今日は民医連中央病院の倫理委員会がありました。議題はいろいろあったのですが、継続しているテーマの一つは、ターミナルセデーションのガイドライン作り。第4次案を検討したのですが、ゴールに至るまではもうしばらくかかりそうです。ターミナル・セデーションとは、簡単に言えば、末期の苦痛を取り除く(鎮静)させることです。
今日おもしろかったのは、最近出たばかりの、日本緩和医療学会による「苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン」を見ることができ、それとの比較が行えたことです。このガイドラインは、権威ある学会から出されたものなので、中身もご立派ですが、いくつかの点で、私たちが行ってきた議論との明確な相違がありました。
一つは鎮静の対象に、心理的・実存的苦痛を入れるか、入れないか。わたしたちは、これを鎮静の対象からは削除しましたが、日本緩和医療学会のガイドラインはこれを対象としています。
心理的苦痛を対象にすると、「もう死にたい」という欲求・絶望感から投薬することになり、限りなく「安楽死」の実施に近づいていきます。また、心理的苦痛を取り除くために意識をなくしてしまうというのは問題解決の方法を間違えていると考えます。
そのほか、家族の同意が必要か不要か等(私たちの立場は「不要」)、相違点があり、これを明確にしていくことは、一見、権威あるガイドラインに楯突いているようにも見えますが、より深い論議を展開していくためには必要な作業であると思っています。
夏頃には完成させることができればと願っています。
たまたま、今日の授業で、安楽死などを扱ったのですが、授業に対する感想文の中に次のようなものがありました。
「私の理想の死に方は、とびきりお気に入りの服を着て、キラキラのかわいい棺桶を作って、睡眠薬を飲むやり方です。やっぱりキレイに死にたい。・・・」
私たちが作製しているガイドラインの意味など吹き飛ばしてしまうような、現代っ子らしい表現ですが、こういう願望が将来の医療に反映されるためには、安楽死の是非をはじめ、まだまだ多くの議論が必要です。