小原On-Line

サンタバーバラ紀行: 2010年7月アーカイブ

 いよいよ帰国となりました。サンタバーバラを離れ、今、サンフランシスコに滞在しています。明日の便で、関西国際空港に向かいます。
 出発前は、一年間住んでいた家の掃除や片付け、そして荷造りと大忙しでしたが、その間、別れを惜しむかのように、多くの人と楽しい一時を過ごすことができました。直前には、Mariko さんご夫妻と夕食を共にしたり、カマリロ(Camarillo)の山本牧師と丸一日楽しく過ごすことができました。去りがたい思い出がサンタバーバラやカリフォルニアには、たくさんあります。
 この一年間で経験したこと、学んだことを振り返り、総括することは、日本に帰ってからの課題となりますが、短かったとはいえ、一年間アメリカで生活できたことは大きな刺激となりました。

20100730.jpg 目下、帰国を目の前に控え、荷造り等の準備をしています。帰国直前に、数々の楽しい経験もあったのですが、今、それらを詳細に記す時間的余裕がありませんので、ひとまず、先日のサンフランシスコ・マラソンの記録を掲載しておきたいと思います。

 記録は、2時間1分29秒でした。想像以上に、坂道が多く、きつかった割には、まずまずの結果を出せたと思います。体力は残っているのに、足が動かなくなるのは、明らかに走り込み不足です。体重をもう少し減らし、十分に走り込んでいれば、2時間を切ることができたと思います。

 8394人中、1777番でした。この順位は早いのか遅いのか、よくわかりませんが、真ん中より上だったのはよかったと思います。もっとも、レース中には、早い人にどんどん抜かれていきましたが。
 右の写真は、中間地点での一コマ。電子タグで記録を管理していますが、写真はちょうど計測のためのバーを通過しているところです。

 走っている最中は、回りの景色を味わう余裕がないのですが、普段、車があって走れないような場所を走れるのは、やはり気持ちがよいものです。特に、霧のかかったゴールデンゲートブリッジを往復できたのは、よい思い出となりました。

 下に公式記録を付けておきます。

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 サンフランシスコ・マラソン(ハーフ)、無事完走することができました。記録は、2時間1分29秒。
 後半、足が棒のようになり、気力があっても体が、なかなか前に進みませんでした。坂道がきつく、また、数も多かったのには閉口しました。
 詳しいことは、後日、お伝えしたいと思います。
 右の写真は、ゴールしたあとのものです。完走者がもらえるメダルを右手に持っています。防寒用のシートが風になびいて、まるでアンパンマンのようです。
 サンフランシスコ・マラソンを明日に控え、少しばかり緊張しながら、サンフランシスコの街中を散策してきました。
 昨日、ハイペースで15キロほど走ったのがたたり、筋肉痛が残っています。明日には治ることを願っていますが、ある程度年をとると、回復のペースが遅いことを時々実感します。
 今回は直前に遠距離の旅行が重なり、調整が予定どおりにはいきませんでしたが、完走を目指してがんばりたいと思います。 スタートは日曜日の朝5:42です。
20100721_1.jpg 先日の日曜日、こちらでの最後の日曜礼拝に出かける途中、フリーウェイで、後輪タイヤがバーストしました。
 最初、大きな音と振動を感じたのですが、何が起こったのかすぐにはわかりませんでした。パンクしたようだということに気がついて、おそるおそる車を右に寄せ、安全地帯まで移動させました。
 車を降りてタイヤを見ると、見事に破裂しています。よりによって、こんなんときに!とかなり焦りましたが、とにかく行動第一。しばらく前の旅行で一度、タイヤの換装を経験していますので、スペアタイヤをおろし、必要な工具をそろえて、早速作業にかかりました。
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 タイヤのボトルの一つは、車に搭載している特殊なレンチがないとはずれないようになっています。このことも、タイヤ交換を経験していなければ、おそらくわからずじまいであったと思います。
 左の写真で、タイヤが破裂した様子がよくわかります。どういう理由で、こうなったのかは、わかりませんが、フリーウェイでのパンク現場や、タイヤの残骸はよく見ますので、何か共通の原因(鋭利なものを踏んだ等)があるのかもしれません。
 これで、結果的に、タイヤ4本すべてが新品になりました(それなりの出費となりましたが・・・)。これをセールス・ポイントの一つにして、目下、車を売りに出しています。アメリカは個人売買が主なので、電話等で直接交渉します。

