今日は、京田辺キャンパスで、JR脱線事故と福島でのバス事故の犠牲者のための「祈りと黙想の集い」を担当しました。
空は雲一つなく晴れ渡り、木々の緑がまぶしいばかりに映えるキャンパスの中央で、その雰囲気を謳歌するかのごとく闊歩する学生たちを横目に見ながら、犠牲者の方々をおぼえて祈る、というのは、ひとしお、生と死のコントラストを考えさせられる時間でもありました。
1ヶ月の節目などにはたくさんの学生が参列したことが新聞等でも報じられていましたが、普段の参加者は、さほど多くはないとのことです。今日の参加者もごくわずかでした。しかし、人数の多少に関わらず、こうした祈りの時間が持たれているというのは、同志社らしい、よいことだと思います。
木曜日は、京田辺キャンパスで、同志社科目「建学の精神とキリスト教」を担当しているのですが、同志社の歴史に関しては専門外なので、毎回の準備は大変です。ほぼ毎回、徹夜に近い状態で準備をし、朝を迎えるたびに、来週はもう少し早めに準備しようと固く心に誓うのですが、なかなかそうもいきません。
しかし、辛いながらも、学ぶことは多く、発見の連続です。今日は、デイヴィスやラーネッドら新島と共に初期の同志社を支えた宣教師たちについて話しましたが、この時代の人たちの偉大さには脱帽です。徳富蘇峰ら、「熊本バンド」と呼ばれた学生たちの活躍ぶりも目を見張るものがあります。
最後に、デイヴィス記念講堂、ラーネッド図書館に刻まれた、彼らの言葉を記しておきます。
Davis, "My life is my message."
「我が人生が我が遺言」
Larned, "Learn to live, live to learn."
「生きるために学べ、学ぶために生きよ」
彼らの人生と照らし合わせて、これらの言葉に向き合うと、かなりガツンときます。学生たちにも、それを受けてくれていたようでした。
■建学の精神とキリスト教
http://theology.doshisha.ac.jp/opencourse/kohara_03.html