題である。バルトは和解論の中で、イエスと人間との間の存在論的関連を、教会や宣教や聖餐といった伝統的根拠を越えて、イエスの死人の中からの復活を直接的に指し示すことから根拠付けようとする。つまり、「彼の力と彼の言葉の領域は、まさに彼の復活に根拠付けられた預言者や使徒たちの証言によれば、いずれにしても、彼らの預言や使徒職の領域よりも大きく、ケリュグマ、教義、祭儀の領域よりも、そして、彼の弟子たちにおいて集められ、立てられた、語り、行為する教会の生全体の領域よりもそれは大きいのである4」。イエスの神の国の到来を告げる宣教とそれに続く十字架における死と復活の出来事により、神の支配は一度限りの決定的な形でこの世に対して啓示されたのである。イエスが死人の中からよみがえらせられたという終末論的出来事の持つ存在論的妥当性こそが、バルトにとって、神の支配の妥当性を保証するものであるし、また同時に信仰の客観的側面を指示していくものでもある。このようにキリスト論集中において神の支配を理解することによって、世界とキリスト教との間の抽象的な対立を主張することをバルトは防ごうとする。
以上のように、「絶対性」という概念規定をキリスト教にではなく、キリストにおける神の恵みの絶対性に向けることにより、宗教としてのキリスト教はもはや支配の主体として立つことを止揚され、あくまでも神の支配の対象の一つとして理解されることになった。バルトはキリスト教を「真の宗教」と呼ぶが、それはトレルチの言うようにキリスト教が宗教の最高形態であるからではなく、他宗教と同じく不信仰でありながら、「キリストのみ名」を信じている限りにおいてである。このようなバルトの啓示理解によってキリスト教の絶対性をめぐる問題にも一応の決着がついたかのように見えた。キリスト教の絶対性への問いは、もはや神学の主要課題とはされず、宣教論において取り上げられるだけであった。宣教の神学を構築する場においても、バルトからの直接的な影響を受けたクレーマーの考え方が支配的であったので、他宗教や異文化との接触においても、やはりバルト的な論理の枠の中での議論が大半であった。


2.「神の支配」の変容 ― バルト神学以降
 ところが、第二次世界大戦はその後の世界に全く新しい状況をもたらすことになった。キリスト教国を中心にして世界を巻き込んでいったこの戦争は、キリスト教に対する基本的な不信感を増大させた。日本のように戦後、キリスト教ブームといった形で一時的にせよ肯定的に評価された例が見られないわけではないが、キリスト教が必ずしも平和的な解決をもたらさないこと、それどころか武力行使を正当化するための道具となりかねないことを、この戦争はまざまざと見せつけたのであった。これに呼応するかのように、以前から進んでいた西欧キリスト教諸国の世俗化の動きには一層の拍車がかけられた。そうした一連の戦後社会の変動の中では、バルトの意図がどうであれ、彼の語る啓示神学は、ただ単に偏狭かつ独善的なキリスト教の絶対性要求と受け取られても仕方のない時代状況が支配的になっていくのである。

 バルト神学の棄教者にとっても、バルト神学の無効性を唱えるものにとっても、あるいはバルト神学の妥当性を新しく解釈し直す者にとっても、等しく次の問いを避けて通ることはできない。すなわち、それ自体決して捨て去ることのできないこの世界の世俗性を神学的にいかに受け止めるべきかという問題である。それは同時に、神と世界の接点をどこに根拠付けることができるかという問題に置き換えることができるだろう。たとえキリストの意味と役割を相対化しようとも、ここでもやはりキリスト論との関りを無視することはできない。背面にバルト神学の絶大な影響力を感じ、前方に押し寄せる世俗化と多元化の波を見据えて、戦後の神学はどのような解決策を見出そうとしてきたのだろうか。以下に、ごく簡単にいくつかの対応例を述べる。
1)キリストの徹底的相対化