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 一時は、かなり焦ったものの、比較的短時間でスペアタイヤ(かなり小さい!)に交換し、安全運転で教会に向かいました。幸い、礼拝の中頃までに到着することができました。
 Bethany Congregational Church での礼拝は、これが最後になるので、名残を惜しみながら、挨拶を交わしました。
 右の写真は、礼拝後に青年(でない方も混じっていますが)たちと撮った記念写真です。みな、今時めずらしいほどの好青年たちで、本当に名残惜しいです。それぞれの進む道が守られ、また、いつかその道が交わる日の来ることを祈らざるを得ません。
20100717_2.jpg Bethany Congregational Church の若者たちと、滞在中最後となる LA ツアーに出かけてきました(Mariko さんが企画)。
 朝8:30に出発し、夜11時過ぎに帰宅し、とても濃密な LA 滞在となりました。メインは、中華街における飲茶。一般的に飲茶(やむちゃ)しながら、Dim Sum (点心)を食べることから、飲茶というと点心を食べることと同義になっています。
 朝早く出発したので、11時前には飲茶の目的地に到着しました。そこで、LA滞在歴の長い Akikoさんが合流しました。
 点心を運ぶカートが所狭しと移動しており、自分の気に入った点心を見つけると、そのカートを呼び止め、注文します。見て選ぶので、メニューで注文するより安心です。
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 見慣れたシュウマイ風の点心から、見たことのないようなものまで、実に多種多様の点心がカートにはのせられています。売り込みがすごく、ぼっーとしていると、いくつもテーブルに置いていかれるので、きちんと要・不要を伝えなければなりません。押しの強さは、感動的ですらありました。
 サンフランシスコ・マラソンが、あと1週間に迫っているため、しかも、すでに重量オーバーのため、食べる量を自制しなければならないと心に強く誓っていたのですが、おいしそうな点心の前で、私の決心は、もろくも崩れ去っていきました。
 たらふく食べて、この場を後にし、次の目的地である Japanese American National Museum に向かいました。

 このミュージアムは、LAダウンタウンのリトル・トーキョー近くにあります。何度も、この前を通り過ぎているのですが、今まで中に入る機会がありませんでした。日系人の歴史、特に移民初期の時代から、戦時下における強制収容所の時代までを、様々な展示物によって見せてくれています。
 パールハーバー以降、12万人もの日系人たちが送られたキャンプは当初 Relocation Camp や Assembly Camp と呼ばれていましたが、実質的には Concentration Camp と同じでした。1980年代以降、ロナルド・レーガン大統領やブッシュ(父)大統領の時代になって、戦時下における日系人の扱いが非人道的であったことを謝罪するメッセージが出されています。
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 キャンプに送られる直前、LAで最後の礼拝をした際の日系人牧師(メソジスト)の原稿も展示されていましたが、とても胸を打つ内容でした。
 残難ながら、展示施設内は撮影禁止であったため、写真が一枚もないのですが、関心のある方は同ミュージアムのウェブサイトから、雰囲気を知っていただくことができると思います。
 日本の学校でも、こうした日系人の歴史を積極的に学ぶべきだと思います。戦争が引き起こした悲劇を、別の角度から感じ取ることができるからです。

