今日は、国際ワークショップの二日目のプログラムが行われました。午前中は、ヨーロッパにおけるユダヤ教の問題、特に反ユダヤ主義についてのセッションが行われ、午後には、「ヨーロッパはなおキリスト教世界なのか」というテーマでのセッションが行われました(私は司会を務めました)。
今日は、たまたま同志社のリユニオンの日と重なり、国際ワークショップの会場となっていた新島会館の隣にある新島旧邸には、たくさんの人が訪れていました。
私もお昼の休憩時間を利用して、かなり久しぶりに新島旧邸を見学しました。右の写真は、新島襄が使っていた机です。
二日間のワークショップを通じて、ある程度わかっていたつもりになっていたヨーロッパに対して、認識を新たにされたり、思っていた以上に複雑な事情を抱えていることを痛感させられました。
EUの今後について考えてみても、前途多難とも言えますし、壮大な実験を行っているという意味での期待感もあります。
ヨーロッパが「ポスト・キリスト教時代」に入っているということは、十分に認識できました。しかし、それが宗教的な多元性の拡大や、イスラームをはじめとする信仰覚醒運動などと密接に結びついていますので、宗教の問題を抜きにして、ヨーロッパが抱える問題の深部を理解することはできません。
内藤先生がふと口にした「ヨーロッパは、なぜ他者を差別(※反ユダヤ主義やイスラム嫌悪感情等のこと)することによってしか、自己規定できないのだろうか」という、ある種のいらだちを含んだ発言を重く受けとめました。これは、ヨーロッパに限定される問題ではないにしても、その問題性を如実に語る数々のヨーロッパの事例に学びながら、我々の教訓にしていかなければならないと感じました。