 世俗化への極端な反応ではあるが、このようなタイプは決して少数派として切り捨てることのできるほどに例外的なものではない。啓蒙主義の思想的系譜の中からの宗教相対主義を志向する発言もあるが、より直接的にはディートリッヒ・ボンヘッファーが投じた影響が大きいと言える。彼が獄中書簡の中でしばしば用いた言葉「成人した世界」は、ボンヘッファー自身の完結した解釈を持たずに、コックス(H.Cox)の『世俗都市』やハミルトン(W.Hamilton)、アルタイザー(T.Altizer)らの、いわゆる「神の死の神学」に大きな刺激を与えたのであった。こういった時代状況の中で模索されたのは、「神なき」、「世俗的」世界を神学的に積極的に評価し、「宗教の時代」が終わりを告げたことを認めながらも、福音をいかに「非宗教的」に宣べ伝えることができるかということであった。教会の社会的影響力の後退にともなうキリスト教に対する悲観的思想が60年代とその後の時代において支配的であったのに対して、今日では、むしろ楽観的な態度へと変容しつつあると言えるだろう。特に、他の諸宗教とキリスト教との対話・折衷を求める、いわゆる「諸宗教の神学」においてその傾向は顕著である。ヒック(J.Hick)、スミス(W.C.Smith)、スウィードラー(L.Swidler)、ニッター(P.Knitter)等、その代表者は数多く存在する。彼らそれぞれの問題の立て方、そのためのパラダイムは各人各様であるとは言うものの、彼らの間には一つの共通した確信があるように思われる。それは、キリスト教のキリスト教社会内における相対的影響力の低下にもかかわらず、キリスト教は他の宗教との対話を進める上で、最も効果的な場の提供をすることができるはずだという確信である5。そのような場においては、真理の多元性・多様性が説かれ、自ずとキリストは相対的な意味においてしか語られ得ないということになる。
2)キリスト論の存在論的神論への包括
 バルトにおいては、イエス・キリストの死と復活という終末論的出来事に救済の根拠が集約され、その限りにおいて救済の存在論的妥当性が求められた。それに対して、神の存在様式を歴史的事実を越えた普遍性の中で記述しようとする神学的潮流がある。例えば、伝統的なロゴス・スペルマティコス論から展開した宗教観に基づいて、他宗教への対応の必要性を説きつつ、キリスト教の絶対性を普遍性と呼びかえたティリッヒはその代表者と言える。ティリッヒの神学の根本命題は、神が「存在そのもの」、「存在の根底 ground of being」であるということである
6。神は存在の根底であり、力であることによって、本質と実存の区別を超越しているのである。彼はキリストの出来事をカイロスとしてとらえるが、彼の神学全体は徹頭徹尾、ギリシア哲学に根ざす存在論的特徴を持つ。そのような立場からバルトに対しては、問いと答えとの間に何の必然的関係も認めず、定立と反定立を共に超越的世界に基礎づけるものであり、したがって、それは弁証法ではなく超自然主義であると批判するのである。
 バルト神学に啓発されながら、しかもバルトとは異なった方向を取っていった代表者としては、身近なところでは滝沢克巳をあげることができるだろう。もちろん直接的には西田哲学からの影響が大きいと言えるが、滝沢がバルトから学んで、それを神学的に展開した一つに「インマヌエル」の概念がある。滝沢にとって、存在の根源である神は同時に「人間と共にいます神」である。この根源的事実を彼は「インマヌエル」と規定し、さらにそのインマヌエルを厳密に区別されるべき二種類のインマヌエルへと区分する。第一義的なインマヌエルは、いかなる歴史的諸条件にも依存せず、全ての人間に無条件に現在するものであり、第二義的なインマヌエルは、イエスの死と復活により、また聖霊の働きによって信仰において現実化するものであるとされる。滝沢によれば、第一義的なインマヌエルの視点からすれば、この世における二元論的区別、つまり、善と悪、正義と不正義、高いものと低いもの、大きいものと小さいもの、さらにはキリスト者と非キリスト者を分け隔てていた質的差異は、意味を持たなくなるという7。インマヌエルという根源的事実はイエス・キリストの中だけでなく、また教会の外においても聞き取ることができるのである。バルトがキリスト論集中という枠組みの中で非常に慎重に語り、理論的な可能性として示唆するにとどまったこと、つまり、キリストは聖書の外においても認識され得るということを、滝沢は彼のインマヌエル神学の中で根拠付けようと試みた。滝沢にとって、啓示をイエスの出来事に排他的に制限しようとする者は、まさしく罪の支配のもとにある。なぜならば、ナザレのイエスを直接的に神格化することは、神によってのみ破られるべき境界を人間の力によって踏み越えようとすることであるからである。滝沢は西田哲学の「絶対矛盾の自己同一」を一つの出発点としながら、西洋の神学、とりわけ、「神の支配」に代表されるアプリオリな二元論的論理構造に対して、仏教思想を媒介にしたアンチテーゼを提示したと言える。それは、若干の修正をともないながら、八木誠一の神学思想の中に継承されていく。
3)神の二元論的支配の内在化
 キリスト教の伝統の中には、形而上学的な教義の構築と神の直接体験を求める神秘主義的な動きとが対のように現れることが多い。プロテスタント正統主義神学をめぐっての教義論争と、その反動として現れた敬虔主義との関係は、その典型例であると言える。戦時中に思想的戦いの武器として有効な力を発揮したバルト神学に対して、戦後の神学思想がいわば、バランスを取るかのような反動を繰り返してきたのは当然の結果であろう。その一つの反動として、キリスト教の影響力の低下に連動するような形で、西欧世界に急速に浸透していったのがオリエンタルな宗教、特に、神秘主義的な要素を持った宗教勢力であった。とりわけ、禅仏教はその実践とともに、カトリックとプロテスタントの両派に少なからぬ思想的影響を与え続けている。

 バルトの神学的主権論を厳しく批判し、神の世界における内在を三一論的に解釈しようとするのはJ.モルトマンである。『創造における神』の中で彼は、ユダヤ神秘主義の「シェキナ(内住)」という言葉を手掛かりにし、その内住の目標は全被造世界を神の家とすることであるという8。神と世界、天と地、魂と身体、男と女といった関係の類比をバルトが神ご自身の中にある支配と服従に出発点を見出そうとすることをモルトマンは批判する。特に、バルトが人間を「身体の魂」と同一視していることに言及して、バルトはプラトン的な魂の優位を維持し、魂の身体に対するデカルト的所有関係を受け入れていると断罪する。モルトマンがバルト的二元論にかわって問題解決の出発点とするのは、「すべての神との類比的関係が三位一体論的相互内在の根源的な交互内住と相互浸透を反映している9」ということである。彼は上述の書の中で、絶対的主体としての神に対応する形で、人間が地の支配者・所有者となるように促す中央集権的神学を止揚して、神は世界において、世界は神においてあるということを生態論的創造論という視点から論証しようと試みるのである。

3.二元論的であることの意味
 無意識的に使用しがちな「二元論」という言葉そのものは、純粋にギリシア哲学に由来する。そのことは、この概念がそもそも聖書的ではないということを意味するものではなく、アドルフ・フォン・ハルナックがいみじくもキリスト教の歴史はヘレニズム化の歴史であると述べたように、「二元論」という概念が聖書内の記事の叙述にとどまらず、後の神学形成に至るまで深く浸透していることを表している。数々の公会議では、極端にギリシア化された思想(例えばグノーシス思想や仮現論など)は排除され、より聖書的なキリスト論、三位一体論が教義として整備されていった。それにもかかわらず、神学一般を叙述する際に現れる「ギリシア的」なものの問題性はどこに求められるべきなのであろうか。
 恒常的存在、永続的存在を確定的に言い表そうとする時、聖書において神に付与される「永遠」という属性を表現しようとする時、それは同じものの永劫回帰の経験において、規則的反復の認識において、没時間的普遍の概念において語られる。それは現状を固定したもの、あるいはある理想に適合すべく定められたものとして規定することにならざるを得ない。二元論的な記述は自ずとそのような前提を要求しているのである。どのような歴史的変容もそこでは、最終的には本質と非本質といった実在論的関係性へと還元され得る点の集合体に過ぎない。したがって、そのような枠組みの中では、トレルチにおいて典型的に観察されるように、歴史的相対主義はいつも前提ならびに帰結として、現在の主体の絶対主義を持っている。確かに史的批判は伝統が持っている力の絶対性要求を解消できるが、現在の絶対主義を解消することには極めて無力である。歴史を顧慮する相対主義と主観的な多元主義とは表裏一体の関係にある
10
 二元論という文脈の中で、キリスト教が具体的な関心を持ちつづけたのは、とりもなおさず神と世界の関係、そして両者を媒介する存在としての教会の位置関係であった。それは単に教理史の中にのみ追求されるべき問題ではなく、むしろキリスト教宣教の歴史においてより生き生きとした形で観察されるだろう。