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 このミュージアムのあと、すぐ近くにある全米最大のカトリック教会 Cathedaral of Our Lady of the Angels を訪ねました(右上写真参照)。さすがに大きかったです。また、非常にモダンな建築様式でした。
 礼拝堂を訪ねたとき、偶然、結婚式の最中でした。英語とスペイン語(らしき言語)で式が執り行われ、時折、美しいピアノ(オルガン)演奏、歌唱がはさみこまれ、華やかで、かつ荘厳な結婚式の雰囲気を共有することができました。
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 礼拝堂の天井はとても高かったのですが、屋外のうだるような暑さにもかかわらず、礼拝堂内は、ひんやりとしていました。これだけの容積に空調を効かせるのは、とても大変だと思いますが、おそらく構造的に外気(暑さ)を遮断するようになっているのでしょう。
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 礼拝堂の側面には、カトリックの聖人や聖人に近い偉人たちの絵が描かれていました。様々な国籍の人々が描かれているのが印象的でした。
 ちなみに、左写真の壁画では、マザーテレサやユニペロ・セラが描かれていました。
 礼拝堂を出たあと、ギフト・ショップを訪ねました。大きなカトリック教会のギフト・ショップは、品揃えが充実しており、ながめるだけでも楽しいです。この点で、プロテスタント教会は太刀打ちできそうにありません。
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 ギフト・ショップ前で記念の写真を撮りました。この顔ぶれで、普段から、わいわいやっています。近々お別れしなければならないと考えると、心が痛みます。

 ミュージアムと教会という文化的な施設を訪ねた後、食の達人 Mariko さんお薦めのクレープ屋がある The Grove というショッピング・モールに移動しました。ハリウッドの近くにあるのですが、私はこれまで立ち寄ったことがありませんでした。
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 行って、びっくり。専門店や屋台風のお店、Farmers Market などが立ち並ぶ一大コンプレックスで、たくさんの人であふれていました。
 昼頃に、これ以上食べることができないというほどの点心を食べたのですが、少し歩いたせいか、クレープはとてもおいしく食べることができました。
 メニューにはたくさんのクレープの種類が書かれていましたが、スタンダードなデザート的なクレープを注文しました。写真は Tropical Crepe と呼ばれるものです。
 クレープを食べたあと、The Grove の中のお店を見て歩きました(自由行動)。私はもっぱらウィンドウ・ショッピングですが、おっと目を引くものに遭遇しました。
 なんと、LAのアップルストアーが目の前には立ちはだかっているではありませんか。
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  迷うことなく、入り口へと突き進み、あたりを見渡しました。iPhone 4 発見! 初めて実物の iPhone 4 を手にすることができました。同じ iOS 4が入っているとはいえ、私の iPhoen 3G とは比べものにならないほどレスポンスがきびきびしています。
 次に試したのが、サイドの金属部分を握り続けること。今、問題になっている受信状態の検証です。強く握り続けると、受信バーがどんどん減り続けていく動画を何度が見ましたが、私が試しても何も起こしませんでした。この問題について、先日、アップルが記者会見を開きましたが、どういう形で落ち着くのか、まだ予断を許しません。
 アップルストアーをくまなく回ったあと、合流地点に向かい、それから夜の食事のためにLAの北方向にある韓国料理店を目指しました。ハリウッドの中心部を抜けていくため、けっこう渋滞していました。
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 点心、クレープの次は韓国料理 BCD Tofu House。ここも、食の達人 Mariko さんのお薦めなので、味に間違いはありませんでした。豆腐鍋をベースに各種の韓国料理を注文しました。キムチやお総菜も、とてもおいしかったです。

 とても充実した食い道楽 LAツアーとなりました。こうなると減量とか何とかいう気持ちは吹き飛んで、半ばやけくそ状態ですが、とにかくよい食の経験と、親好の機会を持つことができ、満足して帰路につくことができました。
 帰宅後、体重計に乗りました。何と、2.5キロ増! さもありなん、という数字ですが、体重より大事なものは世の中にあります。明日から、再調整していきたいと思います。間に合うかな〜?
 サンディエゴでの滞在を終えて、帰路につく途中で Mission San Diego de Alcalaに立ち寄りました。これまで、いくつか Mission を訪ねてきましたが、ここは The First Mission ですから、素通りするわけにはいきません。
 Mission San Diego は、1769年7月16日(今日!)にユニペロ・セラによって設立されました。241年前ということになります。このミッションはもともと Presidio Hill と呼ばれる現在のダウンタウンよりの場所に作られていましたが、1774年に現在の場所に移転しています。Presidio Hill からカリフォルニア・ミッション、カリフォルニア開拓が始まりましたので、Presidio Hillは、「カリフォルニアの始まりの場所」としても知られています。
 もっとも、ネイティブ・インディアンの人々からすれば、はるか以前から、そこは自分たちの土地であり、カリフォルニアの始まりは、植民地化の始まりでもありましたから、「カリフォルニアの始まり」は、あくまでもスペイン人たちの視点から見たものに過ぎません。
 そうした歴史の一部も、Mission San Diego の小さな博物館の中に展示されていました。

