昨日の朝日新聞に鶴見俊輔氏のインタビュー記事が掲載されていました。「戦後60年を生きる」というテーマのもと、鶴見氏の戦争体験や原爆批判などが紹介されていました。もともと、彼の考え方には共感するところが多いのですが、今回、目にとまったのは、「国家」に対置する「くに」を構想している次のような箇所でした。
出雲風土記や万葉集に出てくる「くに」です。「おくにはどこですか」というときの、そのあたり一円を指す「くに」。そこに生きて死んだ人々の記憶が息づく「くに」。国家じゃない。グローバリズムとは正反対のローカリズムです。風土記の「くに」から世界を再編していくことに今後の希望があるんじゃないかな。
国家概念を相対化する視点として「くに」を持ってくるところに、鶴見氏の隻眼があると感じました。
国家主義、ナショナリズムへの批判は、(わたしを含め)リベラルな立場の人が意気揚々とやってきたことですが、代替案を具体的に示さなかったこの種の批判が、結果的に、現在の日本社会における全体的な右傾化傾向を作り出してきたのではないかと思っています。
リベラリストとしての鋭角的な社会批判が、皮肉にも、ナショナリズムへの渇望や右傾化傾向を生み出してしまってきたとするなら、その責任の一端を負わなければならないと最近、感じていたところでした。それだけに、鶴見氏の指摘は、小さな提案とはいえ、わたしには触発する素材となりました。
この問題については、引き続き、考えていきたいと思います。