Ⅲ.宣教に見るキリスト教の自己理解
 そもそも福音の宣教は、原始教団成立の最初期から教会の最も重要な使命であると考えられていた。異邦人伝道の射程はかなり遠くにまで及んだが、その際ローマ帝国によって整備、拡大された様々な流通経路と交通網が伝道経路の中心となったのは言うまでもない。その意味では、初期のキリスト教宣教はローマ帝国の支配圏の中で展開されていたのであり、このことはローマ帝国没落後のヨーロッパ世界とその周辺世界における宣教の範囲をも自ずと規定することになった。そのような過程の中で成立していったキリスト教社会(Corpus Christianum)に対して、宣教の方法論に新しい転換点をもたらしたのは西欧列強による新大陸における支配圏の拡大であった。この植民地主義政策の中に、意識するとしないとにかかわらず、キリスト教宣教は深く関わりを持ち、その新たな出発点となった。聖書時代とその延長における宣教論とは区別される形で「宣教の神学」ということを体系的に考えることができるとすれば、それはこの時からである。

 ここでは、19世紀以降今日に至るまでの宣教論の歴史的変遷を要約して取り上げることにする11。 その前に、カトリックの宣教学者グスタフ・ヴァルネック(Gustav Warneck)の宣教論に少し触れておかねばならない。彼の主著『福音的宣教論』(全5巻、1982~1905年)は第二次世界大戦にいたるまで、ドイツ語圏を越えて、カトリック教会の宣教論全体に大きな影響を与えてきたからである。
 広く共感を得た彼の宣教に対する定義は次の言葉に集約されている。「キリスト教宣教のもとで、我々は非キリスト者の中にキリストの教会を植え付け組織化することに対して向けられた、全キリスト教徒の全体的活動ということを理解する
12」。ヴァルネックによれば、宣教は自分自身にしろ他の教派にしろ、キリスト者に向けられたものではなく、その目的は非キリスト者を改宗させ、洗礼を授けることにある。したがって、キリスト教は「人類の一般宗教となるように定められている13」。 彼は西欧化(Europaisierung)とキリスト教化(Christianisierung)の同一視をはっきりと拒絶するが、彼にとってキリスト教の普遍性は絶えず、問題の中心にある。人類のためのキリスト教であり、キリスト教のための人類なのである14。いずれにせよ、ヴァルネックの宣教論に触発されて、その後様々な視点からの宣教論構築の試みが活発化することになった。以下に、その具体例を述べる。
1.改心モデル(Konversionsmodell)
 このモデルの代表者はヨゼフ・シュミットリン(Joseph Schmidlin)である。彼は、いくつかの強調点の移行をともないながらも、基本的にはヴァルネックを継承する。シュミットリンは、神の国の拡大としての宣教の意義を強調しつつ、同時に、宣教の持つ文化的、道徳的、社会的目的、さらには経済的目的さえも排除しない
15。彼にとって、教会は神の国と同一視されるので、宣教の最終的な目標は非キリスト者を制度化された教会の成員にすることであり、その前段階としての改心を全面的に要求する。
2.植民モデル(Plantationsmodell)
 西欧の植民地主義政策の拡大と共に広く支持されたこの宣教モデルは、もともと、ベルギーのイエズス会司祭ピエール・シャルル(Pierre Charles)によって神学的に整理され、その流れがドイツにおいては「ミュンスター学派」として独自の体系を形作っていくことになった。シャルルは改心モデルと自らの立場とをはっきりと区別し、とりわけ教会を根付かせることを目的にしたので、彼の流れを汲む宣教論は植民理論、あるいは移植理論と呼ばれた。

 この宣教モデルの目的は、教会がまだ目に見える形をとっていない国々において、目に見える教会(sichtbare Kirche)を設立することである。つまり、改心モデルのように魂の救済を目的にするのではなく、それはあくまでも手段に過ぎないのであって、最終的な目標を目に見える教会の拡張に置く。宣教の目的に関する限り、目に見える教会を越えた彼岸的なものは考えられない。なぜならば、教会が伝達する信仰においてこそ、教会の行うサクラメントにおいてこそ、目に見えない教会(unsichtbare Kirche)が伝達されるからである。ここにおいても、教会は神の国としての役割を果たす。

