29日の午前のセッションは、"Critical Reappraisal of Religious Pluralism and of the Presence of Islam in the United States"というパネルに参加しました。
7~800万人いると言われているアメリカ人ムスリムの状況や愛国法(patriot act)の影響などについて知ることができました。愛国法は、とりわけムスリムの人たちに対する監視の目が強くなったというネガティブな評価をよく耳にしてきたのですが、今回のパネルでは、そのポジティブな影響について聞くことができました。それはアメリカ人ムスリムが愛国的になったというのではなく、これまで、それぞれのナショナリティごとに集団化していたムスリムが、9・11以降は、ナショナリティの境界を越えて一体となっていったというのです。9・11のような大きな危機がなければ、確かに、こうした変化は起こらなかったかもしれません。
アメリカに限らず、ヨーロッパや他の国々でも、移民はナショナリティを中心に集団を形成していき、通常は、そうした集団間にはあまり交流がありません。その意味では、愛国法による危機意識が、従来の垣根を越えさせたわけですから、ポジティブな影響と言ってよいのかもしれません。ちょっと不思議な気がしましたが、当のムスリムの人がそう言っているのですから、一般的にもそういう印象が見られるのでしょう。
午後は、"Scriptual Interpretation and Politics"というパネルの司会をしました。これは4名のパネリストがそれぞれかなり異なる角度から発表をされたのですが、専門性が高いものが多く、わたしには理解できない点も多々ありました。
コメンテーターは、国立民族博物館の臼杵陽先生。中東地域研究の第一人者です。臼杵先生は、事前にコメントをまとめられており、難解な発表に的確なコメントを返されており、さすがだな、と感心させられました。
最後にフロアーからの質問を受け付けたのですが、質問者はハーバード大学神学部のP・マシーニスト先生でした。これまた、さすが!の質問でした。ちなみに、マシーニスト先生の講演会が31日に同志社であります。
英語での司会は慣れておらず、最初は少しだけ緊張していたのですが、まあ何とかなりました。何事も経験ですね。
夜はバンケット(晩餐会)がありました。かなり大きな部屋で行われたのですが、かなりの混雑状況でした。それもそのはず、1000人ほどの参加者があったようです。しかし、おかげでたくさんの旧知の人と再会することができました。
右の写真は、バンケットで行われていたパフォーマンスの一つ、和太鼓です。そのほか、獅子舞みたいな日本の伝統芸能がいろいろ披露されていました。みなさん、話に夢中で誰も見ていないような気もしましたが・・・(^_^;)
あと食事があっという間になくなっていくのも、国際会議ならではです。普通、日本のパーティなどでは、いくぶん料理があまるものですが、どんどんなくなっていき、わたしは会話に夢中になって油断していたため、最後の楽しみにしていたケーキなどのデザート類を取りに行ったとき、一つも残っていませんでした。絶句いたしました。(T_T)
IAHRには非常にたくさんの人たちが各国から集まり、交流を深めることができ、全体として、とてもよい学術交流の機会であったと思います。