「愛国心含め 議論深化を」(「60歳の憲法と私」)(『朝日新聞』2008年5月1日、朝刊)を追加しました。
「60歳の憲法と私」シリーズは改憲論議の中で、どちらかというと護憲派の方々が執筆しているようです。私も、どちらかと言われれば、9条を中心とした護憲派に違いないのですが、この記事では二極分化している議論に対する批判をしています。
結論から言えば、愛国者や天皇支持者も巻き込むぐらいの勢いで、戦争放棄の理念が広がっていくことを願っています。自国愛が軍備増強を肯定するような方向に行かないようにするためには、9条の平和主義を維持しようとする立場から、愛国心の発露を簡単に切って捨てるようなことをせずに、それを自らの理念に組み込むくらいの懐の深さが今後は必要だと考えています。
最近の中国の例を見てもわかるように、愛国心やナショナリズムを単純に否定しても、何の問題解決にもなりません。東アジアの平和を現実的に考えていくためにも、それぞれの国に潜在する愛国心が、他国に対する排他的・敵対的な方向に向かわないよう、その心理的・政治的メカニズムに注意を払っていく必要があるでしょう。
科学が進歩しても、国が豊かになっても、この種の問題は簡単になくなりはしないどころか、今後、ますます焦点となっていく可能性があります。それだけに、若い世代の方を中心に、戦争放棄・平和主義の裾野を広げていくためには、自分たちの足下から、自分たちの生活が根ざしている場から、世界の情勢を落ち着いて見ることのできる「根」の張り方を模索していくべきだと考えています。
上記の記事は、かつて、きわめて単純に愛国心批判、(天皇制を含む)ナショナリズム批判をしてきた自分に対する自己批判でもあります。リベラル派知識人の二分法的な言説が、皮肉にも、若者の右傾化に荷担してきたのではないかという思いがあります。
かなり微妙な問題を扱っていることはわかっているのですが、その課題をより明確にしていくためには、まだまだ勉強と思索が必要です。
少なくとも、この記事が何らかの問題提起になればと思っています。
「60歳の憲法と私」シリーズは改憲論議の中で、どちらかというと護憲派の方々が執筆しているようです。私も、どちらかと言われれば、9条を中心とした護憲派に違いないのですが、この記事では二極分化している議論に対する批判をしています。
結論から言えば、愛国者や天皇支持者も巻き込むぐらいの勢いで、戦争放棄の理念が広がっていくことを願っています。自国愛が軍備増強を肯定するような方向に行かないようにするためには、9条の平和主義を維持しようとする立場から、愛国心の発露を簡単に切って捨てるようなことをせずに、それを自らの理念に組み込むくらいの懐の深さが今後は必要だと考えています。
最近の中国の例を見てもわかるように、愛国心やナショナリズムを単純に否定しても、何の問題解決にもなりません。東アジアの平和を現実的に考えていくためにも、それぞれの国に潜在する愛国心が、他国に対する排他的・敵対的な方向に向かわないよう、その心理的・政治的メカニズムに注意を払っていく必要があるでしょう。
科学が進歩しても、国が豊かになっても、この種の問題は簡単になくなりはしないどころか、今後、ますます焦点となっていく可能性があります。それだけに、若い世代の方を中心に、戦争放棄・平和主義の裾野を広げていくためには、自分たちの足下から、自分たちの生活が根ざしている場から、世界の情勢を落ち着いて見ることのできる「根」の張り方を模索していくべきだと考えています。
上記の記事は、かつて、きわめて単純に愛国心批判、(天皇制を含む)ナショナリズム批判をしてきた自分に対する自己批判でもあります。リベラル派知識人の二分法的な言説が、皮肉にも、若者の右傾化に荷担してきたのではないかという思いがあります。
かなり微妙な問題を扱っていることはわかっているのですが、その課題をより明確にしていくためには、まだまだ勉強と思索が必要です。
少なくとも、この記事が何らかの問題提起になればと思っています。