<問題点>
 ヴァルネックの宣教論も含めて、これまで述べてきた二つの宣教モデルは、教会中心的排他的二元論モデルに通じる共通の問題点を内包している。それは、制度化された教会を神の国と同一視しているということだけでなく、他宗教・異文化の中に生きる人間を単に「宣教の対象物」としてしか見ていないということである。したがって、その「所有」に関して、異なる宣教集団が宣教領域の拡大をめぐり直接的な衝突を引き起こしたのは当然のことと言えるだろう。ここでは、教会論の立て方だけでなく、当時の西欧中心主義的な発想も考慮に入れなければならないが、「宣教の対象物」としての人間論が時代的な限定を越えている点を見過ごすわけにはいかない。つまり、こういった宣教理解は今日も頻繁に姿を現しているのである。キリスト教内というよりは、新興宗教に見られる脅迫神経症的な伝道意識にそのような傾向性が強いと言えるかもしれない。いずれにせよ、人間の自然支配から生じてきた人間の主観化、自然の物象化という問題性の一種の逆転現象が、ここに生じている。人間の物象化である。この点においては、マルクスが資本主義に向けた「人間による人間の搾取」という批判がキリスト教宣教にも同様の妥当性を持って迫る。支配する側は一層主観化され、支配される側は、それが自然であれ人間であれ、物象化を強いられるという構図が厳然と存在しているのである。そして、その危険性はキリスト教という特定宗教の歴史的枠組みを越えて、あらゆる宗教がすでに内在的に有している危険性であると言える。
3.救済史的モデル(Heilsgeschichtliches Modell)
 第二次世界大戦がもたらした政治的、精神的変動はそれまでの宣教論にも大きな変革の必要性を促すことになった。そのような戦後の宣教活動の中で今日に至るまで広く支持されているのが、この救済史的な宣教モデルである。この宣教論の釈義的な根拠付けはオスカー・クルマンの働きに負うところが大きい
16。クルマンにとっては、一般的な神論は第一義的な問題ではなく、もっぱらその関心は救済史そのものに向けられる。彼にとっては救済史自体が信仰の対象なのである。そしてその救済史の収斂点はキリストの出来事であり、彼は徹底したキリスト論中心の宣教理解・聖書解釈を示す17。キリストによってのみ救済史は根拠を与えられるのであり、歴史の意味はキリスト教社会の進歩的拡大として説明される。
このような救済史的宣教モデルの流れの中に1952年、ヴィリンゲン(Willingen)で開催された世界宣教会議において、カール・ハルテンシュタイン(Karl Hartenstein)によって一つの新しい概念が導入され、広範囲にわたる関心を集めることになった。「神の宣教(Missio Dei)」である。この概念は特にゲオルク・ヴィスドム(Georg F. Vicedom)によって神学的に整備された。彼は宣教を神の業として捉える。「神が主であり、使命の委託者であり、所有者であり、実行者である。神が宣教の行為する主体なのである18」。「神の宣教」の目的は人類を神の国へと招き入れることであるが、神の国をもたらすのは神ご自身である。「宣教は、天に挙げられた主が人々の中にある主の教会を用いて働かれることにより、救済史を継続していくことに他ならない19」。「神の宣教」という考え方は、救済史的宣教論の中で誕生し、その中で新しい方向付けを与えてきたが、教会と世界の関係をめぐる問題などに端を発し、次第に独自の歩みをしていくようになる。
4.終末論的モデル(Eschatologisches Modell)
 このモデルの中で、「神の宣教」という概念は「世界」との関係において徹底的に書き換えられることになる。終末論的宣教モデルは神の自己伝達の普遍的意味を問うことから出発し、「神の宣教」の世界との関係性を中心的なテーマとして取り上げる。救済史的モデルで教会が神の働きをこの世に媒介するものとして理解され、「神―教会―世界」という順序が前提にされていたのに対して、このモデルでは「神―世界―教会」という順序が重要視される。宣教は教会の一機能ではなく、教会が宣教の一機能とされる。「他者のための教会(Kirche fur andere)」というボンヘッッファーの言葉がこの宣教論の信奉者たちによって好んで唱えられた所以である。
 さらに、このモデルでは神のキリストにおける自己啓示を終末論的歴史理解へと展開していく。キリストの復活と高挙とは、キリストがこの世に遣わされたことを終末論的出来事として捉えるべきことを指し示していると考える。しかし、ここでの「神の宣教」は神の子の派遣という特別な救済史的出来事だけでなく、世界の創造から終末論的成就に至る神の救済行為の全体を包括しようとする。この宣教モデルでは終末論がキリストの啓示の基本的内容とされるのである。