 Mission San Diego の中には、聖フランシスコの像がありました。カリフォルニア・ミッションは、フランシスコ会派(Franciscan)によって進められましたので、聖フランシスコの像がもっとあってもよさそうなものですが、私はここで初めて見ました。カリフォルニア・ミッションの顔セラは、いつも(ちょっと怖いくらい)威厳を持って描かれていますが、小鳥とたわむれる聖フランシスコは、実におだやかで優しい表情でした(写真参照)。
 話はそれますが、ドイツ留学時代、私は何度がイタリアに旅行に行きましたが、いまだに鮮明な記憶を残しているのがフランシスコ(フランシス)がその生涯を過ごしたアッシジです。フランシスコの清貧で素朴な生き方、また、小鳥への語りかけで知られるように、動物愛(自然愛)に満ちていたことなどが、当時、私の関心を強く引いていました(今もそうですが)。

 ともあれ、Mission San Diegoは、21あるカリフォルニア・ミッションの出発点となったミッションですから、なかなか見応えがありました。たくさん撮った写真を、いずれまとめたいと思いますが、ひとまず数枚の写真をのせておきます。

 サンディエゴには2007年11月、アメリカ宗教学会に参加するために訪れたことがありますが、今回、久しぶりに再訪することができました。前回は訪ねたといっても、学会の合間を縫って、数カ所を回っただけでした。今回は、車で移動できるので、かなり広範囲にサンディエゴの町並みを楽しむことができました。
 今回も、San Diego Zoo を訪ねましたが、Zoo のある Balboa Park を散策することができましたし、また、Zoo の近くにある San Diego Natural History Museum を訪ねることもできました。そこでは、訪問時に上映されていた 3D 映像 The Waking Sue を見ることもできました。史上最大の恐竜 T-Rex がどのように発見されたのか、また、Sue と名付けられたその恐竜がどのような生涯を送ったのか、ということを見ることができました。Sue の化石はシカゴにあり、2年前に私は実物を見ているので、3D 映像を見ながら、妙な懐かしさを感じました。


 今回、San Diego Zoo に、ナイトタイム・チケットで入りました。夜9時まで見ることができます。多くの動物は夜行性なので、夜見ると、昼間には見られないような活発な動きを見ることができます。
 昼間は、けだるそうに眠っているライオンが、夜には咆哮して歩き回っていました。迫力が違います。夜の動物園も、なかなかの見物です。

 サンディエゴでの写真を以下につけておきます。

 先日、北カリフォルニア方面への旅行から帰ってきたばかりですが、今また、南カリフォルニア方面への旅行に出かけています。
 帰国する日が近づいてきたので、このタイトスケジュールもある程度仕方ないのですが、いろいろなことを両立させることは難しいです。旅行ばかりして暇人のように思われるかもしれませんが、これでも仕事をいくつか抱えており、旅行の合間をぬって、それらに取り組まなければなりません。
 もう一つの課題は、旅行と体重管理・体力管理を両立させることの難しさです。車を長時間運転し、ストレス発散のために、おいしそうなものを食べていると、てきめん体重は増加します。運動するにも、ドライブ疲れで、なかなかその気が起こりません。帰国も間近ですが、先日報告したサンフランシスコ・マラソンも目の前に迫っており、かなり真剣に焦っています。(^_^;)

