先日の山折先生の基調講演で、遠藤周作と鈴木大拙に触れられていたので、それに関連して。
山折先生は遠藤の『沈黙』と『深い河』を取り上げていましたが、確かによく知られた順に遠藤の代表作をあげるなら、この二作がトップに来るのではないかと思います。
『沈黙』と『深い河』は書かれた時期も、また背景になっているモチーフも異なりますので、簡単にあわせて論じることはできませんが、神の「母性」など共通するテーマはあると言えるでしょう。
神学的には、神理解のユニークさに加えて、キリスト教の土着化や宗教多元主義、キリスト教宣教のあり方など、いろいろな課題をそれらの作品の中に見ることができます。しかし、遠藤はあくまでも問題提起をしているのであり、答えらしきものを示しているわけではありません。しかし、これらの著作を読んで、未完の問いに向き合う、というチャンスを与えられるわけですから、やはり読む価値のある作品だと思います。
西洋的なキリスト教がそのままでは日本人にはどうもしっくりとこない、と感じ続けた遠藤の「違和感」をきちんと受け止めることは、今日も大切なことのはずです。不感症では宗教的精神の深みに達することはとうていできませんから。
ところで、鈴木大拙の代表的著作は『日本的霊性』。これは日本的な精神の原型・古層を探ろうとした労作であり、遠藤の関心の射程と触れ合う部分があります。
山折先生の指摘の一つは、遠藤にしろ鈴木にしろ、海外でよく知られている割には、日本人がきちんと研究をしていない、ということです。これは当たっているかもしれません。しかし本来的な課題は、これらの紹介ではなく、彼らが追求した問いを現代においてどう解釈し、それに応答するのか、ということでしょうし、その部分がなければ、国内的な議論の枠を越えることはできないと思います。