<戦後の宣教モデルの教義学的争点>
 戦後における宣教論はカトリック側とプロテスタント側に多少の強調点のずれがあるとは言え、基本的にはこれまで述べてきた救済史的モデルと終末論的モデルとの間の論争を中心に展開していると言えるだろう
20。終末論的モデルはプロテスタントの側では「社会的福音」的に解釈され、またカトリックの側では極端な形では解放の神学の実践という形で展開され、救済史的宣教モデルの立場とは一層対立的な態度を示しているかのようである。ここで二者のうちのどちらが神学的に正統的かを判断することは意味がないばかりでなく、危険でさえある。もし決定的な結論を追求し得ると錯覚するならば、それぞれの立場が持つ長所さえもデモーニッシュな力として機能するであろう。したがって、ここでは二つの宣教モデルそのものの絶対評価というよりは、むしろその教義学的背景を探ることによって、それぞれの宣教モデルとその間にある中間スペクトル的な広がりを考慮していきたい。
 宣教論の構築においては包括的な神論の展開が重要課題とされるのではなく、キリスト教の神論が実際の宣教においてどのような発言力を持つかということが問題とされる。両モデルにとって、特に「神の宣教」は特別重要な役割を果たしてきたが、その言葉のもとで何がどのように理解されるかは一様ではなく、救済史的モデルではキリスト論的な解釈が中心になり、他方、終末論的モデルでは、より聖霊論的な理解がなされる。例えば、救済史的モデルが宣教の起源と根拠を問い、キリストの出来事からのみ教会を理解しようとするのに対して、終末論的モデルはキリストの派遣の意味と目的を問い、キリストにおける世界の終末論的将来という視点から教会の宣教を記述する。いずれにしても、「神の宣教」という概念のもとで、神がこの世界に対して、いかにご自身を向けられるのかということ Weltzuwendung Gottes が最も問われるべき争点であろう。
 終末論的モデルにおけるキーワード、Weltzuwendung Gottesという表現は、救済史的モデルの立場からはあまりにも一般的過ぎ、あまりにも救いという事柄に対して楽観的過ぎると考えられる。神と世界の関係性をその根本的な相違に対して優先的に解釈し過ぎているからである。ヴィスドムは世界を「神の対向(das Gegenuber Gottes)」と見なした21。そのことによって表現しようとしたことは、神は世界と厳密に区別されねばならないこと、そして、決して世界に依存的に考えられてはならないということであり、しかし同時に、世界創造への神の自由な決断によって、世界を神と区別するまさにその点において、一つの対応関係(Entsprechung)が与えられているということである。しかしながら、この神と世界の「対向」も人間の罪によって全く回復不可能なまでに破壊されてしまった。「相互関係的な対向は人間によって敵対的な対向になってしまった22」。それ以来、人間はイエス・キリストにおける神の新しい対向無しには救いを得ることができなくなってしまった。つまり、人間の罪によりキリストの出来事が救済史的に必要不可欠なものとなったのである。キリストにおけるこの新しい救済の出来事は、その救いを
人間に伝達することのできる歴史的な実体、すなわち、教会と不可分な関係にあると考えられる。救済史的モデルによれば、神が世界に向いておられるということは、キリストの救済行為と、そして教会の宣教的行為と同一の事柄である。したがって、「神の宣教」は世界を始めから全体的に包括しているというのではなく、それは世界の中に一つの特別な救いの可能性を根拠付け、その可能性が受け止められたところで派遣の出来事としての一つの特別な救済史を生起させるのである。そこでは教会の宣教(missio ecclesiae)は「神の宣教」の現実態として理解される。
 それに対して、終末論的宣教モデルでは「神の宣教」は神が世界に向いておられる事実として、より包括的に理解される。「神の宣教」は「教会の宣教」に置き換えることのできるものではなく、「神の宣教」そのものがこの宣教モデルの原型であり、内容なのである。そこでは、「神の宣教」ということによって教会の根拠付けや自己規定が与えられるのではなく、あくまでも神と世界との関係が問題の中心とされる。したがって、教会の行為はそれぞれ人間の固有の状況に従って決定されるものでなければならない。神が世界に向いておられるという認識は、存在論的な側面からのみ理解されるべきではなく、むしろ世界における神の救済の行為として把握されるべきであり、それは形而上学的な救済ではなく、教会と世界とをともに内包する具体的な歴史的救済行為なのである。そして、その世界の未来は終末論的出来事として、神の絶えざる創造的行為の包括のもとにあるのである。つまり、世界は終末論的未来に向かって絶えず創造的に変革されていくのであり、世界の終末論的完成の時まで世界の「世俗性」は神学的に新しい積極的な意味を与えられることになる。この宣教論の流れの中から、ヨハン・バプテスト・メッツ(Johann Baptist Metz)らの政治神学に合流する者たちが現れてきたのも、当然の帰結である。この世において行為する神を論理の根幹とすることがこの宣教モデルの最大の特徴であるが、同時にそこには指摘されるべき問題点が含まれている。神がこの世界に現在し、行為しておられるということを正しく指し示す基準は一体どこにあるのか。神がこの世界に向いておられるという確信そのものからは、具体的な歴史現象を判断するための尺度は何ら自動的には生じて来ないのである。
 二つの宣教モデルにおいて教会が果たすべき役割の相違は明らかである。しかし、その基底にある神と世界の関係を支える創造信仰には次のような共通の発想がある。一方で、被造物としての世界はその起源から神に絶対的に依存して成立している。他方、被造物である世界は創造者なる神との差異性の故に、一見自立した形態を持っている。この関係は神論における次のような問題提起に対応している。すなわち、世界は人格的存在としての神と関りを持つ、しかし他方では、神は世界に依存する存在では決してない。神論においても、このようなパラドックスを解決するために様々な考えが提示されてきた
23。同様に、宣教の世界においても神と世界との微妙なバランスに整合性を与えようとして、世界の自律と他律の間に教会の機能を割り込ませようと試みてきたのであった。

Ⅳ.絶対性のリハビリテーション
 リハビリテーションの対象となるのは無論、キリスト教だけでない。これまでキリスト教の神学思想史、宣教史を通じてその絶対性解釈の諸相を見てきたが、宗教的なるもの一般がその論理的帰結として要求する絶対性の問題がデモーニッシュな力として働き始めるならば、それらはすべて批判的検討の対象とされるべきなのである。リハビリテーションという言葉は、信仰が正当に要求する絶対的なるものへの回帰を相対主義の地平へと葬り去ることを決して意図するものではない。また、現代社会に理想的な宗教像を想定して、それにふさわしく社会復帰させることを目的としているわけでもない。ここでは、新しい関係性の創造ということが最大の関心事である。創造と言う以上、それは過去の関係性の修復へと後戻りすることを許さず、かつ、その関係の規範は絶対性の根拠との関りの中で問われる。他宗教あるいは社会との関係性を固有の宗教性の中でいかに創造的に発展させていくことができるかという課題を、絶対性の根拠との関係において問う問題である。絶対性要求が個人的関心事へと解消されることによって、宗教そのものが持つ連帯へのダイナミズムが放棄されてしまっては、今日我々の世界が抱える多くの問題は永遠に解決されないものとなってしまうだろう。

1.宗教対話は可能か?
 今日では、かなり多くの神学者、宗教学者が宗教対話の問題に積極的な関心を寄せている。しかし、実際の対話の目的、その方法論といった問題に関しては、非常に類似した発言が繰り返されているようである。概観すると、それらは西欧の民主主義的ルールを宗教の持つ事情に対応させて理想化したに過ぎない。すべての宗教が民主主義社会の良識的なメンバーとなることを呼び掛けているに過ぎないのである。対話の目的は相互に学び合い、自らをよりよく知ることであり、対話においては相互の同等な立場を尊重して、誠意ある信仰の告白の内に相互の信頼関係を作っていくといった最大公約数的な発言がその中心を占めている。
 ナイーブな議論の中で真剣に宗教対話を試みようとするならば、見過ごしにできない二つの問題がある。第一には、宗教概念のあいまい化が引き起こす問題である。かつてのようにキリスト教を一般化することによって抽出される宗教概念は、それに構造的に対応するような宗教に対しては比較宗教学的見地から多少なりとも評価されようが、今日、問題となっているのはそのような宗教概念では把握困難な宗教現象なのである。マルクス主義のような擬似宗教、世俗化された伝統宗教、さらに百花繚乱の新興諸宗教などはまさしく従来の既成宗教概念に対するアンチテーゼとして出現してきた。それらは、確かに社会の周辺的存在であることによって、伝統的な宗教的通念に対する不満や、その問題点を如実に表現している。このような状況の中で、仮にキリスト教と仏教の間の宗教対話がなされたとしても、その成果がどれほど世間の宗教的欲求を満たすことができるのか疑問である。そもそも、「キリスト教」や「仏教」という一般名称が対話そのものを宗教の具体的個別的信仰から隔離させ、あたかも「キリスト教」、「仏教」という最大公約数を実際に信仰の対象としている人がいるかのような幻想の中で対話が進められがちである。ではそれに対して、あらゆる個別的な宗教体験とその集団を対話の対象とすべきなのであろうか。もし、あらゆる宗教体験が究極的には唯一なる絶対的存在者に由来するのだとして肯定化されるならば、それも可能であろう。しかし、人類の歴史は宗教的なものが必ずしも一つなるものに由来し、一つなる結果をもたらすということがないことを教えている。つまり、善悪の究極的な区別を人間が判断することが不可能であるにしても、やはり宗教的なるものが潜在的に持つ悪魔的力を等閑に付すことはできない。対話の対象として、宗教と名の付くものが一律に同じ平面に並べられることの危険性がここにある。以上、第一の問題は次のように要約できる。果たして、真に宗教的な体験と幻想的、あるいは悪魔的な宗教体験とを区別することは可能なのか。もし可能であるとするならば、その基準は何であるのか。