 何はともあれ、サンディエゴに向かう途中で、今日はエルシノア湖畔の House of Siloam という名前の温泉に宿泊しています。Bethany Congregationa Church の山本牧師に紹介してもらいました。
 まさかアメリカにこれほどの本格的な硫黄温泉があるとは思いませんでした。建物は古い感じなのですが、部屋は広くキッチンもついています。
 今日は、こちらではめずらしいくらいの猛暑だったので、まずプールで一泳ぎし、それから硫黄温泉につかりました。肌がすべすべになりました。この House of Siloam は日本人の牧師によって経営されており、建物の真ん中にはチャペルがあります。
 数枚写真をつけておきます。
 先日、サンタバーバラのダウンタウンにある Jewish Community Center を訪ねました。
 サンタバーバラにこの種のセンターがあることを知らなかったのですが、ホロコーストの生存者の方に誘われて、足を運ぶことになりました。それほど大きなものではないとはいえ、ホロコースト・ミュージアムのような性格を持っていました。
 入ってすぐのところに、サンタバーバラ郡の在住のホロコースト・サバイバーの方のポートレイトが並べられ、そのパネルをめくると出生から強制収容所への収監、そしてその後に至るライフヒストリーが写真や書類と共に記されています。
 私が個人的に知り合ったのはドレスデン生まれの Norman Jaffe 氏。もともとのドイツ名は Wolfgang ですが、彼がアメリカに渡ったときは、反ドイツ感情が非常に強かったため、ドイツ名とすぐにわかる Wolfgang を棄てて、新しい名前を名乗ることになりました。
 センターの写真を数枚つけておきます。
20100709.jpg 私の新刊書『宗教のポリティクス──日本社会と一神教世界の邂逅』(晃洋書房、2010年7月)が刊行されましたので、案内いたします。
 目次や序論の冒頭部分は下記ページでご覧いただけます。


 私の近年の研究成果をまとめた著作です。扱ってる対象は宗教や政治なので、決して一筋縄にはいかないものばかりですが、平易な言葉で問題に迫っています。
 このブログでも、少しずつ内容の紹介をしていきたいと考えています。

 本の帯には次のような言葉が記されています(編集者の方が作成してくれました)。

(オモテ)
宗教は暴力を助長するのか?
宗教と政治の複合的な相互関係を問う!

(ウラ)
寛容な多神教国家・日本は、一神教とどのように向き合ってきたのか。
近代的理性は、神話とナショナリズムの激流の防壁となり得たのか。

 帯に書かれている、これらの問いに関心のある方にとっては、一定の回答を見いだすことのできる内容となっています。

 ブログ左サイドに Amozon へのリンクを張っておきましたが、他のオンライン書店等でも購入可能です。
 おもしろそうだなと思われた方は、ぜひお買い求めください。

本やタウン:宗教のポリティクス
楽天ブックス:宗教のポリティクス
20100708.jpg 今回の北カリフォルニア方面の旅行でも、かなりの距離を走りました。数日間で1200マイル強(2000キロ)を走るというのは、日本では経験できそうにありません。
 フリーウェイは比較的スムーズに走れるのですが、田舎の一本道で渋滞したりしていると、どうしようもありません。今回も、数カ所で渋滞に巻き込まれましたが、そのときには、どっと疲れました。もっとも、タイヤがパンクしたときには、もっと疲れましたが(泣)。

 今回の旅行で車に持参した新ツールは iPad です。安物の専用ナビをつけてはいるのですが、肝心なときに、かなり怪しいルートを示しますので、セカンド・オピニオンが必要です。
 搭載しているナビと、Google Map の経路検索と、iPad のアプリ GPS Drive HD のルート検索結果が微妙に違ったりするのですが、比較していくと、それぞれ検索アルゴリズムに個性があるのがわかってきました。
 Google Map は基本的に最短距離を示します。専用のナビは、どうも交通量の計算もしているようで、わざとフリーウェイをはずす傾向がありました。iPad のアプリは、両者の中間くらいですが、時々、明らかにおかしな検索ルートを示します。
 iPad の経路検索やルート検索は、やはり大画面なので使い勝手がよかったです。右上の写真では、iPad をパネルの前に置いて利用しています(写真右端に小型の専用ナビが見えます)。iPad をパネル前に置くと、メーター類が完全に隠れますが、短距離のルート検索に役立ちました。
 たとえば、近所で各種のお店を探し、そこに向かう場合には、iPad のアプリが断然便利でした。画面が大きい分、視認性もグッドです。もう少し賢くなれば、専用のナビは不要になるのではないかと思ったほど実用に耐えます。
20100707.jpg モントレーから無事、サンタバーバラに帰着しました。
 途中、ガソリン・ランプが点灯したので、急ぎ、フリーウェイ(Route 101)を降りガソリン・スタンドに向かいました。給油後、フリーウェイに戻ろうとしたところ、入り口を間違えたため、小さな町をぐるっと回ることになったのですが、そこで偶然、California Mission らしきものと遭遇しました。降りて確かめると、Mission San Miguel Arcangel でした。San Miguel という小さな町で1797年に設立されています。21あるカリフォルニア・ミッションの中では16番目のものです。この教会の中庭にも、ユニペロ・セラ(Junipero Serra)の像が立っていました。このミッションはセラが直接に建てたものではありませんが、彼はすべてのカリフォルニア・ミッションの代表者のような位置づけを与えられていることが、こうした像からもわかります。
 Mission San Miguel の詳細は次のページに記されています。

