小原克博 On-Line に「動物は「天国」に行くことができるか?― 動物の死生学」(「現代における宗教の役割研究会」第53回研究会、パネルディスカッション「祈りと供養」)を追加しました。
これは昨年12月26~27日に行われた研究会(通常、コルモス研究会と呼ばれています)の二日目に話した際のレジュメです。
全体のテーマが「祈りと供養」ということで、主催者側との話の中で、私は「人間」ではなく「動物」の供養や動物観の変遷などについて話しました。
仏教では、「一切衆生悉有(しつう)仏性」「草木国土悉皆(しっかい)成仏」などの言葉に代表されるように、すべてのものには等しく「仏性」が宿っていることを説き、そこからキリスト教の人間中心主義を批判することもあります。しかし、私が言いたかったことの一つは、事態はそれほど単純ではない、ということでした。
キリスト教を含む西洋思想史には、人間を自然界の支配者とするような考え方ももちろん強くありますが、それ以外の動物観・生命観も存在しています。近年では、「動物の神学」に代表されるように、動物の位置づけを根本的に見直そうとする試みや、また、動物礼拝や動物の葬儀もかなり真剣になされつつあります。
先に触れたように、仏教思想の中に、動物を含め、すべてのものに仏性を見るという点で、アニミズムに近接する要素があります。
私は全体討議の中で、仏教の自然観とアニミズムとを一緒にしてしまってよいのか、という質問を投げかけましたが、明快な返答は得られませんでした。
仏性を含んでいるという点で、すべての生命に根本的違いはないはずです。しかし、実際には、人間社会における差別を見過ごしたり(容認したり)、人間の命を奪うことになる戦争を肯定した歴史があるとすれば、アニミズム的自然観をもって、単純に人間中心主義への批判的回答とすることはできないはずです。
この研究会は、35年もの歴史をもち、西本願寺が中心的役割を担っているようですが、仏教だけでなく神道や新宗教も含んだユニークなものです。各教団の代表者や、えら~い宗教研究者が一堂に会しているので、そのお姿を拝見するだけでも価値があると言えます。
西本願寺のご門主、大谷光真氏は古くからのメンバーの一人ですが、今回、ご門主とも親しく会話を交わすことができました。なかなか、普段は、こういうわけにはいきません。
仏教、神道、新宗教の方々と議論しながら、そのものの見方に触れることができるという意味で、コルモス研究会は刺激的な経験でした。