小原On-Line

新聞記事: 2005年11月アーカイブ

 昨日の朝日新聞に鶴見俊輔氏のインタビュー記事が掲載されていました。「戦後60年を生きる」というテーマのもと、鶴見氏の戦争体験や原爆批判などが紹介されていました。もともと、彼の考え方には共感するところが多いのですが、今回、目にとまったのは、「国家」に対置する「くに」を構想している次のような箇所でした。

出雲風土記や万葉集に出てくる「くに」です。「おくにはどこですか」というときの、そのあたり一円を指す「くに」。そこに生きて死んだ人々の記憶が息づく「くに」。国家じゃない。グローバリズムとは正反対のローカリズムです。風土記の「くに」から世界を再編していくことに今後の希望があるんじゃないかな。

 国家概念を相対化する視点として「くに」を持ってくるところに、鶴見氏の隻眼があると感じました。
 国家主義、ナショナリズムへの批判は、(わたしを含め)リベラルな立場の人が意気揚々とやってきたことですが、代替案を具体的に示さなかったこの種の批判が、結果的に、現在の日本社会における全体的な右傾化傾向を作り出してきたのではないかと思っています。
 リベラリストとしての鋭角的な社会批判が、皮肉にも、ナショナリズムへの渇望や右傾化傾向を生み出してしまってきたとするなら、その責任の一端を負わなければならないと最近、感じていたところでした。それだけに、鶴見氏の指摘は、小さな提案とはいえ、わたしには触発する素材となりました。
 この問題については、引き続き、考えていきたいと思います。

 小原克博 On-Lineに「宗教間対話 京都モデルは可能か」(『京都新聞』2005年11月14日、朝刊)を掲載しました。
 この記事では、既存の宗教間対話やモデル提示に対し批判的に書いていますが、歴史的な積み重ねがまったく無駄であるとは思いません。ただ、対話好きの人たちが対話の前提にしてきた「宗教多元主義」の考え方は、現実社会ではうまく機能していないように思われます。
 宗教多元主義の立場からは、一般的に、どの宗教も平等であり、それゆえ、どの宗教に対しても寛容でなければならないとされます。
 これが実社会で運用される際には(たとえば移民に対するホスト社会の対応)、イギリスやオランダに代表される「多文化主義」になったり、フランスに代表される「同化主義」になったりします。ドイツは、両者の中間あたりでしょう。
 異文化や他宗教に対し、各国とも独自の対応をしてきたことは事実ですが、ロンドンでの同時テロ事件によって、イギリスの多文化主義政策は根底から揺らいでおり、また、先日のフランスでの暴動により、同国の同化主義政策の矛盾が顕在化してきています。

 日本も対岸の火事として眺めることはできないでしょう。日本でよく語られる多文化共生は、比較的お気楽な多文化主義に基づいていますが、実際にそれを実践するときに引き受けなければならない思想的・政策的課題に対しては、まだまだ無頓着です。
 少子高齢化が本格的に進行し、外国人労働者が大量に入ってきてから考え始めるのでは遅いでしょう。
 上述の新聞記事では、こうした点ついては触れる余裕がありませんでしたが、こうした点を頭によぎらせながら書きました。

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