■Mission San Miguel

 参考まで、21あるカリフォルニア・ミッションの全体図を右上にあげておきます。現在の Route 101 (El Camino Real) と、ほぼ重なっています。

 Mission Santa Barbar にはじまり、いくつかのミッションを見てきましたが、若い国アメリカの中に歴史的な足跡が残されているのは興味深いです。カトリックは巡礼を重視しますが、カトリックではない私でさえ、ミッションをたどってみた気にさせられます。
 歴史的に、プロテスタントは、巡礼というカトリック的伝統を無視ないしは軽視してきました。プロテスタントは場所にとらわれない普遍性を重視する傾向があり、「聖なる場所」が意識されることはあまりありません。しかし、特定の場所へのこだわりと、それからの自由は、おそらく、あれかこれかという二者択一的なものではなく、相互補完的な重要性を持っているのだと思います。特定の場所への巡回が「自由」を支えるアンカーとなるのであって、それを失った「自由」は、糸の切れた凧のように、制御を失っていくのではないか・・・ ということを、ふと考えました。

 Mission San Miguel の写真(あまり多くありませんが)を組み合わせた動画をアップしましたので、関心のある方はご覧ください。

■関連記事
Carmel Mission (07/03/2010)
Mission Santa Inés (02/07/2010)
Mission Santa Barbara (09/11/2009)

 モントレーに再度立ち寄り、前回、行っていなかった Fisherman's Wharf を訪ねました。
 Fisherman's Wharf 周辺は、モントレーの中でももっとも歴史の古い部分に属しますが、今では、舗装された桟橋の上に土産屋がところ狭しと並んでおり、観光客で賑わっていました。
 驚いたのは、野生のアザラシやラッコが平然と泳いでいること! 数え切れないほどのアザラシが岸辺に寝そべっていました。また、ラッコは大食漢らしく、次々に貝を割っては食べていました。
 当たり前のことですが、水族館で見るより、はるかに生き生きし、そして悠然と泳いでいました。
 サンタバーバラにもアザラシはいますが、これほど近くで見ることはできません。また、私にとって野生のラッコを見るのは初めてでした。モントレーが海洋生物に恵まれた場所であることを大いに実感することができました。
 アザラシ、ラッコの様子を YouTube にアップしましたので、ご覧ください。ラッコは桟橋上からの撮影ですので、貝を食べる様子がよくわかります。

※ 動物関係の記事が増えてきましたので、Animal タグを追加しました。

 サンタローザからサンフランシスコを経由して、モントレーへと南下していく途中で、サンノゼに立ち寄りました。言うまでもなく、サンノゼはシリコンバレーの中心地であり、ハイテク企業の本社が集結しています。

 最初に立ち寄ったのは、The Tech Museum of Innovation です。テクノロジーを体験的に見せる科学館といったところでしょうか。お金さえ払えば、テクノロジーの結果としての IT 機器やゲーム機器を簡単に買うことができる時代ですが、普段使っている機器類がどのようなテクノロジーによって支えられているのかは、以外と知らないものです。このミュージアムでは、テクノロジーが人間生活の全般に大きな影響を及ぼしていることを、わかりやすく教えてくれます。