 第二の問題は宗教的内容の問題、ここではキリスト教の福音の内容的問題である。一体、キリスト教をどのようなものとして諸宗教の前に立たせることができるのだろうか。イエスの時代において福音宣教の当然のメディアとされてきたもの(言語、文化コード、宣教方法など)は、今日ではそのままの形では本来的なイエスの使信の理解を妨げることになるだろう。では、我々はどのようにして時代的制約を受けたものの中から、時間に依存しない本来的なものを取り出すことができるのか。つまり、第二の問題は、本質的なものと非本質的なものとを区別することが可能なのかということである。そして、もし可能であるとするならば、今日の我々はどのような基準を持って、諸宗教の前にキリスト教のアイデンティティを形成すべきなのであろうか。
 支配力低下の不安の中で、キリスト教が宗教対話のリーダーとなることを執拗に欲するのは未だ脱し切れない絶対性要求へのコンプレックスを予感させる。真理への問い(Wahrheitsfrage)の一環として、キリスト教が他宗教と対話を推進し、その中でそれぞれの信仰の告白や教理体系の比較などがなされるのは好ましいことである。しかし、それが先に述べた二つの問題を全く無視してなされたとするならば、いかに対話の当事者同士が意気投合したとしても、その対話の成果は社会一般と、そしてそれぞれの宗教の一般信者とは、何の関りも持たないことになるであろう。宗教の社会性と具体的信仰の深化にフィードバックされないような対話は早晩、その深層部にキリスト教の絶対性要求が潜んでいることが明らかにされることが予測される。その意味で、宗教対話そのものが無条件に絶対性要求のリハビリテーションとなるとは考えることができないのである。

 それでは、先の問題をそれぞれ、宗教の本質、キリスト教の本質を問う問題に還元して、いわゆる本質論というパラダイムの中で追求してゆくべきなのであろうか。ここに宗教対話の一つの大きなジレンマがある。確かに、区別されねばならない事柄がある。しかし、それが従来の意味における本質論として扱われるならば、ギリシア的存在論に基づいて、永遠で不変的と考えられるものが本質とされ、時間的な影響を受けるとされるものが非本質と規定されるのが自然な帰結である。対話を絶対性の要求にではなく、社会と個人的信仰への関係性に導こうとして立てられた条件が、またしても絶対性要求の下地を作ることになってしまうのだろうか。
 絶対性要求を断ち切るための区別と存在論的二元論への誘惑との間にあるジレンマは、再び、神が世界に向いておられるという事柄をいかにとらえるかという問題に収斂されるだろう。このジレンマは神が世界との関りを歴史内在的になされるのか、あるいは歴史介入的になされるのかという緊張関係に対応しているからである。キリスト教と他宗教との対話可能性への問いに喚起されたこれらの問題は、キリスト教教義学内の一つの課題として取り上げられることはもちろん妥当なことだが、もはや、内在にしろ、介入にしろ、全世界に対して行為される神はキリスト教神学の認識の外側に立っておられるかもしれないという可能性に関しても、同時に配慮がなされなければならない。このことは、教会がその内的秩序の充足とその延長・拡大に聖なるものの顕現を見ようとすることが同様の限界性にさらされていることを意味する。折りしも今日、人類にとっての問題は地球規模の脅威として把握されねばならないことが少なくない。世界の一体性はもはや形而上学的な思弁の対象ではなく、人類の実存的な問題である。


2.新しい倫理学の基礎付け ― 不動の神と変わり果てる神
 これまで世界のそれぞれの文化圏の中で人間の行動様式に一定の意味を与え、倫理的規範を基礎付けてきたことにおいては、その文化に根差した宗教の働きが大きいと言えるだろう。無論、今日も依然変わらず固有の宗教が強い倫理的強制力を持つ地域が多くある。しかしながら、西欧社会を先頭にして、世界の全体的趨勢は宗教の社会的影響力の低下にともなう、倫理的規範の根拠喪失の方向へと向かっている。民主主義はかつての宗教の果たしてきた役割を同じ様に担うことは決してできない。なぜならば、民主主義が価値中立的原則に立つ以上、法的には何ら倫理的価値基準を定めることができないからである。ここに民主主義の制度としてのジレンマがある。
 ここで言う宗教の社会的影響力の低下とは、一つの宗教がもはや社会全体を一元的に統括することが不可能になってきたということであって、決して宗教への個人的および社会的関心が喪失されつつあるということではない。しかし、宗教的関心が非常に多様化していることは事実である。その背景には宗教的パラディグマの混在が指摘されねばならない。自然科学の世界においては、パラディグマの変換は古いパラディグマの廃棄の上に新しいパラディグマが積み重ねられていくのが常である。例えば、プトレマイオスの宇宙観とコペルニクスの宇宙観とは根本的に両立し得ない。宗教の世界においては、様々な形での宗教改革運動、刷新運動によるパラディグマの変換の後も、新旧のパラディグマが対立しながら併存するという経過をたどる
24。さらに、それぞれのパラディグマが宗教的需要に応じた小さな変形を生み出していく。いわゆる宗教多元化状況が生じるわけだが、そこにおける価値観の相似性は宗派間、宗教間の社会的連帯をもたらさず、むしろ近親憎悪という形を取って宗教紛争を引き起こすことが少なくない。もちろん、一口に宗教多元主義と言っても、西欧のような激しい宗教戦争があった場合と、日本のように
多くの宗教、宗派が比較的穏やかに共存してきた場合とは区別されなければならないが25 、信仰の相違によって「世界」は分節化された対象物と見なされ、その割り当てられた分節の拡大が宣教の目的とされてきたことは宗教史一般の現実である。
 このような宗教事情の中で、宗教は何ができるかということがあらためて問われなければならない。行動において宗教は協力的な働きをすることができるという発言は特に宣教の現場から、しばしば聞くことができる。キリスト教がそのための指導的役割を果たすことは可能だろうが、キリスト教ベースの行動規範に他の宗教を取り込んでいこうとする誘惑には注意が必要である。どんなに倫理的に正しいと思う行為も人間の高慢の罪から逃れることはできないからである。かえって、教会は人間と世界とが自律的なシステムを持ちながらも、その自律が最終的に完結したものでないことを語らなければならない。

