11月21日、本願寺国際センターが主催する連続講座の第1回目の講演に参加してきました。今年は「浄土と現代──世界の宗教との比較において」という共通テーマが設定され、初回は徳永道雄先生が「現代における浄土観の諸問題」と題して話されました。
徳永先生はキリスト教についても造詣が深い方なので、頻繁にキリスト教との比較を行いながら、「浄土」をめぐる現代的な課題を整理、説明されていました。
何と言っても、こうしたテーマを設定する背景には、「浄土」「極楽」「天国」といった言葉が誤用されている実情があります。徳永先生が例としてあげられていましたが、仏式の葬儀の弔辞において「〜さんは天国から見守ってくださっています」といった言葉が聞かれるとのこと。この種の話は、確かによく聞きます。
しかし、日常的に「〜はお浄土から見守ってくれています」とは言いませんね。で、そもそも「浄土」とは何なのか、ということが今回のテーマなのです。
このシリーズの第2回目の講演を私が担当しています。「キリスト教における天国──古代世界から現代神学まで」という、とてつもないタイトルをあげているのですが、仏教(特に浄土系の仏教)との比較を交えて話をしようと思っています。