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 サンノゼの近くにシリコンバレーの中心の一つ、クパティーノ(Cupertino)があります。ここにはアップル本社があるため、私としては素通りすることはできません。
 日曜日であったため、アップルストアーは残念ながら開いていませんでしたが、その代わり、誰もいないアップル本社の敷地を車で縦横無尽に走り回ることができました。さすがに広かったです。
 下の写真は、本社ビル前ではためく三つの旗、合衆国旗とカリフォルニア州旗とアップル旗(?)を写したものです。

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 各セクションのゲートには、アップルのロゴがあるのですが、赤、青、紫等々、色とりどりであったのがおもしろかったです。下の写真は、本社ビルへの入り口(1 Infinite Loop, Cupertino)に立っているところです。

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 ヨセミテ、ソノラを後にして向かったのは、サンフランシスコの北、50マイルほどのところにあるサンタローザ。一見平凡な町のようですが、この町は、スヌーピーの生みの親、Charles M. Schulz が40年過ごした場所として知られており、まさにスヌーピー誕生の地と言えます。
 そのサンタローザにある Charles M. Schulz Museum を訪ねました。
 実は、サンタローザ到着の翌日の日曜日にこのMuseumを訪ねることを計画していました。しかし、宿泊先に到着してから何気なしに、この博物館のウェブサイトをチェックしていると、日祝日には通常開館しているのですが、当の日曜日は Independence Day のため休館との文字が目に飛び込んでいました。それに気づいたのは、閉館時間(午後5時)直前の4時50分! 慌てて車を飛ばして、博物館に到着したのは閉館5分前。
 閉館5分前の入館は普通アウトなのですが、係の人に事情を説明し、入館料を払うから見せて欲しいと頼んだところ、お金はいらないから、急いで見てこい、とのありがたいお言葉をいただきました。大きな博物館ではないので、ざっと見ることができましたが、シュルツ直筆の作品などを、じっくりと見る時間はありませんでした。
 閉店しかけていた館内のギフトショップに駆け込み、いくつか土産物を買いました。
 「九死に一生を得る」「不幸中の幸い」という言葉が頭をよぎる見学となりましたが、何とか目的を遂げることができ、ほっとしました。

 この博物館の他にも、サンタローザのダウンタウンには、スヌーピーやチャーリー・ブラウンの彫像が置いてありました。
 それを眺めながら、ふと「水木しげるロード」の妖怪たちのことを思い出しました。スヌーピーには、動物仲間がたくさんいるわけではないので、「水木しげるロード」と同じようにはできませんが、サンタローザの観光局の関係者の方々には、一度「水木しげるロード」を訪ねていただきたいなと思いました。

「水木しげるロード」(2004年11月10日記事)

 スヌーピーは、シュルツの愛犬(ビーグル犬)がモデルになっています。彼の犬に対する細やかな愛情が、作品の端々に感じられます。

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 ヨセミテに行ってきました。山、岩、川、滝などの雄大な自然美が調和しており、どこを見ても絵になります。
 ちょうどこの時期は、滝の水量も多く、あちこちにある滝は見応えがあります。下の写真にある滝は、Yosemite Falls と言われるものですが、滝のすぐ近くにまで近づくことができ、飛び散る水しぶきを全身に浴びることができます。
 ヨセミテの風景は、近いうちに動画としてもまとめたいと思いますが、まずはいくつか写真をアップしておきます。

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 なお、ヨセミテからソノラへの帰り道、ヨセミテ公園内で野生の熊を見ました。妙なところに車が数台停まっていたので、森の方に目をやると、15メートルほど前方を熊が歩いていました。おそらく子熊だと思いますが、はじめて野生の熊を見たので、かなりどきどきしました。幸い、近くに公園レインジャーの人がいたので、大きな恐怖心は感じませんでしたが、いずれにしても貴重な経験となりました。
 野生の熊は、スピード出し過ぎの車のために、年間20数頭が犠牲になっているそうです。熊より人間の方がよっぽど怖いですね。短い動画ですが、貴重な野生の熊の映像をご覧ください。