 これまでの議論の結論として最後に問われるべき問題は、それ自身決して止揚することのできない信仰的確信における絶対性の問題である。絶対性の確認の方向性に三種類のあり方が考えられることはすでに述べた。それらはいずれも超越的神概念や永遠といった諸相と深い関係を持ち、「変わらない」原理としての絶対性が教会、キリスト、宗教的本質などの諸要素の中から選択され、絶対性の確認作業のための基準とされる。それぞれの絶対性要求のモデルが自己完結的な論理を持っており、それは選択された宗教的表象が、神の顕現を反復可能なもの、再現性のあるものとして表現することを可能にする。このことは宗教がこの地上において組織化されていく上で欠くことのできない内的システムである。しかし、いくつかの宣教モデルにおいて如実に観察されたように、閉ざされた内的システムは容易に自己神格化、自己正当化の誘惑に陥りやすい。そのような宗教システムが持つ世界との外的関係性はその内的関係性における二元論的特徴を反映することになる。
 我々は歴史を後戻りする形で関係性の回復点を求めることはできない。キリスト教と他の諸宗教、あるいは社会全体との関りは、絶対性要求によって引き起こされた破れの修復の上に立てることはできないのである。新しい関係性が回復ではなく創造としてとらえられるならば、絶対性要求もその止揚や折衷、相対化が求められるべきではなく、むしろその絶対性の貫徹が要請される。このことが問題の最大の焦点である。
 自己正当化することなく絶対性を貫徹する論理は、すでに述べた絶対性要求モデルの問題点を顧慮しながら、それらとは違った方向性において求められなければならない。それは繰り返し語られてきた「神が世界に向いておられる」という事柄をどのように認識するかにかかっているように思われる。今日の宗教対話の推進者たちの関心事はもっぱらキリスト論をいかに相対化するかということにある。つまり、彼らにとって十字架につけられた神、イエス・キリストを論理の中心に定めることは対話の障害になりかねないのである。宣教論の中で「神の宣教」がもてはやされた背景にもキリスト論の相対化という伏線をうかがうことができる。そのような中で、神が世界に向いておられるということが語られても、我々は倣うべき神の姿をこの世界において見定めることは極めて困難であると言わざるを得ない。

 ここで、我々は絶対性要求の止揚としてキリスト論の相対化を求めるのではなく、かえって、絶対性要求の貫徹としてキリスト論への集中を求める。しかし、それはバルトの神学的主権論のようにではなく、神がこの世界に向いておられることの内的必然性をキリストの苦難と死に見る。イスラエルが神との契約において見る神は「約束」する神である。その約束は、先祖たちが結んだ契約の日から人類の終末に至るまで神がイスラエルとともにいることの約束であり、イスラエルが受ける苦難を神がともに引き受けることの決断である。したがって、仮に神が世界に向いておられるということによって、神が世界を変革する力として理解されようとも、その前に、神ご自身が世界の時間的限界の中へとその身を明け渡されているという神の苦難の先行性が指摘されなければならない。イスラエルの歴史にもし超越や絶対性という概念の対応を求めるとするならば、それは約束の成就を身をもって貫徹しようとする神の絶対的な誠実である。その神の姿を旧約聖書は神と預言者とのやり取りの中に映し出す。神は永遠の天上的領域に住む絶対者として預言者に命令を下し、預言者がそれに服することによって神の救済摂理が明らかにされるということを旧約聖書は表現しようとしているのではなく、神の言葉に反抗・応答しながら苦難の中で様々に移りゆく預言者の生き様こそが、徹底して変わりゆく神の姿を映し出しているのである。そして、その神の誠実はイエスの生涯における苦難と十字架の死において最も先鋭化された形で貫徹される。まさにこの点において我々は絶対性の貫徹を求める。我々が絶対性を主張し得るとするならば、イエスの苦難と死に表された神の絶対的誠実に対応する限りにおいてである。それは我々の自己完結的絶対性要求を根本的に破棄することを要求するとともに、神と人との連帯が苦難の共同体として理解されるべきことを指し示している。神の苦難に対応するアナロジーとしてのみ、人間は世界において先行する神の行為に追従していくことが許され、そして、世界の変革について語ることができるのである。

3.苦難のアナロジー
 キリスト教が長い歴史の中で構築してきた絶対性要求は簡単には解消されるものではない。しかも、それが宗教の世界の内部的要求にとどまらず、少なからず、近代社会の構成原理に影響を及ぼしてきたのであり、それは現在もなお世俗化された形で存続している。支配と服従の二元論的関係の間には、交流と共感の憂慮すべき不在がある。例えば、その関係は現代の世界においては人類と自然環境の問題としてクローズ・アップされてきている。全く搾取の対象物に過ぎなかった自然世界に対して、人間はその自然の朽ちつつある痛みを共感することなど到底考えることができなかった。自然は人間に対しては一方的な供給者に過ぎなかったのである。神学においても事情は変わらず、自然の中に神の痕跡を見ようとする努力はいつの時代も続けられてきたが、自然そのものを独立して配慮の対象とすることはなかった。

