小原On-Line

生命倫理: 2006年2月アーカイブ

 明日10日、キム・ヒョプヤン先生によるES細胞研究をめぐる講演がありますが、日本における、これまでの経緯と現状を知るためには、次の本がきわめて有益です。

島薗進『いのちの始まりの生命倫理――受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか』春秋社、2006年。

 出版されたばかりの本です。島薗先生(東京大学)は宗教学を専門とされていますが、国の生命倫理専門調査会のメンバーとして、ES細胞研究のあり方について審議してこられ、上記の本はその経緯をまとめられたものです。細かい議論もたくさんありますが、良質のドキュメンタリー番組を見たような充足感を与えてくれます。

 さらに言えば、危機感を喚起してくれる書でもあります。というのも、ES細胞研究の承認を強引に取り付けた内幕も描かれており、そうした結論の出し方に反対して提出された「共同意見書」(対案)の執筆者の一人が島薗先生だからです。

 この一件については、昨年7月に新聞報道を見ながら、強引な幕引きだな、という印象を持っていましたが、どのような内部事情があったのかを上記書物は教えてくれます。

 「あとがき」の最後にある島薗先生の言葉「今後の日本の国レベルでの生命倫理の審議は、いわば一から出直しといういうべきところにある」は、思い意味を持っています。

 今日は、民医連中央病院の倫理委員会がありました。議題の一つは「輸血拒否患者への対応」に関してでした。
 具体的に言うと、エホバの証人の患者に対し、無輸血治療(手術)を約束することができるかどうか、という問題です。一般的な事例として、エホバの証人による輸血拒否の問題は理解していたつもりですが、実際の来院患者を念頭に置きながら、この問題を考えると、さすがにシリアスにならざるを得ません。

 この件に関する、これまでの病院の基本的な姿勢は、無輸血手術はしない、というものでした。言い換えるなら、輸血の同意書を拒否する患者には治療行為は行わず、他の病院を紹介する、というものです。

 エホバの証人が病院に出された「輸血謝絶 兼 免責証書」も見ました。また、倫理委員のメンバーには弁護士もいますので、実際に関われた裁判事例を聞くことができました。さらに、これまで病院が関与した事例も聞きました。いろいろな情報を知れば知るほど、あらためて奥の深い問題であることを感じました。これは、決してエホバの証人が起こしている特殊なトラブルとしてとらえるべきではなく、医療とは何か、治療とは何か、を考えさせる、かなり普遍的な問題提起を含んでいると思います。

 医師からの切実な思いも吐露されました。輸血を絶対必要とする手術はそう多くない、しかし、いざというときのために輸血の同意書は必要であり、それがないというのは、心理的にかなり大きなプレッシャーになる、というものでした。

 わたしは一応、宗教の専門家でもあるので(この倫理委員会では、その方面の役割を果たすことは皆無に近いですが)、エホバの証人について、簡単な説明をしました。

 かなり大きな問題なので、継続して議論することになりますが、今回、基本的な方針として決めたのは、従来の方針をあらためて、無輸血治療もできる方向で考えよう、ということです。これは大きな方向転換です。
 実際に、どの分野で無輸血手術を引き受けることができるかどうかの技術面での整理を次回に行う予定です。
 この大胆な方向転換は、わたしがあおっているわけではありませんが(多少、そういう面はありますが・・・(^_^;))、治療の選択肢の幅を広げていくためにも、重要な試金石になると思います。今後の議論のキーワードは、患者の「自己決定権」、医師の「良心的診療拒否」になりそうです。

■エホバの証人(日本語)
http://www.watchtower.org/languages/japanese/

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