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 カーメルから、次の宿泊先のソノラ(Sonora)に向かうためにガソリンを入れていたところ、左タイヤにネジらしきものが刺さっているのを発見しました。
 小さなネジがタイヤの表面に刺さっているのだと思って引き抜くと、これが深く刺さっていたようで、瞬く間にタイヤがぺっちゃんこになってしまいました。初めての本格的なパンクを経験し、かなり焦りました。
 スペアタイヤに交換したのですが、これはオマケのような小さなタイヤなので、とても長距離を走ることはできません。カーメルからモントレーに移動し、モントレーのタイヤ・ショップで前輪二つのタイヤを交換してもらいました。
 思わぬ出費とタイム・ロスを強いられることになりました。
 この後、3時間半ほどかけてソノラに向かいました。ヨセミテのホテルは、1年ほど前から予約が詰まっているらしく、まったく予約を入れることができませんでしたので、ヨセミテから1時間半ほどの距離にあるソノラに宿泊した次第です。
 カーメルは小さな町ですが、有名な歴史的建造物があります。通称カーメル・ミッションと呼ばれているカリフォルニア・ミッションの拠点となった教会です。正式名称の Mission San Carlos Borromeo de Carmelo は、建設当時のミラノ大司教の名前にちなんでいます。
 カーメル・ミッションは、1770年にユニペロ・セラ(Junipero Serra)によって建てられました。セラはカリフォルニア・ミッションの中心的自分物で、カリフォルニアでももっとも有名な歴史的人物の一人です。彼の略歴やカリフォルニア・ミッションの歴史を理解すると、当時の植民地支配やネイティブ・インディアンとの関係、キリスト教(カトリック)が果たした役割、カリフォルニア州誕生のいきさつなどについて、どんどん興味が深くなっていきます。
 カリフォルニア・ミッションは、最初のサンディエゴ(1769年)から始まり、21の拠点を持ちましたが、その中で、カーメル・ミッションは二番目に古く、後のミッションの中でも特別な役割を果たしたのですが、それはセラがこの教会を拠点にしたことと深い関係があります(セラはこの教会で1784年に亡くなっています)。
 カトリックの中では聖人に近い扱いを受けている人物ですが、1987年に当時の教皇ヨハネ・パウロ2世がセラを列福(聖人の次の地位を認めること)しようとしたとき、ネイティブ・インディアンや学者たちから強い反対の声があがりました。簡単に言えば、セラはスペインの植民地主義の推進者であった、という批判です。ちなみに、ヨハネ・パウロ2世は同年、このカーメル・ミッションを訪ねており、その記念のプレートが教会の中にあります。
 わたしはカリフォルニア・ミッションの教会をいくつか訪ねていますが、カーメル・ミッションはその規模や美しさの点において群を抜いていると言ってもよいでしょう。中庭は、きれいな花が咲き乱れており、訪問者の目を楽しませてくれます。
 YouTube にアップしましたので、雰囲気を味わっていただければと思います。

 サンフランシスコの少し南に位置するモントレー半島にある町モントレーとカーメルを訪ねました。
 モントレーでは、真っ先にモントレー・ベイ水族館に直行しました。モントレー半島は多様な海洋生物が生息していることで知られており、この水族館も西海岸では比較的有名なものの一つです。
 私は水族館好きなのですが、どこを訪ねても思うのは、陸上の生物以上に、その姿形が多様で、その不思議さに心躍らされます。下の写真は、タツノオトシゴの一種。海草と見間違えるような姿で悠然と水中を泳いでいます。

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 水族館の展示で強調されていたことの一つは、地球温暖化が海洋生物にもたらす悪影響についてでした。モントレー半島周辺の海域でも海中温度が上昇し、生態系の変化が生じているようです。
 
 水族館を出た後、町を散策し、Bubba Gump Shrimp で食事をしました。映画「フォレスト・ガンプ」に出てきたお店です。
 
 その後、宿泊先のカーメルに移動。カーメルは、モントレーからは15分ほどの距離にあります。カーメル・ビーチは、噂の通り、とても美しかったです。海岸線の美しさだけでなく、きめの細かい白い砂浜は、人間および犬の散歩には最適の場所です。たくさんの犬が、楽しそうに駆け回ったり、海に入って遊んでいました。
 夕日に染まるカーメル・ビーチも美しかったです。

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自己紹介

近  著

2013年10月

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