小原On-Line

ニュース: 2011年7月アーカイブ

 7月24日記事(「ノルウェー・テロ:キリスト教原理主義との関係?」)に引き続き、ノルウェー・テロにおける課題を整理しておきたいと思います。原理主義に関する本や論文を書いている以上、私も「原理主義」(ファンダメンタリズム)についての専門家の端くれですから、今考えていることを明らかにしておくことは、私の社会的責任であると思います。
 ここでは、特に右翼思想とキリスト教原理主義の関係、そしてそのアメリカとヨーロッパの違いなどに焦点をあてます。

 ヨーロッパにおける右翼思想・運動のほとんどは世俗的です。宗教(キリスト教)との接点をほとんど持っていません。ただし、近年、各国に現れている極右団体が、移民排斥の態度を取り、結果的に反イスラーム的なイメージを強めていることは事実です。
 それに対し、アメリカにおける右翼思想・運動は、キリスト教保守勢力(宗教右派)と結びつくことがあります。保守層においては、愛国的であることと、キリスト教的であることが一体的に理解されています。1980年代以降、キリスト教保守勢力が政治活動を活発化させ、大統領選挙においても影響力を及ぼす存在となっていることは、今や広く知られています。

 近年、ヨーロッパでは、極右団体に限らず、政治的保守層においては移民に対するネガティブな姿勢が強まっています。ただし、公的な場におけるイスラーム的象徴を拒絶する動き──フランスにおけるブルカ着用の禁止、スイスにおけるミナレット建設の禁止など──は、世俗的な動機付けによっているのであり、ムスリムに対する排他的態度がキリスト教によって支援されることは、通常あり得ません。ちなみに、ブルカ禁止もミナレット禁止も、それぞれの国のキリスト教会が法案反対の表明を出していました。
 以上のように、世俗主義的な右翼思想がヨーロッパにおける基本型であることを考えると、今回のノルウェー・テロの容疑者は、かなり特殊な例であると言うことができます。少なくとも、容疑者が何か特定のキリスト教原理主義運動を代表しているわけではなく、また、そうした実体がない以上、「キリスト教原理主義者」と自称することは、自らの信念の表明ではあり得ても、社会的な意味はほとんどないと言ってよいでしょう。

 それと同時に確認しておかなければならないのは、次の点です。
1)潜在的には、どの国においても、移民(特にムスリム移民)をめぐって、寛容(受容)と拒絶の間の緊張が高まってきていることを理解すれば、今回の件は、容疑者の個人的狂気として片付けることのできない、根の深い問題を含んでいると言えます。

2)容疑者が特殊な例であるとはいえ、移民排斥の論理としてキリスト教の「十字軍」「殉教」といったイメージを積極的に使っていたことは、西洋キリスト教とイスラームとの歴史的関係を、繰り返し見直していかなければならないことを示しています。キリスト教側が、この件をただ単純に例外的事例として「外部化」してしまうことは禍根を残し続けることになります。キリスト教界は、容疑者の聖書解釈の間違いを批判すると同時に、自らの伝統に対しても批判的な反省の目を向ける必要があります。

3)日本における、このニュースの受け止め方の中には「やはり、宗教が原因になっているのか!」と原因を短絡視しているものが少なくありません。宗教が絡んでいることは確かですが、それを直接の原因と考えてしまうと、微細な問題をすべて見過ごしてしまうことになりかねません。これは、日本社会において、もっとも注意しなければならない点であると思います。また、移民問題(移民蔑視)は日本にとって人事(ひとごと)ではありません。今回の事件をただ惨劇の一つとして消費し、忘れていくのではなく、自国の多文化主義、移民政策のあり方を考える、きっかけとすべきでしょう。
 7月22日、ノルウェーで起こった連続テロ事件の背景や容疑者の動機については、今後の調査を待つ必要がありますが、多くのニュースで言及されている、犯人が「キリスト教原理主義者」を名乗っている点について、少しばかり述べたいと思います。

 まず、「キリスト教原理主義」の原義はアメリカの歴史的文脈において理解する必要があります。その言葉や運動が、20世紀初頭のアメリカで誕生しているからです。現在のヨーロッパは、全体的に世俗化が進行していることもあって、ヨーロッパには、アメリカのキリスト教原理主義に対応するような組織は存在していないと言ってよいでしょう。
 もちろん、今回、テロの容疑者が「キリスト教原理主義者」を名乗っていることからもわかるように、個人のレベルでその言葉を解釈し、自己理解とすることは可能です。しかし、アメリカの原理主義運動が持っているような組織的な宗教・政治的活動とは次元が違うことを認識しておく必要があります。
 おそらく、ノルウェーのテロ容疑者の場合には、宗教的動機付けが主軸にあるというよりは、彼の持つ右翼思想を正当化する論理の一部としてキリスト教に依拠していたのではないでしょうか。その理由の一つには、容疑者が持っていたと言われる反イスラーム感情があります。反イスラーム的態度を正当化するために、彼にとっては保守的なキリスト教思想が利用しやすかったのかもしれません。
 実際、現代のキリスト教原理主義、あるいは、宗教右派の運動の一部には、明確な反イスラーム的態度が見られます。昨年、世界でももっとも話題になった例をあげれば、フロリダ州の牧師、テリー・ジョーンズが、9.11にあわせてコーランを焼く計画を立て、大騒動になった事件がその典型的なものです。
 今回のテロの容疑者が、どの程度キリスト教の影響を受け、どのような意味で「キリスト教原理主義者」と名乗っているのかを確かめるためには、もっと詳細な背景情報が必要です。今の段階で言えるのは、彼の右翼思想の一部となっていた移民排斥・多文化主義批判および反イスラームの態度が、保守的キリスト教の排外的な思想を引き寄せることになったという程度でしょう。しかし、これはこの容疑者だけの問題ではなく、多かれ少なかれ、現在のヨーロッパ全域(さらにはアメリカ)に見られる傾向であり、この事件だけを、時代の文脈から孤立させて特殊化してしまうのは、よくないと思います。
 アメリカにおいてもヨーロッパにおいても、社会が寛容に向かい過ぎることを嫌う人々がいます。その場合、寛容に抵抗するための論理が何らかの形で求められることになります。今回の場合、容疑者はその論理を「キリスト教原理主義」と呼んだのではないでしょうか。

 なお、今回の事件に関連して、たくさんのニュース記事が出ていますが、比較的丁寧に思想的・社会的背景を記しているものとして次の記事を示しておきます。


 このブログの関連記事として以下のものがあります。


 また、事典項目として「原理主義」について記したものがありますので、関心ある方は参考にしてください。

「キリスト教原理主義」、井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂、2005年
「宗教的原理主義の台頭」、日本社会学会社会学事典刊行委員会編『社会学事典』丸善、2010年

 原理主義の問題については、共著『原理主義から世界の動きが見える』(PHP新書、2006年)に記しましたが、今回の件に関連しそうな部分「現代の原理主義:宗教右派の特徴」(p.145以降)を、参考まで以下に引用しておきたいと思います。

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