 さらに、内なる自然としての身体関係にも同様の問題が指摘される。分節化された人間理解によれば、身体は魂によって支配されるべきものとして下位に位置付けられる。身体の苦悩、身体の障害、身体の老化、そして身体の死は、二次的な問題としてしか扱われてこなかったのである。究極的な魂の救済の約束の前に、地上における身体性は「過ぎ去るもの」としての役割を演じてきただけであった。もし、宗教が魂の占有物となるならば、死にいたるまで持ち続けねばならない身体の意味は一体どこにあるのだろうか。身体をも含めた自然の緩慢な死に対する人間の無関心が増大し続けるならば、一体どこに蘇生と転換の時を見出すことができるのだろうか。
 絶対性要求の中で、苦難や死といった時間的虚無性から隔離されてきた神概念は、これらの問題を無視することはできても、その問題への積極的な関りを生み出すことは困難であった。我々が絶対性の根拠とすべき苦難のアナロジー(analogia passionis)は苦難と死においてこそ変革と創造の力があるということを指し示す。神が十字架の死に至るまで変わり果てられる決断をなされたことは、復活の光の中で、我々にその誠実の中へと連帯する責任を喚起するのである。

 強者が弱者を支配するという力による支配構造が、これまでの絶対性要求の世俗化された結果である。これに対し、苦難のアナロジーが要求する絶対性は弱いところにこそ完全にあらわれる力(第二コリント12:9)である。パウロが自分の弱さを誇り、弱い時にこそ強いのであると告白する時、パウロはキリストの力が苦難の共同を通じて生起することを認識している。パウロの異邦人伝道がその苦難の共同体の形成のために向けられたからこそ、彼にとっての宣教はキリストの十字架を宣べ伝える以外には考えられなかったのである。キリストの苦難への集中は神の救済の普遍性を根拠付ける。しかし、それは包括的二元論モデルやそれを根拠とした宣教論において見られたような、存在論的に保証された普遍性とは厳密に区別される必要がある。神が人間との間に取り交わされた救いの約束は自動的にある時点において執行された、あるいは、されるというものではなく、神の愛の真実が苦難を通じて貫徹されることによって、人間によって定められた聖俗の境界をまさに踏み越えていくのである。それは人間との真実の交わりを生起させる超越である。その意味において、絶対性要求は決して自己完結的には完成されず、むしろキリストの苦難が交わりにおける誠実を信仰において要求する以上、それは本質的に他者完結的な方向性を持っていると結論づけざるを得ないのである。


1  Niebuhr,H.R., Christ and Culture, New York, 1951, p.44. 
2  Barth,K., Kirchliche Dogmatik, Munchen, 1932-1967, Ⅱ/1, S.83. 
3  この点におけるバルト解釈については次の書のエピレゴメナが示唆的である。 
  Jungel,E., Gottes Sein ist im Werden, Tubingen, 19763 . 
4  Barth,K., a.a.O., Ⅳ/3, S.130. 
5 このような神学に対して、モルトマンはそれがなおも帝国主義的な性格を引きずっており、一切のお膳立て無しに諸宗教は直接的な出会いをなすべきであると言う。キリスト教が提示するような対話のルールに従って、そこに参加してくる宗教と一
体、対話する価値があるのだろうかと問うのである。
  Moltmann,J., Art."Dient die'pluralistische Theologie'dem Dialog der Weltreligionen?"in: Evangelische Theologie 49, 1989, S.531. 
6  Tillich,P., Systematic Theology, Vol.1, Chicago, 1951, pp.235ff. 
7  Takizawa,K., Reflexionen uber die universale Grundlage von Buddhismus und Christentum, 1980, S.161. 

8  J.モルトマン, 『創造における神』(沖野政弘訳),新教出版, 1991, p.3. 
9  同書, p.40. 
10 同書, p.200. 
11 宣教論の枠組みに関しては次のものを参考にした。 
  Muller,K., Missionstheologie. Eine Einfuhrung, Berlin, 1985. 
  Sundermeier,Theo, Art."Theologie der Mission" in: K.Muller, T.Sundermeier(hrsg.), Lexikon missionstheologischer Grundbegriffe, Berlin, 1985, S.470-495. 
12 Warneck,G., Evangelische Missionslehre, Gotha, 1892-1905, 1.Bd, S.1. 
13 Ebd., S.96. 
14 Ebd., S.319. 
15 Schmidlin,J., Katholische Missionslehre im Grundri , Munster, 19232, S.40. 
16 とりわけ、クルマンの次の著書は救済史的モデルの思想的な出発点を与えた。 
  Cullmann,O., Christus und die Zeit, Zollikon/Zurich, 19623. 
17 クルマンは、新約聖書は徹頭徹尾、キリスト論的な記事しか知らないと語る。 
Ebd., S.109. 
Ders., Die Christologie des Neuen Testaments, Tubingen 19582, S.2f. 
18 Vicedom,G.F., Missio Dei, Munchen, 19602, S.12f. 

19 Ebd., S.38. 
20 この二つの宣教モデルの諸特徴を、いくつかの宣教上の中心概念によって比較検討した論文として次のものがある。 
  Kramm,T., Analyse und Bewahrung theologischer Modelle zur Begrundung der Mission, Dusseldorf, 1978. 
21 Vicedom,G.F., a.a.O., S.18. 
22 Ebd., S.19. 
23 例えば、ユンゲルはH.ゴルヴィッツアーのこのパラドックスの解釈を取り上げながら、さらに三一論的視点から神の自己関係と神の世界との関係を「神の存在は生成においてある」という概念へと統合していく。 
  Jungel,E., a.a.O., bes. S.101ff. 
24 Kung,H., Projekt Weltethos, Munchen, 1990, S.157f. 
25 Moltmann,J., Art."Dient die'pluralistische Theologie'dem Dialog der Weltreligionen?"in: Evangelische Theologie 49, 1989, S.530f.